第43話:素材の手がかり
『限界歯車』のメンバーたちと別れた後、SRE-SREは第十一層の拠点都市『群青の遺都』の片隅――人通りの少ない、崩れかけた石造りの縁に腰を下ろしていた。
「さて……もらったデータ、じっくり見せてもらおうか」
インベントリからテッサに渡された情報データをシステムウィンドウに展開する。
空中に浮かび上がったのは、彼らがこの第十一層を駆け回って集めたモンスター情報と、ドロップ品のデータだった。大まかな湧きポイントが記されたマップに、各モンスターの行動パターン、そしてレア素材のドロップ率などが、彼らなりに丁寧にまとめられている。
「……なるほど。大手ギルドのWikiには載ってないような、マニアックな情報まで網羅されてるな」
SRE-SREは感心しながらリストをスクロールし、やがて【地下遺跡・水脈エリア】の項目で指を止めた。
【エリア:地下遺跡・水脈エリア】
・光源レベルが極端に低い暗所でのみエンカウントする個体あり。
・視界不良の中での異常な素早さ。行動パターンの視認困難。
・ドロップ品は不明
「視認困難な素早さ……ドロップは不明、か」
標的は魅力的だ。だが、SRE-SREは少しだけ眉をひそめてウィンドウを見つめた。
問題は「暗所」と「視認困難」という条件だ。
SRE-SREのプレイスタイルは、敵の筋肉の収縮やわずかな予備動作を「目で見て」躱すことにある。視界の悪い地下遺跡での戦闘は、彼にとって相性が悪い。
彼はフレンドリストを開いた。表示されている浪manとL-NAのステータスは、オフ会での話通り「オフライン」のままグレーアウトしている。
(……どうするかな。ふたりが来るまでまで待つか? L-NAの魔法や、浪manに前でヘイトを買ってもらえれば、暗闇でもかなり安定するはずだ)
少しの間、画面を見つめて迷う。
あえて自分から不利な状況に飛び込む必要はない。だが、十層の守護騎士戦で感じた「二人に頼り切って、ダメージをもらうのが当たり前になっていた」という己への戒めが、脳裏をよぎった。
「……いや。安全策ばっかり取ってたら、プレイスキルが錆びつくか」
SRE-SREはウィンドウを閉じ、立ち上がった。
「……よし。とりあえず一人で、ちゃっちゃと様子見に行ってくるか。……一応光源アイテム買っていくか」
『蝕鎌』と『鉄屑』の重量を腰に確かめると、彼は一抹の不安と、それを上回るゲーマーとしての好奇心を胸に、光の届かない地下遺跡への入り口へと向かって歩き出した。
第十一層の辺境。荒涼とした岩場の奥にひっそりと口を開けた『地下遺跡・水脈エリア』の入り口へと、SRE-SREは単独で足を踏み入れた。
石造りの階段を降りきった途端、肌を刺すような冷気と湿った苔の匂いが鼻をつく。
壁には朽ちかけた灯が等間隔に掛けられているが、その光は今にも消えそうなほど弱く、十分な視界をとることはできない。
SRE-SREはインベントリから街で買い込んでおいたランタンを取り出し、明かりを灯した。それでも、淡い光が照らし出すのは、半径数メートルほどの狭い範囲だけだ。
足元には崩落した石柱の瓦礫が散乱し、そこかしこに地下水が溜まった深い水たまりができている。奥からは、水滴が落ちる「ポチャン」という反響音が、壁にぶつかりながら不気味に響いてきた。
「……想像以上に視界が悪いな。足場も最悪だ」
SRE-SREが慎重に歩を進めていると、不意に暗がりからカサカサという異音が響いた。
次の瞬間、瓦礫の影から飛び出してきたのは、地下遺跡を徘徊する『ブラインド・ハウンド』――目が退化した凶暴な猟犬の魔物だった。
「グルァッ!」
牙を剥いて飛びかかってくる猟犬に対し、SRE-SREは冷静に左手の『鉄屑』の面を合わせ、その突進の軌道を斜めに滑らせて逸らす。体勢が崩れた猟犬の首筋に、右手の『蝕鎌』を引っ掛けるように滑らせて対応する。
背後から襲い来るもう二体も、特訓で限界歯車の面々に見せたような洗練された最小限のステップで躱し、難なく光の粒子へと変える。
結果だけ見れば、被弾ゼロの完勝だ。
しかし、戦闘状態を解除したSRE-SREの表情は、決して晴れやかなものではなかった。
「やっぱり、どうしても反応が遅れるな」
彼は、泥が跳ねた自分の足元を見下ろした。
普段のSRE-SREなら、わずかな予備動作を目で見て完全に躱し切る。しかしこの極端な暗闇の中では、ランタンの光が届くギリギリの距離まで敵の輪郭がブレてしまい、視覚からの情報処理が遅れてしまうのだ。
