第46話:化け物
戦闘は、さらに速度を増していく。
レイピアの切っ先が描く鋭い直線に対し、SRE-SREは『蝕鎌』を盾のように使い、紙一重の距離でその刺突を横へと逃がし続けていた。だが、連撃が重なるごとに、僅かずつ、だが確実に彼の体勢が崩れていく。
高圧に晒され続けた影響か、あるいは鏡面のような石畳が仇となったのか。
一歩、踏み込んだ右足の爪先が、滑らかな床の上で僅かに外側へと流れた。
「――っ!?」
数秒にも満たない、絶望的な隙。対人戦において、それはそのまま「死」を意味する致命的な硬直だった。
彼女は、その空白を逃さなかった。
銀閃が、爆発的な踏み込みと共に放たれる。最短距離を突き抜けるレイピアの軌道は、剥き出しになったSRE-SREの喉元へと、寸分の狂いもなく吸い込まれていく。
回避も、受け流しも、もはや間に合わない。
SRE-SREは最悪の結末を覚悟し、一瞬だけ思考を停止させた。
しかし――。
喉を貫くはずだった銀の冷気は、接触の直前、まるで磁石が反発するかのように不自然な弧を描いた。
突き刺さるはずだった刃は、彼の首筋を数ミリの距離で通り過ぎ、虚空を裂く風切り音だけを耳元に残していく。彼女の身体はそのまま、勢いを殺しきれない様子でSRE-SREの脇を通り抜けていった。
数メートルの距離を取って着地した彼女は、すぐにまた流れるような動作でレイピアを正眼に構え直した。だが、その瞳には先ほどまでの鋭さはなく、どこか気まずそうに視線を泳がせている。
「…………」
喉元に残る、刃の残像。
SRE-SREは何も言えず、その場に立ち尽くした。
今の空振りは、ミスでも、環境による影響のせいでもない。
あの完璧な軌道。あの極限の状態にあって、彼女は明確に「当てる」ことができたはずの刃を、自らの意志で強引に逸らしたのだ。
(情けを……かけられたのか)
「スレスレ」の戦いを自らの矜持としてきた彼にとって、それはどんな一撃よりも深く、その自尊心を抉るものだった。圧倒的な技術の差を見せつけられ、その上で命を拾わされたという事実。
無言で向けられた温情に、SRE-SREの奥歯が軋むほどの悔しさが込み上げる。
(このまま、終わらせるわけにはいかない……っ!)
胸の奥でせり上がる熱い感情を、彼は強引に冷徹な集中力へと変換した。
SRE-SREはゆっくりと腰を落とし、重心を限界まで深く下げる。
彼の周囲の空気が、肌を刺すような鋭い重圧へと変質した。
対する彼女は、相変わらずおっとりとした佇まいのままだった。しかし、その瞳の奥には、先ほどまでの「気まずさ」はもう欠片も残っていない。
彼女にとって、目の前の少年が放つ圧は、明確な「拒絶」であり、同時に「本気で来い」という招待状として届いていた。
「…………あ。……わかりました」
彼女は小さく、独り言のように呟いた。
彼女がレイピアを正眼に構え直した瞬間、彼女の纏うオーラが、柔らかな綿菓子のようなものから、触れれば命を刈り取る研ぎ澄まされた薄氷へと切り替わる。
おっとりとした微笑みを口元に湛えながら、その眼差しだけが冷徹さを帯びる。
「……行きますよ?」
その一言が合図だった。
「――『無明の境界』」
SRE-SREの呟きと共に、視界が様々な情報が溢れる映像へと塗り替えられた。
本来、このスキルは敵が放つ攻撃の「予兆」を白光の射線として視覚化する。だが、彼女が踏み込んだ瞬間、SRE-SREの脳裏に走った衝撃は理解不能なものだった。
(……書き換えられてる!?)
一度視認したはずの刺突のラインが、彼女の踏み込みの途中で不自然に歪み、別の軌道へと再構築されていく。ただ速いだけではない。彼女は踏み込みの数秒の間で、自身の重心を微細に操作し、攻撃の終着点をリアルタイムで書き換え続けているのだ。
読み切れない。ならば、強引に「読ませる」しかない。
「『跳躍』ッ!」
SRE-SREは敢えて正面から、垂直方向へと跳び上がった。
空中。回避手段が極端に制限される、あまりにも無防備な機動。
「……隙あり、です!」
彼女がその絶好のチャンスを逃すはずもなかった。最短距離。文字通り銀の閃光となったレイピアの切っ先が、空中のSRE-SREの胸元を確実に捉える。
だが、これこそが一点突破を誘うための「第一の罠」だ。
「――『空蝉』」
貫かれる直前、SRE-SREの実体が陽炎のように揺らぎ、背後へと剥離する。
空中に残されたのは、実体と見紛うばかりの高精度な残像。彼女のレイピアがその虚空を貫く間に、背後へ回った本命の『蝕鎌』を叩き込む――それが「第二の罠」のはずだった。
しかし。
「……読んでますよぅ!」
彼女の身体が、物理法則を無視したような鋭さで旋回した。
突き出したレイピアを引き戻すことすらなく、その勢いを旋回エネルギーへと転換。彼女が放ったのは、単なる一突きではなかった。
「『白銀の連華』……っ!」
銀閃が幾重にも重なり、空間を面で埋め尽くす。
彼女は残像を無視するのではなく、「残像がある場所」と「そこから逃げる実体がいるであろう全領域」を、まとめて多段突きで刈り取りに来たのだ。
(残像ごと実体を……!? 嘘だろ、このタイミングで対応してくるのか!)
