鰭尾のカイプネルサ
海面から飛び出した勢いそのままに、甲板を滑りながら船団員の肉を狙う魔物。
——鰭尾のカイプネルサ。
筋肉の発達した後ろ足での二足歩行、名に有る鰭尾は水中では推進力、地上では振
り回すことで容易に人を粉砕する武器となる。青に縞模様の鱗は撥水に優れており、食い込む筈だった刃は反れ、踏み込みと同時に迫る前足での把持は噛み千切られる前に犠牲者が感じる最後の痛みとなる。
「グウォアアアッ!!」
血走った目を向けオルネア目掛け滑り込む一体。前足、噛みつき、振り回す尾を躱
して放つは遠慮の無い一閃。
ドッ——
港での思いやりを全く感じさせない真下からの切り上げは、カイプネルサの胴を両
断する。吹き飛ぶ上体をそのままに、長い鰭尾を左手で掴みあげると船団員と交戦
している個体へ思い切り投げつけた。他の魔物を押し潰すようにして甲板の戦況に
一本の線が突き抜ける。
——左腕の籠手。
酒場でもそうであったが、ただ単純に強固というだけの物ではないようだ。
甲側内部に配置された不動を現すティマの刻印は混合石の籠手と良く馴染み、内蔵
されているという特徴がオルネアの魔を掻き消す力を掻い潜ってその相乗効果を強
めていた。
屈強な海の漢たち。プラード船団の乗組員達は決して弱いわけではない。一体につ
き三人で、囲むように立ち回るその様は戦い慣れている。
だが雷撃での一掃は失敗に終わり、半ば奇襲のように始まった甲板上での戦闘に体
勢を崩されているのもまた事実だった。
「ここはオレに任せてくれ、船内の守護を頼む」
「——ッ、引けぇえ! 中で守りを固めるぞ!」
イズナリの判断の早さにオルネアは憂い無く守りの比重を捨て去った。
甲板上の四体が狂ったように襲い来る。
飛びかかる一体をまともに受け止めるが、わざと足の踏ん張りを緩め体を浮かせる
と重量のあるカイプネルサを一体丸ごと上方へと蹴り上げる。宙返りの着地を狙う
飛びかかりには剣を投げつけ仕留め、掴んだ柄を軸に移動方向を極端に変える。
首を振らされた一体が振り返ると同時にその首を跳ね飛ばす。
滑走して迫る大顎の前に先ほど蹴り上げた個体が落ち、重なる二体に強く剣を振り
抜くと鈍色響かせた剣閃が鱗を、肉を、骨を微塵に吹き飛ばしていく。
「多いな——」
海面からは際限なく水飛沫が上がり続けており、既に飛び上がり着地を待つだけと
なったカイプネルサが空中で甲板上のオルネアを捉えている。
着地の一体を左腕で迎え撃ちそのまま海中へと殴り飛ばすが、常に補充され続ける
この連鎖を断たねばならなかった。
即座に思い至るは炎を用いての広範囲制圧だった。
だがここは船上。出航阻止に火矢を用いられたことを考えれば使用を控えるしかな
い。海上へと躍り出ればその制約も消えるだろうがその分消費も大きくなり、船内
への侵入も許してしまうかもしれない。
まだまだ余裕を感じさせる足運びと剣筋ではあったが、それでも徐々に体力が削が
れていくのを感じ取る。そこに加えて甲板上に積み重なるカイプネルサの残骸も問
題だった。不安定な足場は戦術を容易に崩す物、それを避けるには大きく弾き飛ば
すか細かく切り崩さなければならずそのどちらも体力を使う。
戦闘を熟しながらその打開策も同時に編み出さなければならなくなったオルネアは、
船体を気遣うというその配慮から新たな戦術を閃かせる。
ジュアッ——
剣に付いて滴っていた魔物の血が蒸発。
消費の激しい炎は纏わず、しかしてその炎熱だけを剣へと籠める。
新たな技、新たな戦術。
力の制御を確かな物とするべく、オルネアはその名を呟いた。
「——炎籠剣」
赤熱する剣を構えたオルネアに続けざまに襲い来る三体。
両断せずとも——。
その刃が体表を切り抜けた端から肉を炭へと化し、すり抜けたオルネアの背後で灰
の残骸と化して崩れ落ちる。
同種が三体。乾いた軽い音を鳴らして瞬時に消え失せる光景に、たじろぐような動
きを見せたカイプネルサ達は一目散に海中へと引いていく。
終わりの見えなかった海上戦、上がり続ける水飛沫が——音と共に遠のいていく。
「……」
消費を抑えて戦闘を制した事に一安心する間もなく、ある種の予感が胸中に満ちて
いく。雷撃を受けても怯まず襲い来る獰猛さを持っていながら、果たしてこれだけ
で逃げていくモノなのか、と……。
熱を解いた剣を背へと納め戦いが終わったことを叫んで報せると、早速アルア率い
る船団員が残骸の調査を始めた。
「オルネアさん、これを見てください」
甲板上に残っていた両断した上体。その体にはっきりと見て取れる雷撃の跡。鱗を
裂くように迸ったのかその下の肉までズタズタに引き裂かれていた。
「船底に仕込まれている雷撃発生装置には雷の魔法サクェドが刻印されています。
その雷は通常の落雷とは違って海水中でも伝導率を無視して魔物へ致命傷を与え
るのです。
このカイプネルサは、オルネアさんに切られる前から既に死に体……。
放って置いても直ぐに死ぬ状態であったでしょう。
