プラード船団
背から首、後頭部へと登ってくるような怖気。
仮初めの香りが一瞬で鼻腔を満たし、幻視する巨体の圧力が膝を軋ませ、抜剣の時
を惜しんで手に直接呼び込んだ剣は、鈍色を返しながら剣気を閃かせ戦いに備える。
何処かで迸った、炎の気配――。
オルネアは歩む足を止めてその元を探るように遙か南方の空を見つめると、
書を畳んだアルアを抱えて空に舞い上がる。
「ヴェーネン・ラート」
アルアの組んだ組成魔法が進行方向前方に展開。
下限まで抑制された空気抵抗の中、背部と大腿部の鎧が吹き出す炎の勢いで可変し、
炎の翼を駆って空を南へと突き進む。
「違和感ないですか?」
「ああ、以前より飛びやすい」
オルネアが宿すドラゴンの炎によって通常の魔法は効果を発揮する前に掻き消され
てしまう。その為にアルアが考案したのが聴覚と視覚に頼った相対位置の定義と制
御だった。
長耳周りに浮かぶ水色の淡い光りは、魔法の通らない虚空を定義する。
同じく光る瞳孔は、定義された虚空を元に魔法の展開地点を制御する。
魔力は常に消費し続けるがこの方法ならば魔法を切らさず常時展開できるという訳
だ。
「風圧が減って会話が満足に出来るのも大きいな」
「前は叫ばないと何言ってるか分からなかったですからねぇ」
精霊魔法を用いた念話にも挑戦中ではあるが……。
妖精や精霊のその気紛れな性質によって成功率は半々といったところ。
意思疎通の会話が満足に行えることは、咄嗟の判断が求められる戦闘に於いても重
要なことだった。変化と云えば、オルネアはもうひとつ実感していることがある。
炎の残量――。
ランヴェルでの初戦、灰島での辛勝。
そのどちらも残量を気にかけた戦闘で、片や尽き果てていたが……。
魔人マリスケラスとの邂逅やルドビラでの記憶の反芻を済ませた今、明らかに炎の
残量が増えていると実感していた。
際限は有る――、と決して驕ることはなくとも、
炎を用いた全力戦闘を日に複数熟せると確信出来るほど。
更には……。
取り戻した剣との絆――。
再び聞こえるようになった鈍色の声。剣士としての基礎で在り根底を支える地力と
いうものが今のオルネアを強者として彩る。
今から向かう先。
そこで行われる討伐にまたも世界の損失を憂うも、
暁抱えた胸中、瞳の奥底に炎を燃やしながら、握る剣に覚悟を込める。
だが――。
「オルネアさん……? どうしました?」
炎の翼を大きく羽ばたかせ、空気を蹴って静止する。
見開かれた瞳は依然として南方を向いたまま、だがその視点だけが合わない。
「――消えた。 炎の気配が……」
アルアもできるだけ俯瞰視点を広げ、魔力の通らない虚空を見つけ出そうとするが
その結果は芳しくない様だった。眼下の地形、川幅の広がり方からここは海にほど
近い南方地域と断定。
「このまま真っ直ぐ南に進むと……あっもう見えてますね。
あの真っ白な城壁、あれが城塞都市レビヌトリアです。
陸を走るにしても海を行くにしても、取り敢えずはレビヌトリアに行くのが一番
良いと思います」
「それしかないだろうな……。 一旦降りるぞ」
海門城塞都市レビヌトリア――。
南方への玄関口として諸島連合国と物資をやりとりする、地と海を繋ぐ重要拠点だ。
海側にせり出した城塞が湾内を取り囲むように聳え、名にあるとおりの海門が詰め
所の役割も兼ねて出航と停泊の出入りを管理している。
陸側、正門前――。
行商人達が貨物の荷入れを忙しなく熟すその隣で、警邏を努める騎士団が慌ただし
く出陣していくのが目に付いた。向かう先は白城壁を更に彩る白い砂浜海岸、レビ
ヌトリアの左右を輝かせる名所。気掛かりだったのは交代で入れ違う先遣部隊の装
備が血で濡れていた事。アルアが咄嗟に補足を呟く。
「数は少ないですが海から上がってくる魔物も偶にいます。
両腕の大きな鋏が特徴の甲殻種ギトワークと、鰭尾のカイプネルサ辺りでしょう
か。ギトワークはその大きさから脅威と見做されることもありますが近づかなけ
れば比較的温厚です。戦闘があったとすればカイプネルサでしょうね」
二足獣類、鰭尾のカイプネルサ。
