第7話:ハンマーがないなら
第3階層に足を踏み入れてから、数日が経過した。
SRE-SREは、新たな武器が完成するまでボスエリアへは行かずに、他の場所を散策していた。
その副産物として、彼は3層のボスエリアを除くほぼ全ての隠し通路やモンスターを把握するに至っていた。
「……お、あるじゃんあるじゃん」
鍾乳石の影、普通のプレイヤーなら見落とすような狭い隙間に、鈍く光る箱が鎮座していた。
宝箱――中身は完全ランダムで、一度開ければ別の場所へ転送されるお宝だ。
SRE-SREが蓋を押し上げると、中から出てきたのは金貨でも武具でもなく、一冊の古びた本だった。
「『スキルブック』か。運がいいな」
このゲームにおいて、自らの動きで掴み取る『概念定着』とは別に、消費することで即座にスキルを習得できるこの「本」もまた、極めて高い価値を持つ。
特に強力な攻撃スキルの本ともなれば、現実世界のオークションで数百万円単位の値段がつくこともあるという。
SRE-SREが手にしたのは、【アクティブスキル:跳躍】と記されたものだった。
効果は極めてシンプル。使用後5秒間、ジャンプ力を大幅に上昇させる。
「売ればそれなりの小遣いになりそうだけど……。まあ、いっか。これがあれば戦闘の幅が広がるし」
迷いはなかった。SRE-SREはその場で本を強く握りしめ、青い光の粒子へと変えた。
【スキル:『跳躍』を習得しました】
システムログが流れる。試しにその場で軽く地面を蹴ると、身体が羽根のように浮き上がり、天井の鍾乳石に手が届きそうなほど高く舞い上がった。
空中での制動を得意とする『空蝉』と組み合わせれば、三次元的な機動はさらに加速するだろう。
準備は整った。
SRE-SREは拠点キャンプへと戻り、転移門を使い、始まりの街『アーク』の路地裏へと向かった。
*
鍛冶屋の扉を開けると、熱気と共に、以前とは比較にならないほどの「重い空気」が押し寄せてきた。
奥から現れた老鍛冶師の顔は、数日間の不眠不休を物語るように煤けていたが、その瞳には確かな達成感が宿っている。
「……来たか。約束どうり完成させたぞ」
「ありがとう、親父さん」
「なかなかいい素材を扱わせてもらったからな。俺としても楽しかった、特に、あのルーラーの脊髄とジェリーの粘液の相性はよかった」
カウンターに置かれたのは、一本の剣――ではない。
それは、鈍い灰光を放つ一対の鎌、『灰白の蝕鎌』だった。
持ち手はマッド・ルーラーの脊髄骨。灰白色の骨が持つ特有の「しなり」が、敵の強打を吸収する緩衝材となり、同時に反発力を生んでいる。
そして深緑の波紋が浮き出る刃先には、マッド・ジェリーの腐食粘液が焼き入れされていた。
「これ……」
「ああ。ただ斬るだけじゃない。そいつは相手を『腐らせる』特性を持っている。受け流せば流すほど、相手の鎧も武器もボロボロになるはずだ」
SRE-SREがその鎌を手に取り、軽く回す。
手首の僅かな捻りに反応し、鎌の刃が空気を切り裂く。
そして軽く武器の説明をみる。
【灰白の蝕鎌】
• 武器特性:『腐食の連鎖』
攻撃が命中した際、一定確率で相手に【腐食毒】の状態異常を付与する。
• 効果: 数秒間、相手の「防御力」と「武器耐久値」を減少させる
武器説明を確認すると、空中に『SETTLE』のウィンドウが浮かび上がる。
SRE-SREは迷わず、その文字を指先で弾いた。
横に置いてある『錆びた鉄屑』。そちらは今回、あえて手をつけていない。得体の知れない鉄の塊と、禍々しくも洗練された灰白の双鎌。
その二種類の得物を装備し、SRE-SREは静かにその重みを確かめた。
SRE-SREは鍛冶屋を後にし、転移門へと向かう。
目指すは第3階層の最深部。
松明の光すら届かない闇の先に鎮座する、未知の守護者。
SRE-SREは迷うことなく、再び冷たい洞窟の中へと向かった。
ボス部屋へと向かう道すがら、SRE-SREは『灰白の蝕鎌』の感触を確かめていた。
通路の先から現れた二匹のコボルトを相手に、彼はあえて自分からは動かず、その攻撃を待つ。
一匹が錆びた短剣を突き出してきた。
SRE-SREはそれを鎌の湾曲した部位で軽く受け止め、横へとなぞるように受け流す。
(……なるほど。剣より「引っ掛かり」が強い分、相手の重心を動かしやすいな)
反動を利用し、もう片方の鎌でコボルトの腕を軽く切り裂く。
深くは追わず、効果を観察した。
傷口から微かに深緑の煤のようなエフェクトが立ち上り、コボルトが持っていた短剣の刀身が、僅かに色褪せて脆くなったように見える。
「これが腐食か。一気に倒すより、削り合いで真価を発揮するタイプだな」
派手に斬り伏せるのではなく、一撃ごとに相手の武器や防具の耐久を奪っていく。
その感触を指先に刻み込みながら、SRE-SREは残る一匹を慎重に処理した。
まだ完全に使いこなせているわけではない。鎌という独特のリーチには、特有の死角もある。
だが、この「相手をじわじわと摩耗させる」性質は、自分の戦い方に馴染みそうだ。
