遭遇
海洋を征くプラード船団の大型旗艦リヴァイアサン。
その船長室でとある高等魔法が行使されようとしていた。
「ほ~ら船長、動かないでください」
「くっ……ぐぅっ……!」
仰向けに寝かされたイズナリの下腹部に手を当て弄るアルア。
集中しているのか長耳がピンと張り詰めたままだ。
「いかがわしい絵面だな……」
「んふっ! ……って笑わせないでくださいオルネアさん!
少し間違えたらイズナリさんの五臓六腑が撒き散らされちゃいますから!」
淀みなく簡単にやっているようでその内訳は、
体内透視、物体把握、異物と体組織の認識切り分け……。
と、各種魔法の数十工程にも及ぶものだった。
体内透視に必要であるはずの詠唱は手での触診で――。
物体の把握には耳での空間認識で――。
遂にはただの魔力操作で異物のみを切り分けて認識する。
「は~い力抜いてくださいねぇ……いきますよぉ~~ッ!!
——ミアット・ティルナート」
押し当てた手に光が灯る。少しして掌を返すとアルアの手には見るからに兇悪な棘
の塊が乗せられていた。楽になったのか体を起こしてそれを覗き込むイズナリは吐
く悪態も無く、溜息だけをついて額の汗を拭う。
腹の虫というものを初めて見たオルネア。興味深そうにしているのを察してかアル
アはそれをオルネアの手に預けイズナリに向き合った。
「言いつけを守らないからこんなおっきいのが再発しちゃうんですよ~?
お酒ばかりでは無くきちんと水を飲んで、お肉だけじゃ無く野菜も食べないと駄
目なんです。分かりましたか?分かったなら誓ってください!」
「あぁ……誓う誓う……」
痛みから解放されてほっと胸を撫で下ろすその手で酒瓶を引っつかむイズナリ。
ダメだこりゃと手を挙げて呆れるアルアにオルネアは虫の正体を聞いてみる。
「わかりやすく言うなら、不摂生な食生活の末路、ですかね。
要するにこのトゲトゲはおしっこが固まって出来たものなんですよ」
顔を近づけて見ていたオルネアはジト目になり、黙って顔を遠ざけるとその棘石を
イズナリの剥き出しの腹に押し当てた。咽せて酒を噴くイズナリを横目に少々自身
の食を見つめ直す。
「あ、オルネアさんは大丈夫ですよ。周りで見てる団員さん達も大丈夫ですからお
腹しまってください。これは運動不足も兼ねたイズナリ船長だからこそ出来た物
であって、戦闘や船仕事を熟す皆さんには縁遠い物です。ですが……。
……食生活を甘く見ると、後が大変ですよぉ? おっほっほ~」
熱心に聞き耳を立てる団員達の為に、寝台を教壇としたアルア大先生による食生活
改善に関しての集中講義が始まってしまう。そろりと抜け出すイズナリに続いてオ
ルネアも甲板に抜け出した。
風を受け靡く帆、交代する見張り、時折海面を叩く旗艦の尾鰭。
船首近くの手すりに寄りかかりながら酒を飲むイズナリは隣についたオルネアに酒
瓶を手渡しながらアルアとの初めの出逢いを語り出した。
「あのチビエルフに初めて逢ったのはさっきまで居たレビヌトリアの酒場だった。
かなり前のことだ、まだ都市国家に王なぞいなかった時代だな。そん時も何かの
ご高説を声高に演説していやがったよ。酒場の片隅で腹ぁ痛めてた俺を今回みた
いな転移魔法でちょちょいと治して見せた」
酒をひと口煽りながら、イズナリの語りに耳を傾けたまま水平線を見やる。
「だからよぉ……金になると思って攫ったのよ」
ブフッ——
思ってもいなかった続きに含んだ酒を吹き出してしまう。
「げほっ!ごっほっ……!
