第36話:アビス・ジェネシス
豪華なゲストルームの、現実味のないほど洗練された空気に少しずつ慣れてくると、三人は誰からともなく向き合い、軽く自己紹介を始めた。
「じゃあ、俺から行くか。名前は冨樫 京」
浪manは少し照れくさそうに、短く刈り込んだ後頭部を掻きながら続けた。
「普段は実家のボクシングジムで、トレーナーの手伝いをしてる。生徒は少なくて大体暇だけどな」
続いて、結弦が居住まいを正して口を開く。
「俺は佐藤 結弦。普通の大学生だよ」
「大学生か。スレスレらしいっていうか、なんか納得だわ」
京が、自身のイメージと重なる青年の姿に感心したように頷く。
最後に、二人の視線が、部屋の持ち主である少女へと集まった。
「……宮野 玲奈。高校生よ」
「「……高校生!?」」
二人の驚愕の声が重なり、広い室内に反響した。
「おいおい、嘘だろ……。あの高圧的な……いや、しっかりした言動からして、てっきり俺らと同年代か、年上だとばっかり思ってたぞ」
浪manが心底驚いたように目を見開く。
結弦もまた、ゲーム内での彼女の冷静な判断力や容赦のないツッコミを思い出し、目の前に座る年下の少女という事実が結びつかずに固まっていた。
「なによ、悪い? ……それより、外では本名でもいいけど、ここでは今まで通りゲームの名前で呼び合いましょうよ。そっちの方がしっくりくるし」
L-NAが少し機嫌を損ねたように、だがどこか楽しげに言うと、二人は「確かにそうだな」と苦笑しながら同意した。
自己紹介を終えたことで、場の空気は一気に和らいでいく。
「なにか飲み物はいる?」
L-NAが2人に声をかける。
「じゃあ、俺はコーラ……いや、水貰おうかな」
SRE-SREは好物のコーラを頼もうとしたが慌てて水にいい変えようとする。
「ちょっと、何遠慮してんのよ。別にコーラでいいじゃない」
L-NAは訳がわからないといった様子で聞き返した。
「なら俺もコーラ貰おうかな!」
浪manも笑いながらSRE-SREと同じものを頼んだ。
それぞれの飲み物を手にしながら、話題は次第にアビス・オンラインへと移っていった。
ふと思い出したようにL-NAがSRE-SREへと向き直った。
「そういえば……十層の時に借りた『ルナリス』のことなんだけど」
その真剣な眼差しに、SRE-SREは無意識に背筋を伸ばす。
「もしよかったら、あの杖、私に買い取らせてくれないかしら?」
「か、買取……?」
予想外の提案に、SRE-SREは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ええ。あれだけの杖となると、マーケットでも相当な値段がつくはずでしょう? さすがにタダで借りっぱなしにするわけにはいかないし……」
L-NAは指先で顎に触れ、真面目な顔で考え込み始める。
SRE-SREは返答に窮した。確かに自分は決して裕福な学生ではないが、日々の生活やゲームのプレイに困るほど金に困っているわけでもない。
もちろん、手に入る報酬は多いに越したことはないのだが、どうしても拭いきれない違和感があった。
(……同じパーティーの仲間から、ゲームの装備でお金を取るのもなぁ)
長い沈黙が流れる。何も答えないSRE-SREの様子を見て、L-NAは不安げに眉を寄せた。
「……やっぱり、ダメかしら? 大事なものだったわよね」
「いや、ダメってことじゃないんだ。ただ……」
SRE-SREは言葉を詰まらせ、手元の冷えた飲み物を見つめた。商売人のような真似をするのは、少し気が引ける。
やがて何かを決めたように、SRE-SREは顔を上げてL-NAを真っ直ぐに見据えた。
「よし。……決めた。あのルナリス、お前にやるよ」
「えっ、本当!? ……なら、いくらくらい払えばいい?」
L-NAが身を乗り出すようにして尋ねるが、SRE-SREは小さく首を振った。
「お金はいらない。その代わり、条件がある」
「条件?」
「『貸し1』、ってことにしといてくれ。いつか何かで困った時に、力を貸してくれればそれでいい」
SRE-SREの言葉に、L-NAは拍子抜けしたように目を瞬かせた。金銭的な対価よりも曖昧で、けれど確かな「絆」を優先したその提案に、彼女は口角をわずかに上げて頷く。
「……ふふ、いいわ。そういうことなら、話は決まりね。最高の魔法で、利子をつけて返してあげるわよ」
ひとしきり『ルナリス』の件で話がまとまったのを見て、浪manが「そういえば」と新たな話題を切り出した。
