海の口
夜風に揺れる波間をゆっくりと、確実に進んでいく旗艦リヴァイアサン。
甲板中央に聳え風を受ける帆。
その先端近くに備え付けられた見張り台で水平線を見張るオルネアとアルア。
同じ雰囲気に前戦都市ダンビートでの記憶が蘇る。
「ケールさんは元気にしていますかねぇ?」
「あの肌光りがあれば夜間の海上でも見渡せるんだがな……」
「人間灯台ってやつですね」
お互いの軽口に笑い合い、穏やかな夜が過ぎていく。
その間にも修復の音が絶え間なく響いていた。
旗艦の左右に翼のように広がる補助船、大型船特有の取り回しの悪さを浮力で補助する重要な部位だ。先の戦闘で損傷し応急修理を繰り返してはいるが、海中側からの本格的な修理を必要としていた。
木製尾鰭の連続叩きつけによる高速航行には補助船の浮力が必要不可欠。
そこでイズナリは出来うる限り最善の航路を導き出した。
諸島を巡る航路――。
南方主要都市ヌフソとの迅速な連携、それを成す為の修理。
未だ気配のみを漂わせるドラゴンの索敵、それを成す為の広範囲索敵。
活性化し凶暴と化した海棲魔物との複数戦闘は避けられず、海原に取り残されて立ち往生することは最も避けなければならない。諸島同士を繋ぐように航海すれば出航、戦闘、修理、停泊という一連の流れを素早く熟すことが出来る。
姿を見せないドラゴンに対しても、陸上で何かしらの痕跡が見つかる可能性が高い。
「失速してはいますけど、この速度なら明日の朝には初めの島に上陸できると思います。
……それまでとぉ~っても暇だと思いますのでぇ~……」
「始まった……」
「えっへへ~」
得意気に笑い、コホンと咳払いして語り出すアルア。
それはこの船の由来ともなっている海の大魔獣についての事だった。
「リヴァイアサン――。
始まりの海に浮かぶ蒼海の主。
海底深くで寝息を立てるリヴァイアサンによって海には波が生まれ、
欠伸の泡沫が島を造り、右の鰭が船に風を送り、
左の鰭が船に浮力を与えると言い伝えられているのです」
「……尾鰭に逸話はないのか?
この船にも立派な尾鰭があるだろう?」
「当然ありますよ?
リヴァイアサンの尾鰭は、それが跳ねるとき世界が終わるとされています」
「それは……ひょっとして不吉なんじゃないか……?」
「はい不吉です。 というかですね……。
船の名前にリヴァイアサンを取るとか船乗りとして最も忌避する筈なんですよ。
――普通は、ですけどね」
海の伝説に基づく名取り。その逸話を知って感心すると共に、今の修復が終われば
世界が終わるとされている尾鰭が全力稼働することにもなる。嬉しいやら何とやら
の感情に板挟みになるオルネア。戦場においての願掛けを知り、それを尊ぶ彼にと
っては何らかの吉兆を見出してこの話を終わらせたかった。
「リヴァイアサンは沈まない……とかいう異名はないのか?