大きく発達した後ろ足で陸を駆け、太く長い尾に備わる鰭で以て海でも活動が可能
な魔物。陸ではリージャに次いで不意の遭遇戦が多々あるが、その恐ろしさと脅威
は海でこそ真価を発揮する。魔物避け装備の脆弱な船が集団で襲われ沈むことも珍
しくなく、血の匂いに敏感でたった一滴海に垂らせば直ぐに海面がうねり始める。
又、人を多く喰らった個体が群れの長となる傾向が強く、船乗り達は統率を見せる
群れに遭遇した際には交戦を避け騎士団へと一報を入れる決まりになっている。
騎士団の動向に注意を払いつつも、海路を行く船を調達するため船長ひしめく酒場
へと足を向ける。炎の残り香は、地と海の境界線を跨ぎ海側へと続いているとオル
ネアは直感していた。組成魔法の補助による高速飛行が可能となっても、全力戦闘
を複数熟せると確信できていても、炎は温存しておくべきものと判断。
喧騒と怒号。
アルアの導きが無くとも耳を傾ければ酒場の検討がつく。
扉を潜って酒の匂いを全身に浴びると幾人かの鋭い視線が二人を刺した。
飛び込んでくる光景と云えば……。
二人の目の前をすっ飛んでいく巨漢と追い打ちをかける巨漢。
飛んでくる酒瓶を顔面で受け止めてそのまま飲み干す飲んだくれ。
賭けに興じながらテーブルの上に乗せた女を弄ぶ下郎。
「……アルア、他に当てはないのか?」
「まぁまぁ。
そう言いたくなるのも分かりますが、
此処にいらっしゃるのは海の酸いも甘いも知り尽くしてる熟練の方ばかりです。
速度も求めるならここで雇うのが一番良いと思いますよ」
騒がしさを掻き分けて先導するアルアに続いていくが、
股下をすり抜けていく芸当はオルネアには真似できず、揉みくちゃになりながら船
乗り達を捌いていく。酩酊の無差別が拳を振り抜いてくるが身躱すほどの物でも無
いと断じて、左手の甲で横に弾いてやる。
ところが……。
軽く去なしたはずの相手は思いがけない勢いで壁に衝突。
付近のテーブルを吹き飛ばす。
「やっべ――」
内部刻印にティマを置く混合石の籠手、左手の守りとしてドワーフの血族に拵えて
貰った特注品。堅牢さだけを発揮すると思いきやどうやらその効能は衝撃力までも
増幅するようだった。
酒場中の注目を惹いてしまったオルネアと、少し先で多少引き攣った愛想笑いを浮
かべるアルア。
「一番良い船長を見つけてきますから、そのぉ……えーっと……。
頑張ってください!」
直後、酒場が揺れるほどの怒号が響く。
次々にオルネアへと襲いかかる、
船乗り、
飲んだくれ、
野次馬、
ヴォルフ族の行商人、
偶々居合わせた魔女。
其れ等が放つ、
拳、
酒瓶、
体当たり、
回し蹴り、
物騒な首切りの魔法。
其れ等をオルネアは、
弾き、
弾き、
去なして、
躱して、
掻き消す。
どんちゃん騒ぎの戦闘を横目にアルアは酒場の台帳を確認する。
宿屋兼業のここでは宿泊する者の名を記すのが決まりで、更には名の横に特定の記
号を書くことで積み荷や乗船の可否を記載するのが慣例だった。
「おややぁ~?」
しかし、並ぶのは乗船拒否の記しばかり。
海路という限られた移動手段故にその需要は高く、乗船に際しての手間賃も船長次
第で割高に出来る。拒否する理由もない美味い話を全員が拒否している事実に、ア
ルアは根本的な原因を見つけようとした。その視線は自然と喧騒のど真ん中で大立
ち回りをするオルネアへと向く。
オルネア自身、向かってくる相手をしながらその気配に気が付きつつあった。
酒場に満ちる、云いようのない苛立ち。
大海原を前にして生業を制限されているが故の憤りが皆の顔に浮かんでいたのだ。
その時――。
「うるせぇんだよゴミ共……」
呟くような酒焼けの声が響いた途端、皆が動きを止めた。
酒場の奥、宿屋になっている二階から足音響かせ階段を降りてくる大柄の男。
膨らんだ腹を揺らし、蓄えた髭を撫でつけ、魔物の牙で作った首飾りを指先で弄び
ながら、酒場を一瞥する。視線に込められていたのは誰よりも深く荒々しい苛立ち
の気配だった。
睨みの視線が喧騒の中心であるオルネアから、次いでアルアへと移ると……。
「おおっ! いつぞやのエルフの娘っこじゃねーか!