結弦は静かに得物を納め、再び歩き出す。
やがて、洞窟の突き当たり、奥には広いエリアが広がっているであろう通路に到着した。
通路の前の前には、一組の先客がいた。
6人編成のパーティー。彼らは何らかの作戦を練っているようだったが、SRE-SREはその構成に妙な違和感を覚えた。
重厚な盾を構えたタンカーが2人。後方に杖を持つ魔法使いが1人。そして残りの3人が担いでいるのは、鋭利な刃物ではなく、巨大な鉄塊を思わせる「ハンマー」だった。
(あんな重い武器、この階層のモンスター相手には取り回しが悪いはずだけど……)
SRE-SREが影から見守る中、彼らは意を決したようにボス部屋へと繋がる通路を抜けていった。
彼らが足を踏み入れた瞬間、空間を遮断するように半透明の「結界」が展開される。アビスにおけるボス戦の常識――戦闘が終了するまで、外部からの干渉も観戦も許されない。
「……待ちぼうけか」
SRE-SREは壁に背を預け、目を閉じて意識を研ぎ澄ませた。
数十分後。
不意に空間を覆っていた圧迫感が霧散し、ボス部屋を隔離していた半透明の結界が、音もなく静かに消滅した。
先に入ったパーティーが勝利して転移したのか、あるいは全滅してリスポーン地点へ送られたのか――それを知る術はない。ただ、再び開かれた通路の奥からは、冷気と共に「まだ何かがそこに居座っている」濃厚な気配が漂ってきていた。
「……お呼びか」
SRE-SREは呟き、蝕鎌の柄を握り直して闇の中へと歩を進めた。
*
広大な空洞の中央。そこに、第3階層の守護者――『巌窟の巨像』が鎮座していた。
SRE-SREがその間合いに入った瞬間、静止していた岩の塊が軋んだ音を立てて駆動する。
ゴーレムは咆哮すら上げない。ただ、巨大な質量が空気を押し潰す音と共に、丸太のような腕を叩きつけてきた。
――ズゥゥゥウン!
SRE-SREは『空蝉』で真横にスライドし、生じた隙に『灰白の蝕鎌』を叩き込む。
火花が散り、金属が岩を削る不快な音が響く。ダメージが入った様子がない。
鎌の刃が岩肌を滑る感触に、SRE-SREは戦慄した。
(攻撃が……通らない。刃が食い込まないのか!)
ゴーレムが周囲の岩石を磁力のように引き寄せ、SRE-SREへと一斉に射出する。
回避不能の弾幕。SRE-SREは『跳躍』で高く舞い上がり、飛来する巨岩を空中で踏み台にして、さらに高みへと逃れる。
「なら、これならどうだ……!」
空中で身体を反転させ、重力加速度を乗せた落下斬撃をゴーレムの頭頂部に放つ。しかし、結果は同じだった。刃先が岩の硬度に負け、弾かれる。
着地の衝撃を殺しきれぬ間に、ゴーレムの追撃が迫る。
逃げ場のない広範囲のなぎ払い。SRE-SREは咄嗟に蝕鎌を盾にするが、凄まじい衝撃に身体が壁際まで吹き飛ばされた。
「ぐっ……、はあ、はあ……」
背中の壁が砕け、視界が火花で明滅する。布服は破れ、ダメージを負う。
そこでSRE-SREは、先ほどのパーティーが「ハンマー」を担いでいた意味を、痛恨の理解と共に思い出した。
このボスは、鋭利な刃で斬り刻む対象ではない。質量で「砕く」べき怪物なのだ。
「あいにく……ハンマーなんて持ってないんだよね」
立ち上がり、蝕鎌をアイテムボックスにしまった。そして、自らの拳を固く握りしめた。
SRE-SREは地を蹴った。
ゴーレムの懐へ、「跳躍」を使用して素早く潜り込む。
振り下ろされる巨腕を『空蝉』で空振らせ、剥き出しになったゴーレムの脇腹へ、全体重を乗せた「拳」を叩きつける。
――ドォォン!
岩肌に、初めて小さな亀裂が走った。
刃が滑るのではなく、衝撃が「芯」まで届いた証拠だ。
「……これだ。これならいける」
そこからは、洗練とは程遠い、剥き出しの命の削り合いだった。
SRE-SREは『跳躍』による垂直機動と『空蝉』の水平回避を組み合わせ、ゴーレムの巨躯を全方位から翻弄する。
隙を見つけては、拳を、肘を、あるいは膝を、執拗に同じ一点へと叩き込んだ。
一撃一撃は微々たるもの。だが、少しずつ岩の結合を弱めていく。
一時間が過ぎたか。あるいはそれ以上か。
ゴーレムの岩肌は、SRE-SREの泥臭い連打によって至る所が砂状に崩れ、ボロボロになっていた。
「あぁ……もう、限界だ……!」
SRE-SREのHPは残り一割。最後の一撃を放つべく、彼はゴーレムの振り上げられた腕を駆け上がり、その顔面へと躍り出た。
全身のバネを使い、渾身の力を拳に集約させる。
「砕けろ……ッ!」
――パキィィィィィン!
直撃した衝撃が、ゴーレムの全身を駆け抜ける。
次の瞬間、巨像は音を立てて崩壊し、光の粒子となって空洞に溶けていった。
*
静寂が戻った部屋で、SRE-SREは膝をつき、激しく肩で息をした。
ボロボロになった手、傷あとが多い身体。
「……ふぅ、拳でボスを倒すなんてな」
自嘲気味に呟きながらも、その口角は上がっていた。
どんなに相性が悪くても、持てる技術の全てを動員して、最後には立っている。その事実が、彼に新しい「強さ」の輪郭を教えていた。




