第2章 消失②
――もやもやした気持ちを抱えたまま、1週間が過ぎた。その間、誰のスマホにもすべっタローから連絡はなかった。
音環は2か月後に控えた異動のための準備を進めていた。5月の連休中にシステムの統合を行う。それまで、ぎりぎりまで顧客訪問を行い、引き続きの取引をお願いして回る。
貸し付けた顧客に対する再審査は問題なく済んだ。もともと、融資は厳しく設定していたためだ。合併が決まった時に一度、そして再審査が終わった時に一度、貸付をした顧客の元に足を運んだ。もちろん、再審査は内々の手続きなので内緒だ。
吸収する側の太鼓判を貰ったのは大きい。このまま、滞りなく返済を続けてくれれば、新銀行も今までとほぼ同じ条件で取引するだろう。
黒字で、営業成績も堅実なのに吸収される。ひとえに、規模が小さいからだ。
『審査は厳しかったけど、おかげでどこに無駄があるか分かったからね』
助かったよ、と言った経営者の寂しそうな顔が目に焼き付いて離れなかった。
データ移行や書類の整理など、思った以上に時間が取られた。
すべっタローと連絡が取れないのが気にはなったが、考え続ける時間はなかった。
何とか頼み込んでもぎ取った土曜日の休み。音環は門亜と待ち合わせて喫茶店へと向かった。
重そうなドアを開けると、チリン、とベルが鳴った。門亜は5か月前、伯父と交渉をしにここの喫茶店へ来たことを思い出した。
上品な、シックなトーンの赤い絨毯が、目に入った。柔らかな上品な色で統一されていたんだ……。
美しいな、と門亜は思った。前に来た時は、風景を見る余裕なんてなかったよ。それにしても、この前といい、今日といい重要な話をするときほどここにきているような気がする。
きょろ、きょろ、と店内を見回す門亜に音環は
「ここ、落ち着いていていいだろ。商談でよく使っていたんだ」
とポツリ、と言った。
「こういう場所、落ち着くよね……」
「今日のような日は、こういうところの方がいいかと思って」
門亜はソファに身を沈めた。
音環はメニューを門亜に渡すと、
「ここ、ナポリタンがおいしいんだ。でも時間がかかるんだよ。じっくりソースを作るから」
と言い、
「後少ししたら、全部で4人になるので、先に作っておいてもらえますか?」
と音環はウェイターに頼んだ。
「飲み物は……そんなに時間がかからないから、もう少しみんなを待ってみるか?」
と、音環が門亜に声をかけると、チリン、とドアベルが鳴ってカジュアルな服装の男が2人、入ってきた。
「大河、こっち」
音環は手をあげた。
「音環、よくこういう所知ってるな。あ、カズヤはちょうど手前で会ったんだ」
大河はそう言うと、音環の向かいに座った。続いて、お久しぶり、と言いながらカズヤもソファに腰かけた。
「ごめん。みんなの分のナポリタン、頼んじゃったよ。時間かかるし、メニューも後はサンドイッチなんだ」
飲み物はまだ頼んでないよ、と音環は続けた。
「じゃ、俺はアイスコーヒーで」
大河が言うと控えていたウェイターが注文を取りに来た。
「俺はホットで。……カズヤは?」
音環はカズヤに聞いた。
「……僕もホット。」
門亜は紅茶を指さした。
「ホットのミルクティをお願いします。……門亜、自分で言えよ」
音環に言われて門亜はプイ、と横を向いた。仕方ないなぁ。と言うように音環は苦笑した。
和んだかに見えた空気は、一瞬だけだった。その後、誰が一番に口を開くか。まるで牽制をしているかのように静かになった。
飲み物が運ばれてからも沈黙は続いた。
クラシックのバイオリンの音が優雅に流れているのだけが聞こえていた。
大河のアイスコーヒーの氷が解け、上にうっすら水の層が出来始めたころ、大河は堪えきれなくなったようにアイスコーヒーを口にした。
その様子を見た、カズヤは観念したように言った。
「卒業写真、見てくれたんだよね」
ああ、と音環は短く答えた。
「小学校の卒業写真にはいなかった。中学校のにも……クラスを勘違いしているかもと思って全部の写真を見たけど、すべっタローはいなかった……」
そう言うと音環は持ってきた卒業アルバムをテーブルの上に出した。
「僕は、中学は越境して大河たちと一緒の中学に行っていたからわからないんだけど……。修学旅行、すべっタロー行った?」
突然、カズヤは音環たちに質問をした。
音環は遠い記憶に目を閉じて思い出していた。
中学校の修学旅行……東京方面だったな。ディズニーランドだった記憶があるが……。
「覚えていないけど、すべっタローと行動した記憶がないな……」
音環はつぶやいた。
いつもならなんだかんだと寄ってくるすべっタローが来なかった。クラスが違うから気にしていなかったが……。
「熱が出たらしくて休んだんだよ。お土産買って持って行ってあげたじゃん」
門亜が言った。
そうだった。音環は門亜の言葉に記憶がつながった。
「やっぱりそうだよね。高校の時もそうだった」
そうだ。高校の時の修学旅行も、直前になってインフルだったか熱を出して数日休んだんだっけ。
音環の記憶に、思い出が1つ1つつながって行った。
その時だった。
第2章②公開しました。
ここの喫茶店はこの後も出てきます。
大事な話をするとき、壊れかけた関係を修復するとき。
案外、この喫茶店は彼らの重要な時間を見て来たのかもしれません。




