第8話:波乱の予感
SRE-SREはドロップアイテムである『巨像の心臓』を回収すると、魔法陣の輝きに身を投じ、一度拠点キャンプへと戻りログアウトを選択した。
*
視界がホワイトアウトし、次の瞬間、使い古されたVRヘッドセットの重みが首に伝わった。
現実世界の自室。カーテンの隙間から差し込む朝の光が目に痛い。
「……あー、腕が重い」
フルダイブ環境とはいえ、脳が受けた疲労は肉体にもフィードバックされる。
結弦はふらつきながらキッチンへ向かい、適当なインスタントラーメンを啜りながらスマホを開いた。『アビス・オンライン』の公式掲示板のチェックだ。
そこで、一つの特設バナーが彼の目に飛び込んできた。
【期間限定イベント:『無尽の闘技場』開催決定!】
「イベント……?」
内容をスクロールする。約一週間後、全プレイヤーを対象とした生存競争イベントが開催されるという。次々と現れるモンスターの群れ(ウェーブ)を、どこまで倒し続けられるかを競うランキング形式。進むほどに難易度は加速度的に跳ね上がる。
「面白そうじゃん。報酬は……いくつかのアイテムと、称号とかか」
結弦の目がゲーマー特有の鋭さを帯びる。だが、詳細の最後にある一文を見て、彼は箸を止めた。
【※参加資格:第5階層を通過したプレイヤーのみ】
「第5層通過が条件かよ……」
現在の結弦は、ようやく第3層を越えたばかり。
あと一週間で、未知の第4層、そしてその先の第5層を突破しなければならない。
「……やるしかないか」
反射的にVRヘッドセットへ手を伸ばしかけたが、流石に身体が鉛のように重い。あんな死闘を演じた直後だ。無理をしても効率が悪い。
「……一眠りしてからだ。待ってろよ、バトルステージ」
結弦はスマホを放り投げると、そのままベッドに潜り込んだ。
*
翌日。
十分な睡眠と食事を摂り、コンディションを完璧に整えた結弦は、再びアビスの地へと降り立った。
第3層の拠点にある転移門の前。
SRE-SREは行き先リストに追加された新しい項目を選択した。
【転移先:第4階層・入口】
視界が青い光に包まれ、体が浮き上がるような感覚。
次の瞬間、暗く湿った洞窟の空気は消え、頬を撫でる「強い風」の匂いへと変わった。
「……これが、第4層か」
眼前に広がったのは、どこまでも続く真っ青な空。
そして、その虚空に点在するように浮かぶ、無数の『浮遊島』だった。
洞窟という閉鎖空間から一転、視界を遮るもののない解放感。島と島の間には、白亜の石造りの橋が幾筋も架けられており、天空に描かれた幾何学模様のように美しい。
一見すれば、馬車でも通れそうなほどに頑丈で安定した道だ。だが、SRE-SREはその橋の欄干に手をかけ、眼下に広がる雲海を見下ろして小さく息を吐いた。
「……逃げ場がないな、これは」
橋の上は遮蔽物が一切ない一本道。
ここを渡るということは、空を支配する者たちにとって、動く標的になるのと同義だ。
SRE-SREが意を決して石橋に踏み出し、中ほどまで差し掛かったその時。
頭上の太陽を遮るように、巨大な影が高速で横切った。
「キシャァァァッ!」
鋭い鳴き声と共に降下してきたのは、大きな翼を持つ怪鳥――『スカイ・ラプター』の群れだ。
彼らは橋を挟むように左右から旋回し、SRE-SREの首を刈り取りにくる。
「……やっぱり来るか」
SRE-SREは『灰白の蝕鎌』を抜き放ち、低い姿勢をとる。
一羽が弾丸のような速度で突っ込んできた。
SRE-SREはそれを橋の端ギリギリでかわし、すれ違いざまに鎌の湾曲部を怪鳥の脚に「引っ掛けた」。
蝕鎌の『腐食』が怪鳥の翼の付け根を侵食し、バランスを崩した一羽が制御を失って虚空へと消えていく。
だが、休む暇はない。
二羽、三羽と、橋の前後から挟み撃ちにするように波状攻撃が続く。
一歩踏み外せば即座に落下死に繋がるこの場所で、SRE-SREは『空蝉』の残像を使い、怪鳥たちの突撃を紙一重でいなし続けた。
(まともに一羽ずつ相手にしていたら、スタミナが持たない……!)
