一話 魔人二人旅
「おーい、王子様ー?」
「んっ?」
至近距離からネムの声を浴びせられたオールトは、その意識を急激に覚醒させる。
周囲を見渡すと、そこは木々が鬱蒼と生い茂る森の中のようで、どうやら追手から逃れるためにかなり深くにまで入り込んでしまったようだ。無数の枝の間から太陽が顔を覗かせているところを見ると日中のようだが、辺りは薄暗い。
「あ、やっと気付いた。王子様、いま目ぇ開けて寝てましたよ」
「それは恥ずかしい。顔から火が出んばかり」
「……昨日のこと思い出しそうになる表現ですね」
二人はあの後、必死に逃げ回り追手を撒くことに成功した。
だが、自治領レリベウスの兵士たちは諦めないだろう。オールトを再び捕らえるまで追い縋ってくるはずだ。
「とりあえず、今は腹ごしらえでもしましょう。はい、木の実たくさん取ってきたんです」
「ありがとう。オブライエンは若いのに気が利く」
オールトはネムから木の実を受け取ると、すぐに口にする。特に腹が減っていたわけではないが、善意や好意は受け取っておくというのが彼のポリシーだ。
「それで、なんですけど……改めてお名前伺ってもいいですか?」
ネムは木の実を流し込むオールトに、少しおずおずとした様子で問う。
「ん? オールト・セカンスターだ。改めてよろしく」
「メフュラ帝国の第三王子とかも、本当なんですよね?」
「うん。でもそれはもう過去の話。だってメフュラはもう無いし。だから俺のことは親しみをこめてオールトさんでいい」
「はぁ、じゃあ、オールトさん……」
どうにもコミュニケーションを取りづらい人だな、とネムは内心で思う。独特な語り口は感情が希薄だと言うのに、冷淡では決してない。感情のない自律人形が必死に本物の人間であることを主張しているかのようだ。
「では、私も改めまして……ネム・オブライエンと言います。こう見えて、魔人だったりします」
「そうか。改めてよろしく、オブライエン」
ネムは自己紹介の中で自分が魔人であると衝撃の告白をしたのだが、オールトは全く驚いた様子がない。まるで興味が無いとでも言いたげなオールトの薄い反応に、ネムは少しだけカチンと来た。
「失礼します!」
するとネムは何を思ったか、突然オールトの指を掴むと、そのままへし折った。ぽきり、と小気味の良い音が森に響く。
「あっ、何をするんだオブライエン」
意味が全く分からない凶行に、オールトは驚いた様子でネムを見る。指を折られた者の反応としてはやはり薄すぎるのだが、それでも彼にとっては大きいと言える反応に、ネムは少し満足した様子だ。
「まぁまぁ……見ててくださいよ?」
ネムはそう言うと、折った指を掴んだまま力を込める。すると、手の甲の上に光輪が出現した。魔人の力が発揮された証拠だ。
そしてネムが手を離すと、折られたはずのオールトの指は、元通りになっていた。
「おぉ、これがオブライエンの力か。すごいな」
「ふふん、そうでしょう! 私の力は色んなプロセスを無視して人体を元通りにするというものです。いくら上位の治癒魔術師でも、こんなに早くは治せません!」
ネムの言う通り、傷を癒す魔術は時間がかかる。切り傷や擦り傷の手当て程度ならすぐに塞ぐことはできるだろうが、骨折となると最低でも一時間はかかるはずだ。故にネムの力は治癒魔術というより、修理、復元の能力に近い。
「勿論、骨折だけではありませんよ! 千切れた腕だって元通りにできますし、胴体が真っ二つになっても死ぬ前ならいけます!」
試してみますか、とでも言わんばかりに、ネムはオールトに擦り寄ってくる。
「オブライエンの力は優しいものなんだな。なのに、俺の指をいきなり折った。あまりにもバイオレンス過ぎる」
「そ、それは、ちょっとオールトさんの態度が気に入らなくて……ごめんなさい」
「うん、オブライエンはきちんと謝れるから偉い。そしてごめん。もう少し大々的に褒めてやれば俺も指は折られなかった」
オールトはそう言うと丁寧に頭を下げる。
「……とりあえず、オールトさんは命の恩人ですし、私の気が済むまではタダで身体のケアをしてあげますよ!」
「ありがとう。実は持ち合わせがないから助かる」
ネムがここまで甲斐甲斐しくオールトを逃がしてやったのは、牢屋の中庭で助けられた恩義からだった。そうでなければ、山の中に逃げ込んだ時点で別れていただろう。自治領レリベウスの追手は、オールトが目標なのだから。
「でも、俺は大丈夫だ。だって身体は自分で元通りにできる」
「あっ……」
自分の能力を認めさせ、得意になっていたネムはその言葉で顔を強張らせる。
オールトの言う通り、彼は自分の身体をケアするのに他人の力を必要としない。ネムも昨日の戦いを見ていたのだから知っていたはずだったが、自分の力をわからせたい一心で忘れていたようだ。
「それに、恩返しはもうしてもらった。ここまで逃げられたのはオブライエンのおかげだし」
「いやいや、その程度じゃ恩返しの内に入らないんですよ!」
「木の実もくれた」
「足しにもなりませんって!」
どうやらネム・オブライエンという少女はかなり義理堅く、頑固な性格のようだ。自分が納得行くまで恩返しをしたい、と言ったところだろう。オールトとしては、そこまで見返りを求めるつもりもないのだが。
「うー……何か大きなお返しが出来るまでは、同行させてもらいますよ」
「そうか。じゃあ、しばらくよろしく、オブライエン」
「はい! よろしくお願いします!」
何とも奇妙なことになったと思いつつも、旅に同行してくれる人間がいてくれるのは正直少し嬉しいオールトであった。