おまけに、洞窟特有の「反響音」も厄介だった。
敵の足音や唸り声が石壁に乱反射するため、音だけで正確な位置や距離感を測ることができない。さらに、回避のためにステップを踏もうにも、不規則に点在する水たまりや瓦礫のせいで、いつものような滑らかなフットワークが致命的に制限されていた。
(今はまだましな速度だから、反射神経とパリィで誤魔化せてるが……)
もしこれが、限界歯車のデータにあった「視認困難な素早さ」を持つ特異個体だったらどうなるか。
視界の悪い暗闇、音を狂わせる反響、足元をすくう泥水。この地下遺跡は、SRE-SREの「目で見て避ける」というギリギリのプレイスタイルを根本から縛り付ける、最悪の環境だった。
「……安全策を取るなら、ここで引き返すのが正解だろうな」
SRE-SREはランタンの取っ手を握り直し、光の届かない水脈の最奥を見据えた。
不利なのは分かっている。だが、限界を超えた強敵と理不尽な環境こそが、自身のプレイスキルを研ぎ澄ます最高の砥石になることも、彼は知っていた。
「上等だ。いい経験になりそうじゃん」
SRE-SREは口元に不敵な笑みを浮かべると、振り返ることなく、暗淵の奥へとさらに足を進めていった。
地下水脈をさらに奥へと進んでいく。
壁には相変わらず朽ちた灯が等間隔で掛けられているが、その光は今にも消えそうなほど頼りなく、手元のランタンがなければ足元の水たまりすら見落としそうな薄暗さが続いていた。
しかし、さらに数十分ほど歩き続けたところで、SRE-SREはピタリと足を止めた。
「……おかしいな」
響くのは、自分の水音と遠くの反響音だけ。
どれだけ奥へ進んでも、モンスターと一切エンカウントしないのだ。先ほど出くわした『ブラインド・ハウンド』すら、パタリと姿を見せなくなった。
いくら何でもエンカウント率がゼロというのは不自然すぎる。
SRE-SREは眉をひそめ、インベントリからテッサにもらった情報データを再び空中に展開した。
【地下遺跡・水脈エリア】
・光源レベルが極端に低い暗所でのみエンカウントする個体あり。
「極端に低い暗所……」
SRE-SREは、自身が手に提げているランタンの淡い光と、壁の朽ちた灯を交互に見比べた。
壁の明かりだけなら、確かに「極端に低い暗所」と呼べるだろう。だが、今のSRE-SREの周囲は、このランタンのおかげで最低限の視界が保たれている。
「……なるほどな。こいつの光が、奴のエンカウント判定を弾いてるってわけか」
システム的な湧き条件を満たしていないのか、あるいはその特異個体が光を嫌って近づいてこないのか。どちらにせよ、標的を誘い出すための答えは明白だった。
SRE-SREは手元のランタンを見つめる。
これを消せば、頼れるのは壁の今にも消えそうな明かりだけになる。先ほどの戦闘で、視界の悪さが自分のプレイスタイルにいかに致命的な隙を生むか、身をもって痛感したばかりだ。
もしランタンを消せば、その影響はさらに酷くなる。敵の予備動作を見てから避けるなど、ほぼ不可能になるだろう。
(……理不尽な条件だ。重装タンクを用意して、出待ちするのが定石だろうな)
だが、今の彼に仲間はいない。
少しの沈黙。ランタンの光が、SRE-SREの口元に浮かんだ笑みを照らし出した。
「ここまで来て、手ぶらで帰れるかよ」
SRE-SREは一切の躊躇なく、ランタンのスイッチを切った。
パツン、と。
唯一の頼りだった光が消え、視界が一気に黒く塗り潰される。
壁の魔導灯の光はあまりに弱く、数メートル先の景色すら濃い影に沈んでまったく見えなくなった。自分の手のひらの輪郭すらぼやけるほどの、圧倒的な暗闇。
視覚が極端に制限されたことで、代わりに聴覚が異常なほど鋭敏になる。
ポチャン、という水滴の音。遠くの風の音。
(さあ、来い……ッ!)
SRE-SREが『蝕鎌』と『鉄屑』を構え、暗闇に目を凝らそうとした、まさにその時だった。
咆哮も、足音もなかった。
ただ、右側の「空気が不自然に揺れた」と思った次の瞬間。
「――ッ!?」
凄まじい質量が、見えない死角からSRE-SREの横腹に激突した。
パリィを合わせる暇すら与えられない。内臓を揺らすような鈍い衝撃と共に、SRE-SREの身体が紙屑のように宙を舞い、冷たい地下水が溜まった石畳へと無残に叩きつけられた。