蒼海の主なんて云うほどなんだろう?」
「いえ? 住処は海底ですから基本沈んでます。
呼吸は百年に一度ほど、南の果てで大渦潮が起きます」
もはや悪寒を通り越した既視感。
その正体はやはりアルアの語り口にあった。
実際に見たであろうリヴァイアサンの姿を身振り手振りで表現する様に、オルネア
はダンビートでもそうであったように地平線に代わって水平線を見つめ続けた。
あの時に撃退した魔獣王、又の名を白金の回収者エルドアレーヴェ。
覆すことの叶わない自然の理、延いてはリヴァイアサンであってもその理に組み込
まれているのだろうかと想いを馳せる。
「――で、こんな処に島なんてあったかな? と思ってたら実はリヴァイアサンの
背中だったなんてことがあったんですよ。鱗の一枚でも持ち帰ろうかとも思った
んですがなんせそこらの街ぐらいある大きさで――」
オルネアの中で想像するリヴァイアサンの姿形がアルアの言葉一つでコロコロと変
わっていく。鱗がその大きさなら全長は世界一周でもしそうだなと、引き攣った愛
想笑いを続けていると……。
「オルネアさんって、いつの間に炎を剣に籠められるようになったんです?」
「いつと聞かれると難しいな、昼間の戦闘で初めて使ったんだ。
元々纏わせたり迸らせたりはしていたから難しいものじゃなかった。
発散の度合いを意識的に落としたようなものだからな」
それはやはり既視感だった。
無視出来ないそれを探るようにアルアを見やるオルネアは、当然新たな戦術を書に
書き殴っているものかと思っていた。
「レビヌトリアでもそうでしたが、炎の練度上昇とその残量が大幅に増えたと確信
しています。そこでなんですけど――」
止まらぬ筈の筆は止まり果て、開いたままの書を見ようともしていないアルア。
その視線は遠く水平線を見つめながら、そこにある筈が無いものを捉えていた。
「――尽き果てる限界まで、炎を熾して貰うことになりそうですっ……!」
水平線に向けたオルネアの目に、遠方の島の影が見える。
船の速度は相変わらず失速したままの筈が島の影だけが異常な早さで迫る。
それが生き物の影なのだと――。
そう気がつくまで、規模感の狂った遠景に一時自身の感覚を疑っていた。
「――イズナリッ!!」
「――イズナリ船長っ!!」
同時に叫んだ二人の声が夜の海原に響き渡る。
後部甲板――。
手すりに凭れ青い顔をしながら宴とお別れしていたイズナリがよろよろと現れた。
「うっ……はぁ……。
口から別れる酒ってのはいつでも哀愁の色してやがる……。
でぇ~? どうしたってんだそんな声張り上げてよぉ~」
慌ただしく走り回る船団員の必死の形相と、
向けられた一条の光のその先を見たイズナリ。
島と見紛う影――。
そこに並ぶ山岳のように聳える上下の歯。
不気味なほど波風を立てず、
ただ開いた口で海を、写る夜空ごと呑み込みながら此方へと迫っている。
「――ッッッッ面舵ぃいいいいいいいいい!!!!!」
イズナリの背へと転移したアルアは、その背を掴みながらイズナリごと操舵室へと連続転移。慌てて舵を取るイズナリの横でリヴァイアサンの生態を纏めた書を鞄から引き抜いた。
「アルアァッこの馬鹿野郎ッ!
おめえ海の口は当分開かねえって言ってたじゃねえかよ!」
「そうですその通りです私云いましたあっ! 港から出るとき云いましたあっ!
でも今そんなこと言っても遅いんですってばあっ!」
「おめえまさか暇で暇で仕方無くって、
オルネアにリヴァイアサンの言い伝えでも話して聞かせたってか!?」
「ぎ、ぎくぅっ――」
「あー! やってらんねえ!
夜半に海でアイツを語りゃ不吉を招くって知ってるだろうがッ!!」
「そ、そんな事ただの迷信です!
そ・れ・に!
自分の船にリヴァイアサンの名をとってつけた船長に
そんな事言われたくないです!」
蒼海の主、リヴァイアサン――。
巨大の文字を百ほど重ねても到底言い表せないその巨体は、全身から滲み出す魔力
によって移動を可能としていた。
海流掌握――。
其れ其れの鰭に由来する伝説、その大元である。
虹彩や瞳孔など無い灰色の水の溜まった様な目玉は何処も見ず、何処をも捉える。
故に――。
不吉や迷信は因果では無く。
故に――。
如何な使命を帯びていようともその食事を妨げること能わず。
故に――。
影が見えたら最後、迫る捕食に過去を思い返す事しか許されない。
そんな摂理を前にして……。
既に回すことが無駄となった舵をそれでも回し続けるイズナリ。
怒号に罵倒で返しつつも全員が助かる道を自身が綴った書に探し求めるアルア。
そして此処にひとり――。
船首から宙に歩みを進め。
背に熾した翼を羽ばたかせながら。
額に剣を押し当て目を閉じ。
かつての故郷、そこで魔人を切り伏せた時の鳴動を思い返し。
朝日を迎えること適わなくなった船団に、明日の夜明けを迎えさせるべく。
――剣士がひとり、暁を呟く。
「……炎よ」




