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第5話:スライム・ダンス

 現実世界の自室。


 バイザーを外した結弦は、首筋にこびりついた汗を拭い、安物のカップ麺に湯を注いだ。


「……さて。どこでミスったかな」


 彼がデスクに置いたバイザーのサイドボタンを押すと、レンズから青白い光が放たれ、部屋の空中に昨夜のプレイ映像が投影された。


 映し出されているのは、巨大スライム『マッド・ジェリー』に押し潰される寸前の、自身の「死」だ。


「……あー、やっぱり。ここ、着地した瞬間に地面の判定が『毒・粘着』に書き換わってる。これじゃ、どんなに速く走っても足を取られるわけだ」


 攻略Wikiによれば、この第2階層の守護者には『厚皮の防護靴』という重装備で強引に粘着を無効化するのが定石とされている。だが、結弦にとって重装備は、自身の生命線である「機動力」を捨てる行為に等しい。


「重いのは嫌だ。……なら、地面がダメな間だけ、空中にいればいいんだ」


 結弦は麺を啜りながら、スライムが粘液を噴射する放物線の「隙間」を指でなぞり、翌日のイメージを固めた。


翌日。第2階層・拠点キャンプ『澱みの休息所』。


 朝の冷涼な空気を切り裂くように、甲冑を纏った一団が整列していた。


「――いいか。守護者戦とは徹底したリソース管理だ。感情を捨て、効率的なパターンに己をハメろ」


 最前線、30層付近を主戦場とする最大手ギルド『鉄血の騎士団』。その副団長グレイが、将来の攻略組候補となる新兵たちを前に、厳しい訓示を飛ばしていた。プロギルドの放つ威圧感に、周囲の一般プレイヤーたちは遠巻きに息を呑む。だが、その張り詰めた空気の中を、場違いな足音が通り抜けた。


「ふん、ふふん……♪」


 軽い鼻歌。布服一枚。腰にはボロボロの『錆びた鉄屑』。


「(……まだあの装備か。昨日、死んでいたはずだが)」


 グレイの視線が結弦を射抜くが、本人は気づきもしない。解毒薬の小瓶を数本、指先で転がしながら、守護者の間へと続く一本道へと消えていった。


「副団長、あの男……まさかソロで?」


「放っておけ。無謀と蛮勇を履き違えた者は、このアビスでは命がいくつあっても足りん」


     *


 守護者の間。重厚な石門が閉じ、結界の青い光が周囲を遮断する。SRE-SREの眼前に立つのは、半透明の巨躯を震わせる『沼溜まりのマッド・ジェリー』だ。


 ボスがその巨体を歪ませた。予備動作は数秒。


 直後、ボスの体表からバレーボール大の粘液が、散弾銃のように全方位へ射出される。


「おっと……!」


 SRE-SREは一歩踏み出し、飛来する粘液の塊を首を傾けてかわす。地面に着弾した粘液は、瞬時にドロリとした紫の沼へと姿を変え、逃げ場を奪っていく。


 だが、SRE-SREは止まらない。

 彼は汚染された地面に足をつく直前、あえてボスの巨大な側面に突っ込み、その弾力ある体表を蹴り上げた。


「よし、こっちは粘着判定が薄い……っ!」


 ボスの背中に飛び乗ると、そこは常にうねり、形を変える不安定な戦場だった。SRE-SREは『銀の細剣』を逆手に持ち、スライムの体表をサーフィンのように滑りながら、核が透けて見える中心部へと斬りつける。


 斬撃の手応えは皆無。まるで水に刃を通しているようだ。

 

 苛立ったボスが、自身の背中から無数の触手を突き出した。

 上下左右、逃げ場を塞ぐように絡みつく粘液の腕。SRE-SREは跳躍した。空中で、彼はあえて左手の『錆びた鉄屑』を鞘から抜かず、鞘のまま迫りくる触手を叩く。その物理的な反動を利用して、さらに空高くへ。


「そろそろ、本気かな」


 ボスのHPが半分を切ると、マッド・ジェリーがその体積を急激に収縮させた。


 次の瞬間、溜め込まれた圧力が一気に解放される。ボスは数十個の小型スライムに分裂し、広場全体を埋め尽くすほどの密度で、全方位から同時多発的な突撃を敢行した。


 逃げ場はない。地面は毒の沼、空中は殺意を持った弾丸の嵐。

 SRE-SRE空中で一瞬だけ目を閉じた。


「…1回目」


 迫りくる先頭の一体。その突進を、結弦は『錆びた鉄屑』の刀身で、撫でるように受け流した。


 ――キィィィィィィィン!