空中で回避を使い切り、逃げ場を失ったSRE-SREの視界を、無数の銀の切っ先が埋め尽くしていく。
文字通りの「詰み」の盤面。
しかし、その絶望的な光景の中で、SRE-SREの口元は僅かに釣り上がっていた。
「……あは、やっぱり化け物だ、あんた」
幾重もの銀閃が咲き誇る。
SRE-SREは空中で身体を丸め、あえて無防備な塊となって落下を開始する。狙うのは、先ほど自分の足を掬った、あの忌々しいほど滑らかな『鏡面の石畳』だ。
「――ッ!」
着地の瞬間、SRE-SREは左手の『鉄屑』を渾身の力を込めて石畳へと突き立てた。
ガギィィィィィィィィン!!
耳を劈くような金属音と共に、激しい火花が散る。
突き立てた『鉄屑』を支点にした、強引すぎる制動。
滑る床を逆に利用し、彼は駒のように回転しながら、地面を舐めるような超低空のスライディングへと移行した。
「えっ……!?」
彼女の驚愕の声が漏れる。
彼女が放った『白銀の連華』は、実体と残像を完璧に捉えるはずだった。しかし、地を這うように懐へと潜り込んでくるまでは計算に入っていなかった。
ヒュンッ――。
鋭い風切り音。
SRE-SREの視界のすぐ上を、白銀の刀身が通過していく。回避距離、わずか数センチ。回避と同時に巻き起こった衝撃波が彼の髪を数本切り裂いた。
「……っ、捕まえた!」
スライディングの勢いを殺さぬまま、SRE-SREは彼女の足元、その懐の最深部へと滑り込んだ。
懐に潜り込まれた。剣士にとって、それは致命傷に等しい。
だが、彼女はやはり只者ではなかった。
「……あ、あはは。……甘い、ですっ!」
彼女はレイピアを引くことを諦め、即座にその柄――重厚な鍔を握りしめた拳を、真下にいるSRE-SREの顔面へと叩きつけた。
剣士の射程を捨てた冷徹な「柄打ち」。
避けられない。だが、これこそがSRE-SREの待っていた「最後の接触」だった。
彼は上体を無理やり起こし、突き出された拳に対し、左手の『鉄屑』を絶妙な角度で迎え撃つ。
――ガキンッ!!
火花が爆ぜる。
拳と盾が噛み合い、互いの質量が一点で衝突した瞬間。
【『刹那の残滓』発動】
世界から、音が消えた。
激しく舞い上がっていた石の欠片が、空中で意思を持ったかのように静止する。
思考の加速。
一秒を切り刻む、SRE-SREだけの聖域。
彼はこの静止した時間の中で、勝利を確信して右手の『蝕鎌』を彼女の喉元へと滑らせようとした。
だが。
(…………な、に……!?)
SRE-SREの背筋に、凍りつくような戦慄が走った。
思考を数倍に跳ね上げ、止まっているはずの世界。その中で、目の前の少女が「動いて」いた。
驚愕に染まっていたはずの彼女の瞳が、スローモーションの中でゆっくりと、しかし確実にSRE-SREの動きを追ってスライドしていく。
それだけではない。彼女の手首が、そして指先が、加速した世界の中で物理法則に抗うようにして、自身の急所を隠すための回避運動を開始していた。
(加速世界でも……まだ動けるのかよ。どんな反射神経してんだ……ッ!)
このまま振れば、届く前に弾かれる。
弾かれれば、加速が解けた瞬間に待っているのは、彼女の刺突による敗北だ。
(……なら、これしかねぇ)
SRE-SREは、右手の『蝕鎌』を振る軌道を修正した。
それは攻撃の最適化ではない。
彼は自らの喉笛を、彼女が立て直そうとしているレイピアの切っ先へと、あえて自ら突き出したのだ。
(避けたら当たらねぇ。……なら、避ける場所をなくしてやる!)
『一撃当てた方の勝ち』。
そのルールがある以上、彼女は「当てる」ことを優先する。だが、もし相手が「自分から当たりに来た」としたら――。
スローモーションの中、彼女の瞳が驚愕に大きく見開かれた。
だが、その一瞬。
躊躇か、あるいはあまりに狂気的な機動に対する、彼女の遅れ。
加速した世界に、決定的な「隙」が生まれた。
(――今だッ!)
SRE-SREは、自身の全神経を右手の指先へと叩き込んだ。
握った『蝕鎌』の刃が、彼女の回避運動を追い越し、吸い込まれていく。
加速が解ける。
「…………っ、は、はぁ……っ」
SRE-SREの荒い吐息が、彼女の顔にかかるほどの距離。
彼女の喉元には、SRE-SREの『蝕鎌』の刃が、文字通り肉に食い込む寸前で静止していた。
「…………一撃。俺の、勝ちでいいですね」
SRE-SREは勝利を宣告した。
「………………」
彼女は瞬きを数回繰り返し、それから「あ……」と小さく声を漏らした。
彼女の顔から戦士の鋭さが消え、いつもの、どこか頼りない「おっとりとした少女」の表情に戻った。
「……あは、……あはは。……完敗、です」
彼女は力なく笑い、レイピアをゆっくりと下ろした。
それと同時に、SRE-SREもまた鎌を引き、一気に膝をついた。極限の集中による反動が、鉛のような重さとなって全身を襲う。
「すごいです。すれすれで……追い越されちゃいました」
彼女は首筋に走った冷や汗を拭い、感心したように、そして少しだけ畏怖を込めた瞳でSRE-SREを見つめた。




