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第6話:レッドネーム

 第2階層の守護者『マッド・ジェリー』をソロで撃破した結弦――SRE-SREは、『アーク』へと帰還していた。


 ボロボロになった布服をはためかせ、彼が向かったのは、賑わう大通りから一本外れた路地裏にある、煤けた看板の鍛冶屋だ。


「……親父さん、これで何か作れるか?」


 結弦がカウンターに置いたのは、第2階層の精鋭マッド・ルーラーから得た『沼王の脊髄骨』と、守護者から剥ぎ取った『主の腐食粘液』。


 岩のような体格の鍛冶師は、その希少な素材に眉を動かした。


「……ほう。この骨を芯に据え、粘液を焼入れに使えば、なかなかの業物ができそうだが、馴染ませるには数日はかかるぞ」


「いいよ。その間、こいつらのメンテナンスも頼む」


 SRE-SREは愛用の『銀の細剣』と『錆びた鉄屑』を預け、代わりの予備剣を一本調達し、第3階層へと足を踏み入れた。


     *


 第3階層。そこは「洞窟」をテーマにした、閉塞感漂う世界だった。


 光源は等間隔に配置された松明のみ。結弦は予備の剣を手に、暗がりから襲い来る獣人『コボルト』の刺突を、剣の腹で滑らせるように受け流し、その勢いのまま首筋を切り裂いていく。


「……うーん、やっぱり予備の剣だと重心がズレるな。難しい」


 独り言。だが、その直後。

 洞窟の奥から、生々しい「悲鳴」が届いた。

 

 3人組のパーティーが、一人の男に追い詰められている。男の頭上には、血のようにどす黒い「レッドネーム」が浮かんでいた。プレイヤーキラー(PK)。


 この世界でPKをされると、一定期間の『体力半減』や『スキルCT増加』といった致命的なデバフを背負わされる。逆にPKをしてしまうと、一定期間の間名前が赤く表示され続け、死亡した場合ランダムでアイテムをロストしてしまう。


最前線なら、ボスを巡って邪魔をし合うこともあるらしいが、三層でのようなところでのPKはただの嫌がらせに他ならない。


「ははっ、いい声だねぇ! 絶望してる顔、最高だよ!」


 男が振るうのは、幾重にも節が重なった奇妙な蛇腹状の剣。

 助けを求める3人組の視線が、物陰にいたSRE-SREと重なった。


「た、助けてくれ……!」


「……人の邪魔をするのは、あんまり好きじゃないんだけどな」


 SRE-SREは溜息をつきながら歩み出た。


「あぁ? なんだ、その布服。お前も死にたいのか?」


 PKの男が、歪な剣を振りかぶる。蛇腹剣が生き物のようにしなり、予測不能な軌道でSRE-SREの側頭部を狙った。


 ――ガギィィン!


 SRE-SREは予備の剣を垂直に立て、刃の「点」で蛇腹剣の節を叩いた。

 火花が散る。強引な力でねじ伏せるのではなく、最小限の接触で攻撃の軌道を数センチだけ逸らす。


「へぇ、受けるのかよ! なら、これはどうだぁ!」


 男が蛇腹剣を大きく引き絞り、鞭のように叩きつける。

 右、左、上。不規則に乱舞する刃の節。


 結弦は一歩も引かず、予備の剣を独楽のように回転させ、飛来する鋼の雨をすべて叩き落としていく。


 一撃。また一撃。


 蛇腹剣の軌道は複雑怪奇だ。一度防いでも、節がしなり、背後から牙を剥く。

 だが、結弦の集中力は研ぎ澄まされていく。


 5分。10分。


 絶え間なく続く鋼の旋律。SRE-SREのHPバーは、ドット単位ですら微動だにしない。

 掠りもしない。掠らせもしない。


 安物の予備剣は悲鳴を上げ、手元には激しい振動が伝わるが、SRE-SREは眉ひとつ動かさず、すべての攻撃の「点」を打ち払い続けた。


「……っ、なんで当たらない! なんで、一発も……!」

 男の顔から余裕が消え、焦燥が焦げ付く。

 