SRE-SREは欄干を蹴り、大きく宙へ身を躍らせた。
「『跳躍』!」
スキルを発動し、一気に高度を稼ぐ。
本来、地上にいるはずの獲物が自分たちの頭上を取ったことに、怪鳥たちが困惑の声を漏らす。
その隙を見逃さず、SRE-SREは空中で一回転しながら、密集していた群れの中心へと蝕鎌を叩き込んだ。
深緑の腐食霧が空中で爆ぜ、翼を焼かれた怪鳥たちが次々と高度を下げていく。
着地と同時に、SRE-SREはそのまま橋を全力で疾走した。
空からの襲撃を防ぎ、いなし、隙を見ては高く飛んで包囲網を抜ける。
この「天空の回廊」を最短で突破するため、結弦は一度も足を止めることなく、次なる島を目指して駆け抜けていった。
――第30階層『深緑の街』:ギルド【炎姫】本部拠点
結弦が現実世界の自室でスマホの画面を見つめていたその頃。アビス・オンラインの攻略最前線を走る第30階層で、数人のプレイヤーが集まり、会話をしていた。
豪奢な装飾が施されたギルドハウスの会議室。窓の外には30層特有の巨大な原生林が広がっているが、室内の視線はテーブル中央に浮かび上がるホログラムの告知に注がれていた。
「今度のイベントだが、どうする。うちも参加するか?」
重厚な鎧を纏った大男が、低い声で問いかける。その視線の先に座るのは、長い赤髪を揺らし、鋭い眼光を放つ女性。この最前線ギルドを束ねるギルドマスターだ。
「いいえ。我々は今31層の攻略で手一杯よ。これ以上リソースを割く余裕はないわ」
組んだ指に顎を乗せ、冷静に言い放った。最前線の攻略は一刻を争う。端的なその言葉に、反対できる者はいない。しかし、横から身を乗り出した軽装の男が、不敵な笑みを浮かべて口を挟む。
「でもさ、今回の報酬はなかなか良さそうだぜ。あれがあれば31層のボス戦がかなり楽になるんじゃねぇか?」
「それに……」
椅子に深く腰掛け、退屈そうに愛用の杖の先端を指先でなぞっていた少女が、甘ったるい声で続けた。
「タイタンギルドも参加するっぽいよぉ~」
その名が出た瞬間、室内の空気がわずかに震えた。最大手ギルド【タイタン】。そのギルドの動向は、炎姫ギルドにとっても無視できない。
「ふむ……。あいつらが動くとなれば、看板に泥を塗らすわけにはいかないわね。……良かろう。メインの攻略組は動かせないが、20層あたりを周回しているメンバーに参加してもらいなさい」
ギルドマスターの決断に、少女がぱっと顔を輝かせた。
「やったぁ! 私も参加したぁーい!」
「ダメよ。貴女は攻略のメイン火力。勝手に持ち場を離れられては困るわ」
ギルドマスターの冷静な拒絶。だが、そばにいた男が苦笑混じりに助け舟を出す。
「まぁいいじゃねぇか、1人くらい。どうせ今は準備段階で足踏みしてるんだ。こいつをイベントで存分に暴れさせて、ついでに報酬もって帰ってきてもらうのも悪くないだろ?」
「……。わかったわ」
少しの沈黙の後、渋々といった様子で許可をだす。
「やったぁー!」
最最前線の強者たちが、報酬と名声のために動き出す。
この時、結弦と同じく多くのプレイヤーたちが、一週間後に開催される『バトル・ステージ』という狂熱の舞台へ向けて、牙を研ぎ始めていた。




