強行突破
明け方、空が白みだしたレビヌトリアを一望する指揮塔。
海門の傍ら灯台の役割も兼任するその塔の最上階で、ソラス総督は長く溜息を吐い
ていた。年老いても張った背筋と、水平線を見る鋭い眼光には元船乗りとして培っ
た荒々しい経験が宿っている。
その経験が、今すぐ逃げろ――と告げていた。
波も穏やか、空も静か、絶好の航海日和と断じて良いその筈が、何故心底からの震
えを抑えつけねばならんのかと……。自身が総督であるという一点だけが彼を此処
に縛り付けていた。生き残る術とは判断の速さに在る。だからこそ一介の船乗りで
しか無かった自分はここまで生き残り、総督などという不相応な役職に就いている
のだ。
「――総督ッ!」
慌てて駆け込んできた騎士の一人、報せは大方アレの事だろう。
眼下で出航の準備に取りかかるプラード船団の荒くれ者達をソラスは捉えていた。
大型旗艦リヴァイアサン――。
船団の名は伊達では無い。両翼を模した左右の補助船は主船と梁で連結した多胴
船となっており、船尾に有する木製の尾鰭で以て唯の帆船以上の推力を得ている。
海戦すら熟す副装の数々は魔物避けは勿論のこと、固定式の弩弓台によって遠近
と隙が無い。
だが……。
「……船というのは火に弱い。
騎士団に伝令、旗艦リヴァイアサンの出航を阻止せよ!
火矢の使用も許可する!」
「し、しかしそれでは……」
「やり過ぎだと思うか? ……では聞こう。
あの一隻、レビヌトリアでも最大規模を誇る船団の出航を許せばどうなる?
……後に続く者が出る、などと考えなくとも分かるだろう? だからこそだ。
多少強引にでも――、それこそ轟沈させる勢いで以て止めねばならんのだよ。
それに……」
一旦区切ったソラスは振り返って騎士を一瞥しながら気を引き締めさせる。
「ここで止めねば、……あいつらは帰って来れん」
海棲魔物の活性化現象。
何が原因かは今以て定かでは無い。にも関わらずそう断言するソラスの言葉。騎士
は、海に潜む何かの脅威をその気迫と哀愁で以て思い知らされる。
一礼、後に疾走した騎士は、明け方の騎士団全員を叩き起こし埠頭へと急がせた。
一方――。
旗艦リヴァイアサンの甲板ではイズナリが弱々しい声で団員へと指示を出していた。途中縋るような目線をアルアに送るも、海門を突破するまではダメと突っぱねられる。
埠頭に集まる騎士相手に大立ち回りするオルネアを横目に、帆を張り、補助船の推力を得て、旗艦が尾鰭の一撃で海面を盛り上げ海門へと向かい始めた。
「お願いです! 止まってください!」
その言葉は制圧よりも懇願に近いもの。
複数人の騎士の大剣を受け止めながらその懇願を聞くオルネアは、重装備の相手を
浮かせる程の力を込めながらも切りはせず、ただ大きく押し退ける。騎士団の鎧の
端々に刻まれた水辺特有の浮力の刻印文字を見つけると安心して海中へと叩き落と
しはじめる。
「止めますッ!」
「総督の命令ですッ!」
騎士集団から飛び出す軽鎧の二人組――。構えたのは剣だったが狙いを付けるよう
な仕草に魔法使いと判断。放たれた拘束魔法を掻き消しながら懐へと飛び込み、陣
形を崩すように仲間の方へと蹴り飛ばしてやる。
崩された陣形に守られていた弓兵部隊が慌てて旗艦へと火矢を射る。
オルネアは強く地面を蹴って空へと踊り出すと、背から炎を一度放って火矢を叩き
落とし、二度目の噴射で旗艦へと舞い降りる。
「お疲れ様です、オルネアさん!
炎の扱い方かなり上手くなってきてますよね?」
「そう言ってもらえるなら有り難い。
……だが、まだまだだ。想像と実戦とではまだ少し勝手が違う」
埠頭に左舷を晒しながら海門へと順調に進んでいく旗艦。
まず間違いなく突破できるであろうが、騎士団がそれを許すはずも無かった。
――進ませれば、二度とは戻ってこない。
総督の意を汲む者。指揮を執る騎士は、
残酷で在りながら慈悲さえ滲ませるその命令を叫んで下す。
「――撃てぇええッ!!」
豪腕を誇る弓兵部隊の狙い澄ました斉射。
次いで叫んだのは息を整えた魔法使いの二人だった。
「ヴァイヤルグッ――」
「――マルパリート!」
数十の火矢は、詠唱によって百を軽く超えるまでに膨れ上がる。
広範囲攻撃に構えるオルネアだったが……。
とある秘密を打ち明けながら、アルアが歩み出た。
「レビヌトリアの物資の一部、特に消耗品である矢の素材は糸識の森から産出され
る木材で賄われています。糸識の森に住むエルフ族、弓の扱いはエルフ随一。
そんな彼らが生み出した射撃術、それこそが彼らを弓の名手にしているのです。
放った矢の軌道を魔力を使わず捻じ曲げる。
矢の素材になった木々に囁くように……。
そう、例えば ヴェルード――」
大群と化した火矢が、一斉に真横へと薙ぎ払われる。
風も無く、魔法の痕跡すら無く。
それは正しく言霊による操作、エルフが持ち得る万物への干渉を秘めた物だった。
「さぁ行きましょう~! ……っとと、その前に……。
イズナリさ~ん?息してますか~?今取ってあげますからね~」
「しっ……死ぬぅ……ッ!」
騎士の相手を物ともしない剣士、深部の一端さえ把握できないエルフ。
そんな二人に守られながら外洋へと出航していく船団を、呆然としたまま見送るし
かない騎士団の面々。頭上の塔に目を向けたオルネアは、深い皺を刻む総督の脱帽
を見届けていた。
「強行突破の非礼を詫びよう。 ……だが、行かねばならない」
「……」
炎宿る瞳――。
ソラスはオルネアの真意の全てを理解できたわけでは無い。だが、それでも理解で
きるものがあった。覚悟を抱いたものを無碍に止めるべきでは無いと、船乗りで無
くとも知っていたからである。
「戒厳令も元はと云えばアヌエトの独りよがり。
一隻逃したぐらいなら断酒の呪いで済む、か。
征くがいい……。
海の口が開かぬ事を、ここで祈っていようぞ」