オールトとネムは、更に山深くへと入っていく。今はとにかく、自治領レリベウスから離れるのが最善の行動と言えよう。
「ところでオールトさん、逃げる当てはあるんですか?」
「ないぞ」
よく今まで話題に上らなかったと言えるネムからの問いに、オールトは簡潔に答える。
「申し訳ないんですけど、私にもありません。多分、小さな村でも私の指名手配書がありますし」
「あっ、そう言えばあの街で見た掲示板に、オブライエンの人相書があったな」
オールトはネムの話を聞き、酒場の前にあった指名手配書を思い出した。犯罪者とは思えぬほど幼い少女だったため、印象に残っていた一枚だ。
「えぇ、私こう見えて有名人なんですよ」
「そうだったのか。となると、適当な街や村で補給するのは難しいな」
逃亡生活をずっと山の中で、というわけにはいかない。最大の理由は、やはり食糧だろう。先ほどはネムが木の実を見つけられたが、いつでも食べられるものにありつけるとは限らないし、木の実だけでは体力がもたない。
もっとも、死者同然であるオールトにそう言った補給が必要かどうかは彼にもわからない。どちらかと言うとネムの問題だ。
「よし、そういうのは俺がやる。オブライエンは山の中で俺の帰りを待ち侘びる役を頼む」
「……いや、多分オールトさんも指名手配されてるでしょ。領主様を殺した扱いなんですから」
「詰んだなこれは」
食料の確保はオールトが思っていたよりも難しい。というより、オールトの現状に対する認識が甘過ぎるのでは、とネムはこの上なく不安になる。同時に、自分がしっかりせねばと気持ちを引き締める。
「よく考えたら、俺は指名手配されてないのに酒場のマスターにハメられて捕まったんだった。おつかいは最初から無理だ」
「それじゃあ、ずっと追われていたんですか? いったい何をしたんですか、オールトさん」
「記憶が曖昧であまり覚えていない。とりあえず、シェルスティアから出ただけだ」
オールトの答えを聞き、ネムは眉を顰める。
「は? シェルスティアから出た? あの燃えてたところで間違いないですよね?」
「うん。俺の故郷だ」
「まぁ、あの国の王子様なんだからそうなんでしょうけど……じゃ、じゃあ、急に炎が消えたのは、オールトさんが?」
「そこが曖昧なんだ。俺が消したのか、消えたから俺が出られたのか」
ネムは混乱しつつも頭をぐるぐる回し、必死にオールトの言葉からその時の状況を整理しようとするが、考えれば考えるほどに意味がわからなくなり、混乱には拍車がかかる。
「け、結局オールトさんは何者なんですか」
「うーん、あの炎で焼かれたものの、灰の塊」
的確な表現は、これしかない。
ネムはその回答を受けて首を限界まで傾げるが、無理矢理納得したかのように頭の位置を戻す。
「……まぁ、オールトさんが追われていた理由はわかりました。ディカナイ王国はシェルスティアをずっと監視していましたし」
「そうなのか」
「えぇ、他国があの街を調べないよう近付く人間を排除して、情報を独占していたらしいですよ」
「詳しいんだな。オブライエンは若いのに物知りだ」
「あくまで噂です。あの炎が外に漏れて延焼でもしたら問題ですから、魔術防壁で防いでただけって話もあります」
確かにネムの言う通り、消えない炎など誰かが管理しなければ世界が危険に晒されるだろう。隣国であったディカナイ王国にとってははた迷惑な話だが、何らかの対策は必要だったはずだ。
「私も燃えるシェルスティアがどんなもんか、一目見てみようと思ったんですけどね、炎は消えてるわ捕まるわで最悪でした」
「ごめん、俺のせいだったか」
「それもよくわからないんでしょう? 過ぎたことですし、いいんですよそんなことは」
「オブライエンは寛容だな」
ネムが捕まった理由は、少し間の抜けた話だった。指名手配犯でありながら物見遊山で捕まるというのは、もしかして逃亡生活に疲れた末の行動だったのかも知れない。
「とにかく、今はオールトさんの話です。よくわからない存在ってことだけはわかりました」
「気味の悪いヤツでごめん。でも、気はいいヤツだって宮中でよく言われていたから、性格に問題はない」
「自分で言いますかそういうの……生きてるのか死んでるのかわからないやたら滑らかに動く彫像みたいですけど、不思議と気味の悪さは感じていませんから、安心してください」
「よかった」
オールト・セカンスターは死者だ。あの炎の中で一度死に、その後に何かが起きて、今のオールトとなった。ネムはオールトという不可思議な存在をそのように分析する。もっとも、それも今の段階では、だが。
しかし、死者は動かないというのは常識だ。何者かの操作を受けているのなら別だが、オールトは明らかに意思を持ち、自律行動を取っている。当然、術者らしき者の存在も、これまで影も形もない。ならばそれは、生きているのと変わらない。
魔人というのは常識を超越した存在とは言え、オールトは魔人という範疇すら超えているのでは、とネムは思う。
「あ、でもオールトさん、私を助ける時に死体を操ったって言ってましたけど、あれも本当なんですか?」
「本当だぞ」
「気味の悪さが一段階上がりました」
「言わなければよかった」
死を曖昧にする魔人。それがオールト・セカンスターだ、とネムは結論付ける。
その力には計り知れないものがあるだろうし、どうやってその力を身につけたのかも一切不明だ。
ネムは自身が持つ生来の好奇心を揺さぶられていた。恩返しをしたいと言うのも本心だが、ここまで聞いてオールトに多大な関心が生まれたのだ。
しばらくの間は、離れられそうにもない。ネムはつまらない逃亡生活に潤いを見出すのだった。




