第33話:守護騎士 其の5
かつてないほど洗練された騎士の連撃を前に、闘技場の空気は次第に冷徹な絶望へと塗り替えられていた。
「……ッ、このっ!!」
浪manが吠え、死力を振り絞って踏み込む。右拳が騎士の胸甲を狙うが、騎士はわずかな上体の逸らしだけでそれを回避し、流れるような動作で剣の腹を浪manの顔面に叩きつけた。
「がはっ……!!」
衝撃で浪manが石畳を転がる。そこへSRE-SREが『蝕鎌』を閃かせ、騎士の注意を引きつけようと割り込んだ。
だが、騎士は背後を振り返ることなく、逆手に持ち替えた剣の切っ先で鎌の刃を正確に弾き、空いた左手でSRE-SREの胸元を強烈に突き放した。
「……はぁ、……はぁ。クソ、かすりもしねぇ……!」
SRE-SREは立ち上がりざま、震える手でポーションの空瓶を投げ捨てた。
二人はこの数分間、文字通り死に物狂いで波状攻撃を仕掛け続けていた。だが、騎士の銀装甲には、新たな傷一つ刻まれていない。それどころか、洗練された最小限の反撃を食らい続けるたびに、三人のリソースは加速度的に消滅していった。
「……浪man、ポーションは?」
「……ラスト、一本だ」
浪manが苦渋に満ちた声で答える。SRE-SREのストレージも、先ほど投げ捨てた瓶が最後だった。
絶え間なく襲いかかる継続ダメージが、無慈悲に彼らの残り少ないHPを削り取っていく。もはや、騎士の次の一撃を受け流すための余裕も、傷を癒やすための薬も、何一つ残されていなかった。
「……ねぇ、二人とも」
背後で、ようやく上体を起こしたL-NAが、乾いた声で呟いた。その瞳には、いつもの気の強さはなく、底の見えない疲労と諦観が混じっていた。
「……もう、無理よ。不死身を消せば勝てると思ったけれど、……根本的な強さが違いすぎるわ」
L-NAは震える手でルナリスを握り直し、膝をついたまま、闘技場の閉ざされた扉を見つめた。
「……一度、諦めましょう。今の私たちじゃ、この騎士の剣には届かない。……死んで街に戻される前に、作戦を立て直したり……」
浪manもまた、ボロボロになったセンチピード・バインドを見つめ、力なく拳を下ろした。
「……ハッ。俺は『無理だ』なんて言うつもりはない。……だが、エルナの言う通りかもしれねぇ。これ以上は、時間の無駄かもしれない」
前線で盾となり続けてきた男の言葉には、抗いようのない重みがあった。
二人の心は、すでにこの「勝てない戦場」からの事実上の敗北へと傾いていた。
絶望的な沈黙が闘技場を支配し、L-NAと浪manが敗北を受け入れようとしたその時だった。
SRE-SREが、ふっと肩の力を抜き、静かに口を開いた。
「なぁ、二人とも」
その声があまりに平坦だったため、L-NAは闘技場の出口へ向けようとした足を止め、顔を上げた。
「……何よ。早く逃げないと、あの騎士がまた動き出すわよ。戦闘状態が解けてる今がチャンスなの」
「質問。……あと何分あれば、万全とまで言わなくても、再び戦えるところまで回復できる?」
場違いな問いに、浪manが眉をひそめる。
「ハッ、何言ってやがる。……そうだな、ポーションは底を突いたが、自然回復と、エルナの魔力が戻るのを待つなら……最低でも7分、いや、5分ってところか。だが、そんな時間、あいつが大人しく待っててくれるわけねぇだろ」
「7分か」
SRE-SREは短くそう呟くと、ボロボロになった『蝕鎌』を強く握り直し、ゆっくりと騎士の方へ向き直った。
「わかった。……じゃあ、7分。そこで休んでろ」
「おい、スレスレ!? 正気かよ、一人でやるつもりか!」
背後から飛んでくる浪manの驚愕と、L-NAの制止する声を、SRE-SREはあえて意識の外へ追いやった。
一人、静かに石畳を蹴る。
騎士の間合いへと進みながら、SRE-SREの脳裏には、ふと別の思考が浮かんでいた。
(……いつから、ダメージをもらうのが「当たり前」になってたんだ?)
二層のスライムに押し潰され、三層のゴーレムに吹き飛ばされた時。あの時、自分は「仕方ない」と笑っていたはずだ。
だが、自分の原点はそこだったか。
一ミリの誤差も許さず、敵の攻撃を紙一重でかわし、その鼻先で踊るような「スレスレ」の緊張感こそが、自分の戦いだったはずだ。
(いつのまにか、あの二人に頼り切りになってたんだな)
浪manが盾になり、L-NAが後ろから援護してくれる。その安心感にどっぷりと浸かり、自分のプレイスタイルを変えていたのか。
騎士が、静かな殺意と共に剣を構え直す。
SRE-SREは左手の『鉄屑』を引き抜き、その歪な刀身を視界の端に捉えた。
「……悪いけど、7分だけ付き合ってくれよ。騎士様」
鋭利で純粋な集中力が、SRE-SREの神経を再び一本の糸のように研ぎ澄ませていく。
浪manとL-NAが後方に退き、闘技場の中心にはSRE-SREと騎士だけが残された。
静寂の中、騎士がゆっくりと一歩を踏み出す。次の瞬間、銀色の閃光が大気を切り裂いた。
最短距離を貫く、最速の刺突。
SRE-SREはそれを紙一重でかわす。切っ先が胸元を掠め、大剣の風圧が皮膚を叩く。騎士は即座に剣筋を補正し、地を這うような横なぎの連撃へと繋げた。
SRE-SREは『跳躍』を起動し、垂直に舞い上がる。足裏の数センチ下を、石畳を削りながら刃が通り抜けていく。着地の一瞬、騎士は剣を盾のように構え、その面の広さを利用した強烈な体当たりの予備動作に入っていた。
逃げ場を潰すような銀の壁。だが、SRE-SREは後退するのではなく、自ら懐へと一歩踏み込んだ。間合いを強引に潰されたことで、大剣のリーチが死に体となる。その隙を突き、SRE-SREは騎士の肘の内側を『蝕鎌』の石突きで突き上げ、重心をわずかに浮かせた。
騎士は体勢を崩しながらも空中で身を翻し、剣の重さを利用した独楽のような回転斬りを放つ。
荒れ狂う剣筋。しかし、SRE-SREの視界には、その暴力的な旋回の中にわずかな「隙間」が映っていた。
騎士の肩が沈む角度、足首の踏み込み、大気が動く音。それらすべての情報を脳が拾い上げ、軌道を逆算していく。
一閃、二閃。
舞い散る火花と、石畳が砕ける轟音。
その嵐のただ中で、SRE-SREは身体を最小限に捌き、騎士の刃をすり抜けていく。
一ミリ。
頬をかすめた風圧が薄く肌を切るが、ダメージ判定は発生しない。
騎士の攻撃は依然として速く、重い。一瞬でも思考が逸れれば、その瞬間に肉体は両断されるだろう。
SRE-SREは左手の『鉄屑』を固く握り直し、騎士の次の挙動に神経を注ぎ込んだ。
「……7分だ」
短く自分に言い聞かせるように呟き、再び踏み出す。
騎士の大剣が、獲物を確実に捉えるべく再び正眼に構えられた。