 蛇腹剣のしなり、節の間隔、男の筋肉の収縮。

 数千回に及ぶノーダメージの受け流し――その継続が、世界の理を書き換えていく。


【――特殊動作の一定精度を検知】

【管理AI『アビス』が、当該動作をスキルとして認定します】


 結弦の足元から、眩い光の粒子が立ち昇った。

 男が最後の一撃を放とうと剣を振り上げた、その刹那。


概念定着イデア・レコードを開始……】

【定着完了。アクティブスキル:『禍断ちの閃景まがだちのせんけい』を取得しました】


 結弦の身体が、これまでの静止を爆発させるような加速で前へと突き出された。

 振り下ろされる蛇腹剣。その「死角」ではなく、あえて正面。


 幾千の攻撃を無傷で凌ぎきったSRE-SREだけが知る、男の剣技の「継ぎ目」。

 結弦は飛来する刃を剣の柄頭でミリ単位で受け流し、その反動のすべてを、予備の剣の先端に乗せた。


「――終わりだよ」


 男の胸元へ、一直線の刺突が突き刺さる。


 敵の攻撃を完全に「完封」し続けた果てにのみ許される、因果を断つ一撃。


「……あり、えない……一発も、掠りすら……させない、なんて……」


 レッドネームの男は、驚愕に目を見開いたまま光の粒子となって爆ぜた。

 その場には、男が装備していた『黒鉄のローブ』がポトリとドロップしていた。布のしなやかさと、金属の硬質さを併せ持つ、この階層では場違いなほど高価そうな装備だ。


SRE-SREは先ほど得たスキルを確認する。


【アクティブスキル:禍断ちの閃景まがだちのせんけい

• スキル種別: 概念定着イデア・レコード系・カウンター専用

• 発動条件:

敵の攻撃をジャストガードした瞬間にのみ発動可能。

■ 効果:因果の反転

受け流した際に生じる相手の攻撃エネルギーを利用し、超高速斬撃を放つ。


「おぉ、いいじゃん」


確認し終えたSRE-SREは3人組のところへと向かっていく。


     *

「あ、あの……本当にありがとうございました!」


 助けられた3人組が駆け寄ってくる。重装備を纏ったタンクの男、弓を背負ったアタッカーの女。そして、複雑な模様が刻まれた美しい杖を握る、魔法使いの少女だ。


「……いや、無事でよかったよ」


「あんな動き、見たことありません。もしよければ、今日だけでも私たちとパーティーを組んでいただけませんか? あなたの戦いをもっと見たいんです」


 少しパーティーに興味を惹かれたSRE-SREは承諾した。


 特に興味を惹かれたのは、魔法使いだった。

 この『アビス・オンライン』において、魔法は少し特別とされている。

 

 本来、このゲームのスキルはプレイヤーの脳と身体の動きが一致した際に「概念イデア」として定着する。しかし、人類の歴史に「体内から火を噴き、雷を落とす」という身体感覚は存在しない。そのため、どれほど強くイメージしても、生身の人間がゼロから魔法をスキル化することは物理的に不可能だった。


 それを解決したのが、彼女が握る「杖」というデバイスだ。

 杖の内部にはあらかじめ高度な「魔法術式」が回路として刻まれており、プレイヤーがその杖を介して特定の詠唱と意識を流し込むことで、システムが外部的に現象を代行・出力する。


「――火球ファイアボール!」


 杖を構え、決められた音節をなぞることで放たれる熱量。それは、プレイヤーが「魔法を放った感覚」を脳に疑似体験させる。すると、「スキル」として扱うことができる。

 ただし、それはあくまで「特定の杖」を装備していることが前提の付与スキルだ。杖を手放せば、その瞬間に魔法の感覚は脳から消え去り、発動は不可能になる。


「……なるほど。イメージの欠落を、道具の記憶で補完してるわけか。面白いな」

 

4人はそのまま松明の光が揺れる第3階層の奥へと深く潜り込んでいった。

湿った空気が肌にまとわりつく鍾乳洞の道中、緊張を解きほぐすように、大盾を背負った戦士――バルカスが口を開いた。


「俺はバルカス。こっちの弓使いがリナで、魔法使いがメイだ。さっきは本当に助かった。礼を言わせてくれ……ええと、あんたの名前は?」


「SRE-SRE。スレスレって呼んでいいよ」

 