……それは……それはまたいきなりだな」
「あたぼうよ。そん時の俺らは海賊やっとったからな。
若かったし、力を持て余してたし、野心があった。そこに舞い込んだ金のなる木
よ、見逃す筈もなかった。
レビー出る時に塔で男を見ただろ?あいつも昔ぁ俺んとこの団員だったんだぜ?
天候を先読みしてるみてぇな航海士だった」
脱帽して一行を見送った男。皺の刻まれた相貌を思い返し、只者では無いと直感し
たのは間違いでは無かったようだ。塔からではなく騎士団へ直接指揮を執っていた
ら出航は間違いなく阻まれていただろう。
「大方……アヌエトの指示で封鎖したんだろうが、それをどれだけ忠実に守るかは
ソラス次第。あいつはあいつ成りに封鎖指示を守って、俺らに火矢を撃ってまで
して最後には見送った。だからよぉ、そろそろ教えてくれねぇか。
この海の先に……いったい何が居やがる?」
先読みの航海士、現総督のソラス。
その制止を振り切ってまで外洋へと向かわせた真実。
酒瓶を返しながらその答えを告げようと、炎宿る瞳でイズナリを見つめ返した。
その時——。
カンカンカンカンカンッ——
「——前方ッ! 水飛沫ぃーー!」
見張り台からの声が降りかかるとイズナリは身を翻して指示を飛ばし始める。酒飲
みから一転、船長然とした顔立ちに切り替わった。
「早速カイプネルサのお出ましってかぁ……雷撃よぅーいっ! 合図を待てぇー!
悪ぃ、話はまた後にしようぜ」
頷き返したオルネアも抜剣して甲板で待機、海面の様子を探る。
まだ距離があるが前方に僅かな水飛沫が上がっている。だがその規模の小ささに違
和感を感じ取るオルネア。合図の時機を窺うイズナリと指示を待つ団員に走る緊張
感に更に目を凝らして水飛沫を見つめていると……。
バシャ……バシャ…………バシャシャシャシャッ——
前方——、見渡す限りの海面が真っ白に泡立っていく。
「まだだぞぉー! まだまだぁ~……」
——進む船。
潮風の音がやけに大きく響き。
——近づく音。
潮風が掻き消され水飛沫の音だけが鼓膜を支配する。
剣を抜き槍を構え、甲板で待機する皆に降りかかる飛沫は、
魔物の殺意をそのまま伝えるように冷たく。
終わりのない緊張の連続。
体感時間が限りなく零に近づくが、
いつの間にか旗艦リヴァイアサンは飛沫の只中へと滑り込んでいた。
船底を掠める鱗の音が混じり始め、皆の緊張が一気に高まると……。
——音が止む。
あれだけ騒がしく、総毛立つような音の全てが一斉に鳴り止んだ。
その瞬間を待っていたかのようにイズナリが声を張り上げる。
「——ッいまだぁああああああああ!!!」
合図を受けた団員が甲板中央の杭を力一杯打ち付ける。
沈み込むような重い檄音の後、船底から轟音が迸った。
衝撃を切っ掛けに炸裂した雷の魔力が海面を光り輝かせ、焦げ臭さすら漂わせる。
落雷の如き轟音の正体は、船底に仕込まれた雷撃装置のものだった。
「よぉーし! さっすが俺の合図、あいつら一網打尽にしてやったぜ!」
直撃を受けたであろうカイプネルサを見下ろすため、手すりに寄りかかって覗き込
もうとしたイズナリ。
——咄嗟の判断。
オルネアは背後からイズナリの上着を掴み思い切り引っ張った。
それは確信があったからではない。魔物との命のやり取り、その場数と異様なまで
の海の雰囲気に呑まれなかったからこそ、迷い無く選択できたことだった。
——殺気が消えていない。
歴戦の勘を裏付けるように……。
引かれたイズナリが尻餅をつくその一瞬、先ほどまで顔が在った場所を……。
ガィンンンッ——
真下から飛び上がったカイプネルサの大顎が空を噛み千切っていく。
ドボンッ——
空振りに終わった虚しい音を皮切りに、唸り声の群れが海面から飛び上がり始めた。