それでも襲いかかって、なのに直ぐ逃げ出した。
オルネアさんの、炎の斬撃を受けて……」
確信した両名。
水平線の先を見つめて呟くオルネア。
「こいつらは、……炎から逃げて来た——」
「まず間違いなく、ですね」
甲板に散らばる残骸処理。傷ついた船体の補修。
それらの作業が一段落すると辺りはすっかり夕暮れとなっていた。真昼の白い太陽
が真っ赤になって沈んでいく。船内に灯りが点くとオルネアは皆の前で自身の目的
と使命、そして一連の魔物活性化現象の原因を紐解いていく。
その者に矢は届かず、その者に魔は効かず。
羽ばたきの絶望で以て命を押し潰し、全てを灰燼に帰する大いなる者。
「——ドラゴン。魔獣をも越える厄災だと考えてくれ」
「私たちは炎の気配と痕跡を追って南方へと辿り着き、海上探索をする上で必要不
可欠な船をイズナリさんに出して貰った、というわけです。
魔物達が凶暴化している原因もドラゴンにあると考えます。強大な炎に住処を追
いやられその怯えから防衛本能が暴走しているのでしょう。雷撃での致命傷を受
けても襲いかかってきたのに、オルネアさんの炎を見た途端に逃げ出した理由も
それで説明が付きます」
オルネアとアルアの説明を聞き戦慄していく団員達、腕を組んで目を閉じる船長イ
ズナリ。やがて目を開けると二人に海の漢としての、荒々しくぎらついた眼差しを
向けて問う。
「ひと羽ばたきで十の山を越える、弓も魔法も効かねえ化け物。おまけにそいつは
どんなものでも燃やし尽くす炎を吐くと来た。
……そんな奴を相手に、この船がどれぐらい保つと思う?」
立ち上がったイズナリはゆっくりとオルネアに歩み寄り、一切の瞬きをしないまま
凄んだ。
「生き延びた、と……。
俺たちゃぁ海から陸に上がるとき毎度そう思う。
次は生きて帰ってこれるか、と……。
俺たちゃ陸から海に出るとき毎度そう思うんだよ。
出航の度に、命を賭ける。それが俺たちの生き様だ。
てめぇ……それを利用しやがった——ってぇのか?」
「イズナリさん!それは違っ——」
言い出すアルアを手で制したオルネア。
「確かに、俺達ぁ海に出たくて出た。その為にお前さんは協力してくれた。
それだけじゃねぇ。今さっきだって俺たちを助けてくれた。
だがなぁ……むざむざ野垂れ死ぬ為に漕ぎ出したわけじゃねぇッ!」
イズナリの、船長として皆の命を預かる者の本気の意思。
それを前にしてオルネアは動じない。
——世界を救う使命。
力ある者として、力を託された者としての責任が勝る。
オルネアは開き直ってなどいなかった。
目の前の凄みと全く同じように、それが自分の使命であると譲れなかったからだ。
——例え巻き込んでしまったのだとしても……。
炎宿る、暁の瞳を真正面から見据えるイズナリ。
今此処に二人の真意が交わる。
ある種の失意を、達観で覆い隠しながら刃を振るう剣士——。
炎の赤き光を見てからでは遅く、羽ばたきの音を聞いてからでは遅く。
ならば身を焼く熱も、吸い込む炎の死の味さえも。
確定した死に竦み絶望することなど、
知らずに在るべきだと……。
野心溢れる過去に縋るように、飲んだくれと落ちる船乗りの今——。
荒んだ海に身ひとつで挑み勝ち取った、血に濡れた栄光。
そんな光でさえ、魔女の掌の上であった。
抵抗、服従、彷徨を経て、行き先さえ決められずに海を征く事に、
最早死さえ望んでいたことを……。
交わる真意の軋轢に聞こえぬ音と圧迫感が生み出される。
暫く続いた本気の睨み合いは、ふとした一瞬で決壊。
軋轢の爆発を怒声に乗せたイズナリは、腰後ろに差していた剣を抜き放ちオルネア
目掛けて振り下ろした。
全く同時にオルネアは背の剣を抜き放ちぶつかり合う。
押し合いに火花散る刃。
その向こうにある船乗りの顔は、遣る瀬なさを湛えながらそれを必死に認めまいと
有らん限りの力を込めていて……。目前に居るオルネアの、その伏してしまった顔
を見届ける。
ギャリィンッ——
大きく弾いて、肩で息をしながら、船内の団員たちを見回すイズナリ。
皆の顔もまた、イズナリの遣る瀬なさを映すかのように同じ顔をしていた。
——目的地を見失って、まるで波間に漂う木っ端であると……。
皆同じ感情を抱いていたのだ。
「飲んだこともねぇくせに味だけ知った風な顔しやがってッ!!
むかつくぜぇ……ああまったく腹立たしいなぁ!クソがよぉッ!!」
行き場のない怒りに似た何か。
剣を握った手を見つめ、やがてイズナリはそれを握りつぶすようにして剣を納める。
「……ドラゴン、だっけか……?
はッ!暫くぶりに輝くにゃぁ丁度良い獲物だぜぇッ……!」
納得など到底できはしない。
だが納得は出来なくとも、理由を知ることは出来る。
重要なのはそれを知った上でどうするのか。
心の中でフラついていた羅針が嘗ての鋭さを取り戻していくのを感じ取る。
渋い顔で全てを飲み干し、その渋さで以て痛快に笑ってみせる海の漢イズナリ。
深きところで打ち解けたオルネアは暫し、朝まで続く宴会に巻き込まれていくので
あった。