 鼓膜を刺すような高音が響き、視界の色彩が反転する。


 『刹那の残滓』


 SRE-SREの主観時間は、極限まで引き伸ばされた。

 止まって見える世界の中で、数十体の小スライムが、空中で静止した弾丸のように並んでいる。SRE-SREは、加速した思考でその「軌道」を読み切り、一歩を踏み出した。


 静止したスライムの頭を踏みつけ、さらに隣の一体を足場にする。

 物理演算を嘲笑うかのように、SRE-SREは「空中に留まっているスライム」を階段にして、垂直に駆け上がった。

 

 加速が切れる直前。空中で唯一、守りを持たない「核」がSRE-SRE

の目の前に晒される。

 

「……これで、終わり」


 銀の細剣が一閃。

 加速から解放された反動で、SRE-SREの脳に強烈な負荷が走るが、それよりも早く、ボスの核が音を立てて砕け散った。


     *


 静寂が戻った守護者の間。

 SRE-SREは膝をつき、激しく肩を上下させた。


「……はぁ。疲れた。二回目は使わずに済んだか」

 

 二度目の『加速』を使わずに済んだ安堵感と、極限の集中から解き放たれた疲労が同時に押し寄せる。彼はドロップした素材を無造作に鞄へ放り込むと、ボスの背後に新たに出現した二つの光の渦――「下層への転送門」と「拠点への帰還門」を見つめた。


 本来ならそのまま3層へ行きたいところだが、ボロボロの装備と空腹がそれを許さない。


「……一旦戻るか」


 SRE-SREが「帰還の門」へと足を踏み入れると、その体は光の粒子となって消失した。


同時刻。第2階層・拠点キャンプ『澱みの休息所』。


 中央広場にある階層石碑の前では、依然としてグレイが新兵たちに訓示を垂れていた。


「……アビスにおいて、守護者戦は『作業』だ。イレギュラーを排除し、用意したパターンをなぞる。それが最前線(30層)の――」


 グレイの言葉が、不自然に途切れた。



 石碑を見つめていた新兵たちから、どよめきが上がる。


「……おい、見ろよ。石碑が……!」


 グレイが振り返ると、第2階層の攻略者欄を刻む石の表面が、銀色の光を放ちながら波打っていた。一文字ずつ、深く、鋭く、新たな記録が刻まれていく。


【第2階層・守護者:『沼溜まりのマッド・ジェリー』】

Time: 3:54

Party: 1

Player Name: SRE-SRE


「最速……単独だと? バカな。ボスのリスポーンからまだそこまで時間は経っていないはずだ」


 グレイの眉が跳ね上がる。攻略メンバーが揃うのを待ち、講習を終えたら自分たちが挑もうとしていた。そのリスポーン直後の「獲物」を、名もなき一人のプレイヤーが、それもソロで、自分たちが話をしている数分間のうちに仕留めきったのだ。


 キャンプが騒然となる中、広場の中央にある帰還用ゲートから、一人の男がフラリと姿を現した。

 布服はボロボロに溶け、お世辞にも「強者」には見えない無様な姿。だが、その腰には間違いなく、あのガラクタ同然の『錆びた鉄屑』がぶら下がっている。


「あー、疲れた……。あ、毒消しもう一本買っとけばよかったな」


 SRE-SREは、硬直したグレイや騎士団の面々の横を、何事もなかったかのように通り過ぎる。

 グレイは言葉を発することすらできず、ただその背中を見送った。

 効率を無視し、理論の外側で、たった一人で討伐して戻ってきた男。

 

「……副団長、あの男……」


「……観測を続けろ、カイト。あれは、ただの幸運で済ませられる速度じゃない」


 グレイの低い呟きは、SRE-SREの背中には届かない。

 SRE-SREの頭の中はすでに、まだ見ぬ第3階層の景色でいっぱいだった。

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