「お前ら、例の『アビス・ジェネシス(Abyss Genesis)』の話、チェックしてるか?」
「ああ、半年に一度のあのお祭り騒ぎね。そろそろそんな時期かしら」
L-NAがソファに深く腰掛けながら応じる。浪manは腕を組み、天井を見上げて楽しげに言葉を継いだ。
「今回の優勝はどこになるんだろうな。やっぱり前回王者の『Unlimited』が連覇するのか……。あいつらはマジで隙がねぇからなぁ」
そこから二人の間で、有名ギルドの名前が次々と飛び交い始めたが、SRE-SREだけがポカンとして話についていけていなかった。
「……あの、悪いんだけど、そのアビス・ジェネシスって何だ?」
「おいおいマジかよ!? 知らねぇのか?」
浪manが椅子から転げ落ちんばかりに驚き、身を乗り出して説明を始めた。
「いいか? 『Abyss Genesis』ってのは、日本一のギルドを決める最大級の大会だ。まずはオンラインで大規模な予選があって、そこで全国のギルドが死ぬ気で競い合う。勝ち上がった上位二十チームだけが、華やかなオフラインの本戦会場へ行けるんだよ」
浪manは自分の推しギルドについて熱弁を振るい始める。
「ちなみに俺は、今回こそ『荒獅子』が一番だと思うぜ。なんといってもギルドマスターの『厳門』の、大剣を使った戦闘スタイルがカッコ良すぎるんだ。あの重厚で渋い戦い方は、同じ前衛として痺れるぜ……!」
すると、それに対抗するようにL-NAが鼻を鳴らした。
「ふん、パワー押しなんて芸がないわ。私は『翡翠の宝石箱』の方が上だと思うわね。あそこの魔法使い達の連携を見たことある? まるでパズルを完成させるみたいに鮮やかで、本当に綺麗なんだから」
二人のギルド談義は、先ほどまでの穏やかな空気とは一変し、熱を帯びた議論へと発展していった。
二人の熱い議論を横目で見ていたSRE-SREは、相変わらず話の核となる部分が見えず、手元の飲み物を一口啜った。それに気づいた浪manが、ニヤリと笑って話を振る。
「おい、黙って聞いてねぇで。SRE-SREはどう思うんだよ? 正直、どっちが強そうに見える?」
「ん?いや〜どんな感じなのか全くわからないから、判断できない」
SRE-SREが率直に答えると、浪manは「おっと、そうだったな!」と勢いよく膝を叩いた。
「なら、見せてやるのが一番早いな。ちょっと待ってろ」
浪manは手慣れた様子でタブレットを操作し、室内の壁に設置された巨大な液晶モニターに動画を映し出し始めた。
「まずは『荒獅子』の戦闘からだ。よく見てろよ」
画面が切り替わり、激しい砂塵が舞うフィールドが映し出される。そこには、身の丈ほどもある巨大な大剣を肩に担ぎ、岩のように泰然と構える一人の男――『厳門』の姿があった。
その背後には、彼の動きを完璧にサポートするパーティーメンバーたちが控えている。対峙するのは、百足と蠍を合わせたような巨大なモンスターだ。咆哮とともに、回避不能と思える速度で尾を振り下ろす。
だが、厳門は一歩も動かない。
「見ろ、ここだ」
浪manの声と同時に、後衛の魔導士から強化魔法が厳門に集中する。同時に、遊撃職のメンバーがモンスターの足元を攪乱し、一瞬の隙を作り出した。
その刹那、厳門が動いた。
彼の手にある大剣は、ただの鉄塊ではない。刀身に刻まれた不気味な赤い紋様が光り、大気中の魔力を吸い込んでいく。
厳門が踏み込みと共に大剣を垂直に振り下ろすと、その紋様から爆発的な衝撃波が解き放たれた。それは「斬る」というより、大気の塊を「叩き潰す」ような一撃だった。
ドォォォンッ!
凄まじい衝撃音がスピーカーから響き、モンスターの強固な外殻が、たった一撃で粉々に粉砕される。衝撃波で地面が陥没し、砂煙が周囲を包む。モンスターが怯んだ隙を逃さず、パーティーメンバーが次々と追撃を叩き込むが、最後の一撃はやはり彼だった。
厳門は重厚な装備を感じさせない鋭い踏み込みを見せ、流れるような動作で刃を横一閃に薙ぎ払った。
一撃一撃が致命傷。仲間たちの完璧な援護を受け、ただ壊すことだけに特化したその暴力的なまでの戦闘スタイルに、SRE-SREは思わず息を呑んだ。
「……これが、厳門」
「だろ? パーティー全員が、あの大剣の一撃を当てるためだけに動いてるんだ。重くて渋い。これぞ漢の戦い方よ」
浪manが誇らしげに鼻を鳴らす横で、L-NAは「次は私の推しを見なさいよ。脳筋とはレベルが違うんだから」と、動画の切り替えを促していた。