 その瞬間、3人の歩みがピタリと止まった。

 リナが目を見開き、メイが握る杖の先が微かに揺れる。


「……スレスレ? あの、第2階層の守護者をたった一人で抜き去ったっていう、あの『SRE-SRE』?」


「あ、そんなに有名なんだ」

 

 SRE-SREが気まずそうに頬を掻くと、バルカスが「やっぱりか!」と声を弾ませた。


「道理で、あの身のこなしだ! 拠点の石碑にあんたの名前が刻まれた時、広場はちょっとした騒ぎだったんだぜ。大手ギルドの連中が青い顔して走っていったのを覚えてる」


「あはは。俺はただ、やりたいようにやっただけなんだけど」


「そんなんで守護者を沈められてちゃ、トッププレイヤーも形無しだね」


 リナが呆れたように笑う。その会話は、暗がりの先から響いた不気味な咆哮によって遮られた。


 ――グォォオオォ……!


 洞窟の壁を震わせ、現れたのは3層の難敵「巌窟羆ケイブ・ベア」だ。

 通常のコボルトとは比較にならない巨体と、鍾乳石をも砕く頑強な爪を持つ。その突進力は、生半可な盾なら一撃で粉砕する破壊力を秘めていた。


「来るぞ! バルカス!」


「応よ!」

 

 バルカスの叫びに、3人が阿吽の呼吸で動き出した。

 バルカスが正面で大盾を構え、熊の突進を真っ向から受け止める。凄まじい衝撃音が響くが、彼は一歩も引かずに踏ん張った。


「メイ、今だ!」


 詠唱と共に放たれた炎が、熊の顔面で爆ぜて視界を奪う。怯んだ隙を逃さず、リナが放った三連の矢が、熊の関節部を正確に射抜いた。

 

 美しい、教科書通りの連携。

 だが、ケイブ・ベアの体力は異常に高く、ダメージを負うほどにその狂暴性を増していく。再び前足を持ち上げ、バルカスの盾を叩き潰そうとしたその時。

 SRE-SREが、動いた。

 

「……ちょっと失礼」

 

 バルカスと熊のわずかな隙間に、結弦が「滑り込んだ」。

 振り下ろされる巨爪。結弦はそれを予備の剣で受け流すのではなく、剣先で爪の側面を軽く叩き、その力のベクトルを地面へと逃がす。

 

 ――ガツン!

 

 自らの怪力によって、熊の爪が地面に深く突き刺さる。

 完全な無防備。SRE-SREはその太い首筋に向けて、予備の剣を一閃させた。

 『禍断ちの閃景』を放つまでもなく、3人が作り上げた「盾の重圧」「火の目眩まし」「矢の鈍足化」そのすべての効果が重なった一点を、SRE-SREが最も効率的な角度で切り裂いたのだ。

 

 断末魔の叫びと共に、ケイブ・ベアの巨体が光の粒子となって霧散する。

 戦闘開始から、わずか数十秒の出来事だった。


「……はぁ。やっぱりパーティーだと、自分でヘイトを稼ぎ続ける必要がないから楽だね」

 

 SRE-SREがケロリとして剣を鞘に納めると、3人は呆然と立ち尽くしていた。


「楽、って……あんた、あのタイミングで入ってくるなんて、正気かよ」


 バルカスが呆れたように笑い、メイとリナも感銘を受けたように顔を見合わせた。

 その後、幾つかの戦闘をこなし、彼らは3層の中間地点にあるセーフティエリアに到着した。


「俺たちはここで一度ログアウトする。スレスレ、本当にありがとう。あんたがいなきゃ、あのPKに殺されてた」


「僕も楽しかったよ。またどこかで」

 

 互いに別れの挨拶を済ませ、3人の姿が光と共に消えていく。

 一人残された洞窟の静寂の中で、SRE-SREは少し寂しそうに立つ。

 

「……パーティー、か。悪くないな」

 

 効率や安全といった言葉では言い表せない、誰かの「リズム」に自分の「リズム」を合わせる心地よさ。

 SRE-SREは一人では決して味わえなかった新しい戦闘の余韻を感じながら、先へと進んだ。

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