第6章 足跡②
大河は音環の言葉にうーん、と言いながら答えた。
「明日でもいいぞ。今日の様子なら、門亜も俺を忘れないだろ。ただ、早く帰ってきてくれ。遅いと、置いて行かれたと暴れるかもしれない」
いいのか?というような目線で音環は大河を見た。
「じゃ、俺、今のうちに明日の昼ご飯のおかず買ってきちゃう。大河は魚大丈夫だった?なんか、門亜、魚ばかり食べたがるんだ。骨もあるのにさ」
そう言うと、音環は財布を持った。
「歩いてすぐの魚屋だから、ごめん。大河、門亜見てて。寝ているときはホントにおとなしいからさ」
音環はリビングを出ると和室のふすまをそっと開けて門亜の様子を見た。門亜は枕を抱いて眠っていた。左手の点滴のラインを確保した後のガーゼの後が痛々しかった。
翌日。大河は大分早い時間に音環の家にやって来た。
門亜はジャージ姿のまま目をこすっていた。
「じゃあ、門亜、俺出かけてくるから。大河兄さんと一緒に留守番していて。お昼ご飯も大河兄さんが作ってくれるからね」
音環は、仕事に行く時と同じように、門亜の両手を持ってじっと目を見ながら言った。門亜はうなずくと、和室に戻って行った。
「昼前に先生が点滴を打ちに来てくれる。ごめんね。色々とお願いしちゃって」
色々細かく言う音環に、いいから行ってこい、と大河は言うと、音環は後ろを振り返りながら車に乗った。そしてガレージから車を出すと、そのまま走りだした。
――門亜は暴れていないか。大河を困らせていないか。
走り出してしばらくすると、音環は信号待ちの都度スマホをひっくり返した。そして何の通知も入っていないことが分かると、再び背面を上にした。
そんなことを数回繰り返した後、いつの間にか車は信号が少ない海沿いの道を走りだした。
雪の季節じゃないから、視界もいいし、あっという間に進むな。
音環はちらり、と右手の海に視線を向けた。あの時は離れていても引きずり込まれるんじゃないかとひやひやしたけど、今日は……青くて穏やかだ。
こんな時期を選べばよかったのにさ。音環は極寒の奥入瀬渓流に行こうとしたすべっタローの顔を思い出した。いや、子どもの霊だって言ったって、何年俺たちと一緒に過ごしてきたんだよ。
吹雪でゆっくりソロソロと走っていた道も、今は順調に流れていた。オレオレ詐欺犯を追いかけるなんて、無茶したな……俺たち。
あの時はすべっタローは大河のじいさんたちを乗せて後からついて来ていた。大河だ空河だと騒ぐじいさんたちに、すべっタロー、運転していて大変だったろう。
先にじいさんたちを帰さなくちゃいけないからって、どこにも寄らずに帰しちゃったよな。悪いことしたな……。
えー、と言いながら寂しそうな目線を送るすべっタローの顔が浮かんできた。
チクリ。心臓を針で突いたような痛みを音環の中で感じた。
竜飛崎へは2時間ほどで到着した。扇島の手前の駐車場に車を停めると、降りて海を眺めた。空が群青色に染まりだして、本格的に夏が近いことを告げていた。
「すべっタロー!」
音環は海に向かって叫んだ。
何故だか声が届くような気がした。ここは、津軽の最北端だ。さらにもう一度音環は叫んだ。
ミストを含んだ潮風が、音環の頬を濡らしていった。打ち付ける波が細かく散って、時折音環にかかっていた。あの時と違うのは……どんなに濡らしても体を冷やしていかないことだ。あの時は凍り付くようだったな……。
はは、と軽く音環は笑うとうつむいた。
いないのは……わかってる。それでも「おうい、こっち」と門亜の伯父たちを誘導した、間延びしたすべっタローの声が聞こえるような気がした。
風の音が幾分和らいで、変わったことを感じた。……後ろに誰かいる。音環は耳を澄ませた。
「前にいらした人かね」
音環が振り向くと、オレオレ詐欺犯を取り押さえるのに世話になったジ様がいた。
眼光の強さは相変わらずだった。
「お久しぶりです」
音環は頭を下げた。
「今日は1人かの」
「はい……」
音環はうなずきながら答えた。このジ様はすべっタローは覚えているだろうか。いや、軽トラののんびりした……と言えば通じるだろうか。
「名前を叫んでいたようじゃが……誰かいなくなったのかね?」
ジ様は言った。そして、音環が答える前に続けた。
「軽トラで来た……彼かね?」
音環はジ様の言葉に驚いた。ジ様は覚えてくれていた。でも……何故?すべっタローがいなくなったとわかったんだ?
不思議な気持ちで音環は説明をした。
「すべっタロー……いきなりいなくなったんです。小学校の時からずっと一緒だったんですけど、まるで存在しなかったように突然……」
音環は言葉が止まらなかった。はたから聞けば、不思議なことを言っている、と思われるはずだ。自分でもわかってる。ただ、目の前で起きたことだから……言えるだけで。
ジ様は音環の言葉をじっと聞きながらうなずいていた。その姿に、音環はジ様は何か知っている、とうっすら感じていた。
「急にいなくなってしまって……。連絡先も、今までやり取りしてたメッセージも消えたり書き換えられたりして……。いないことになってしまっているんです……」
大河たち以外に初めて他人に話したことに気が付いた。いる、いない、覚えている、記憶にない……それ以外の言葉を、俺はこのジ様に話している。
第6章②です。
竜飛崎の駐車場にいる音環のそばに1作目SAKIOTTEで出て来たジ様がやってきました。
お年寄りの方って、寄り添ってくれると何故か閉ざしていた口を開いてしまいます。
不思議な魅力をたたえているように思います。