やっと俺の女になる決心がついたのか!」
両腕を広げてアルアに突進したのを見計らって、怪訝な顔をしたままのオルネアが
抜剣。間に立ち塞がって阻むが、男はオルネアに切る意思が無いのを見越すと剣を
緩く鷲掴み、試すような探るような目で覗き込んだ。
「ほっほぉ……。
あんた、かなり腕が立つな」
その証拠と云わんばかりに、オルネアもまた視線に剣気を込めて見返す。
僅かに走った痛みに手を離した男は、手の傷を舐め上げて笑ってみせた。
「プラード船団船長、イズナリだ。 船が要るなら俺が出そう。
ま、とはいっても今は誰も此処を出れねえ訳なんだがな……」
名の在る船長であったのか、手下に通された宿屋の広間は船団員の貸し切り状態。
団員達は落ち着いた様子で酒を嗜んでいるが、その面持ちは階下の者達と同じでど
こか苛ついているようだった。
「これ、読んでみな」
イズナリに放り投げられた紙を受け取り、広げ見たアルア。
魔物被害頻発の為、出港停止――。
大見出しに続く詳細文には原因不明の海棲魔物活性化が綴られ、安全措置の為に海
路の封鎖と前線物資以外の出港停止処分が記されていた。
「ほぅほぅ……騎士団の慌てようはこれが原因でしたか。
むむっ!もしやクラーケンなのではッ!?」
八本足の悪夢、大海魔クラーケン。
魔獣をも越える厄災、自然災害そのものを体現する存在。
膨らむ編纂の欲求にアルアは目を輝かせて問うも、その名を聞いたイズナリは笑い
飛ばして否定する。
「まったくお前さんは変わらねぇ、だが……それはねぇな。
もし奴さんがお目覚めならレビヌトリアの総督様はまず一番に逃げ出してるだろ
うし、騎士団からの報せも曖昧すぎる。 隠す意味もねぇだろうしな」
酒瓶を最後の一滴まで煽り椅子にふんぞり返るイズナリは、溜まりに溜まった不満
を独り言のように呟き始めた。
「なーにが安全のためにぃだよ、くだらねぇ。こちとら海がどんなに凪だろうがど
んなに荒れ狂おうが命一本でやってきたんだ、陸を離れる度に死ぬ覚悟でなぁ。
それを今更……はーあッ!くだらねぇくだらねぇ!」
散々吐き出すと身を震わせて厠へと消えていく。
先ほどの言葉を聞いたオルネアは、選ぶならイズナリしかいないと踏んでいた。
ともすれば、この出航依頼は死地へと向かう物に成り変わる。海路を行き、羽ばた
きの音が聞こえた瞬間、全員の生還は絶望的になるからだ。
命を賭す覚悟――。
問わずとも、それを是とした前提であるのなら……。
「私も賛成ですよ。危険な海が更に牙を剥いている今だからこそ、任せられる船
長も限られてきます。騎士団の包囲網とあの海門を突破しなくてはなりません
が、なんとかできないか船長に交渉してみましょう。
恐らくは大丈夫です、話は分かる人ですから……多分……」
遠い目をして語るアルアに一抹の不安を抱きつつ、イズナリの帰りを待っていると
……。イズナリは青い顔をしながら厠から顔を覗かせていた。
「し、……死ぬぅ……!」
何事かと駆け寄って肩を貸すオルネア。これから万事を託すところだというのに一
層不安を煽られるが……。船団員達は慣れた様子で蹲る船長を見下ろし、アルアも
また呆れた様子で背中をつついていた。
「け、剣士の兄ちゃん……あんた名……名前は……?」
「オ、オルネア……」
「その様子じゃまだ経験ねぇらしいから……よぉーっく聞いておくんだぞぉ……。
歳も向こうの半分に近づくとなぁ……は、腹ん中に魔物が棲み着くのよぉ……。
ぐッ、痛ッ……痛ってぇ~……!!」
青い顔に脂汗をたっぷりと浮かばせて戦慄くように絞り出すイズナリ。
背中をつつくアルアは船団員達に向かって問いを投げる。
「皆さん、船長は私の言いつけを守っていましたか?」
「いんや」
「ひとっつも」
「いいつけってなんだぁ?」
はぁ~っとわざとらしく溜息をついたアルアは、直後に得意気な顔になって交渉を
進めだした。
「船長ぉ~? 私達ちょ~っと先を急いでいましてぇ~?
騎士団の包囲網を突破して今すぐにでも出港して欲しいんですよねぇ~?」
当然イズナリは渋る。取引相手として此処レビヌトリアは最大手、余所の港とは比
較にならぬ程に身入りが良い。それを裏切れ、と言われているに等しいからだ。だ
が、首を完全に横には振れない。腹から響く軽減しようのない痛みが屈強な精神を
ひょろひょろの紐同然にしている。
「どうですかぁ~? 出航してくれるっていうのならその痛み……。
以前と同じように完全に取ってあげますよぉ~ん?」
アルアの怪演、その顔や仕草は嫌味な商人そのものだった。
船団とアルアの過去に何が在ったのか、知りたいような知りたくないような……。
そんな胸中のオルネアであった。




