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第32話:守護騎士 其の4

 ボスのHPは確かに減っている。しかし、それ以上に自分たちのリソースと精神が、逃げ場のない熱波の中で限界を迎えようとしていた。


 ジリジリと、確実に敗北への秒読みが刻まれていく。

 SRE-SREは、一度大きく距離を取ると、ストレージから一本の杖を引き抜いた。


 蒼い魔石が埋め込まれた、かつてイベント報酬として手に入れたまま、使い道を見出せずにいた『蒼月の魔導杖・ルナリス』だ。


「L-NA、それを使えッ!」


 SRE-SREは叫びと共に、蒼い光の尾を引く杖をL-NAへと放り投げた。

 回転しながら飛来する杖を、L-NAは困惑しながらも反射的に掴み取る。


「……は!? 何よこれ、ルナリス……? 今さらこんなの貸して、どうしろって言うのよ!」


「回復だ! ポーションだけじゃもう追いつかないだろ!」


「馬鹿言わないで! ぶっつけ本番で使えるわけないでしょ! 私の魔法とは術式も感覚も全然違うのよ!」


 L-NAの叫びは正論だった。本来、この世界の魔法は「杖」というデバイスを介した疑似体験の積み重ねで成立している。


 安全な場所でゆっくりと発動させることは比較的簡単だが、戦闘中に使用するとなると難易度が跳ね上がる。使い慣れた氷晶の杖を捨て、未知の杖で魔法を成功させるなど、正気の沙汰ではない。


 だが、騎士の装甲から放たれる波動が再び強まり、浪manのHPを無慈悲に削り取っていく。


「やるしかないだろ! 他に手が無いんだよ!」


「……っ、もう、失敗しても私のせいにしないでよッ!!」


 L-NAは毒づきながら、使い慣れた実戦用の魔導杖をインベントリに仕舞い、ルナリスを両手で握り締めた。


 その瞬間、ルナリスから、これまでの冷気とは異なる静謐で重い魔力が流れ込んでくる。


 脳裏に浮かび上がるのは、SRE-SREが一度だけ唱えたあの詠唱の文字列。


 一文字のミスも、一瞬の意識のブレも許されない。度重なる『スノー・パイク』の連発でスタミナは底をつきかけており、集中力の限界も近い。


(落ち着きなさい、私……。ただの術式よ。読み解けないはずがないわ……!)


 L-NAは奥歯を噛み締め、震える声を絞り出した。


「『――静かなる銀月、満ちて欠ける理……その光を以て、命の器を潤せ』」


 最後の一節を紡ぎ終えた瞬間、ルナリスの蒼い魔石が爆発的に発光した。


 L-NAの身体がシステムによる硬直で縫い付けられるのと引き換えに、柔らかな蒼光が波紋となって闘技場に広がっていく。


 ――『慈愛の月光』


 その光が肌に触れた瞬間、絶え間ない熱波に焼かれていたHPバーが、目に見えて上向きに動き始めた。


「この魔法は確か……」


 浪manは振り返る。


 そこにはSRE-SREが持っていたはずのルナリスを手に握ったL-NAの姿が。


「なるほど。……助かったぜ、エルナ!」


 浪manが歓喜の声を上げ、再び騎士の正面へと躍り出た。回復したHPと、不安が消し去った気持ちを拳に乗せ、魔力の波動を強引に突き破る。センチピード・バインドの節が激しく鳴り、騎士の重厚な装甲に重い衝撃を刻み込んでいく。


 SRE-SREもまた、癒えた傷と共に地を蹴った。『蝕鎌』を鋭く振り抜き、騎士の足元を狙う。継続ダメージの熱波は依然として吹き荒れているが、ルナリスの放つ蒼光がそれ以上の速度で体力を繋ぎ止めていた。


「一気に行くぞ、浪man!」


「おうッ! 叩き潰してやる!」


 二人の猛攻が騎士を圧倒し始める。不死身の再生を失った銀装甲には、もはや癒えることのない傷跡が次々と刻まれていく。蝕鎌の『腐食』が着実にその耐久値を奪い、浪manの連撃が装甲を内側から粉砕していった。


 しかし、その背後で二人を支え続けていたL-NAは、限界を迎えていた。

 使い慣れないルナリスの使用。そして絶え間ない魔法の発動。スタミナはついに底を突いた。


「……っ、あとは……任せたわよ……」


 L-NAは力なく呟くと、杖を支えにする余裕すらなく、その場に崩れるように座り込んだ。強烈な疲労感が彼女の意識を揺らし、指先一つ動かすことさえままならない。


 だが、彼女が繋いだ「時間」は、確かな形となって騎士を追い詰めていた。

 狂乱のまま暴れていた守護騎士のHPは、ついに残り2割を切って赤く染まり始めた。


 L-NAによってHPを回復させた二人は、赤く染まる騎士の残り僅かなHPを削り取るべく、一気に距離を詰めた。


 声を掛け合う必要はない。浪manが正面から注意を引き、SRE-SREが死角から刈り取る。これまで幾度となく窮地を脱してきた阿吽の呼吸で、このまま一気に決着をつけようと地を蹴った。


 だが、その直前。

 二人は示し合わせたかのように、同時に足を止めた。


「……ッ、何だ……?」


 浪manの喉から漏れたのは、困惑と警戒が入り混じった声だった。

 つい先ほどまで、制御を失った暴れ馬のように魔力を撒き散らし、力任せに剣を振り回していた守護騎士の雰囲気が一変していた。


 荒れ狂っていた魔力の波動は静まり、赤熱していた装甲は冷徹な銀色へと戻っている。騎士はただ静かに、重心を低く保ち、己の剣技を放つ最善の瞬間を待つ。それは暴走による狂乱ではなく、洗練された「武」の構えだった。


「……今更騎士ぶるってか」


 浪manが気合を入れ直すように拳を打ち鳴らし、再び肉薄する。

 その間合いに入った、刹那。


 騎士の放った一撃は、これまでのどの攻撃よりも速く、華麗で、そして暴力的なまでに力強かった。


「がはっ……!?」


 正面から踏み込んだ浪manに対し、騎士は最短距離の「刺突」を放った。それは単なる突きではない。剣の重みを感じさせないほどの鋭い踏み込みと、螺旋を描くような切っ先の回転が、浪manの防御を容易くこじ開ける。


 浪manが反射的にセンチピード・バインドを交差させて受けようとするが、騎士は接触の直前に刃を微かに寝かせ、滑らせるようにガードを無力化した。そのまま吸い込まれるように放たれた石突きによる打撃が、浪manの鳩尾を正確に捉える。


 たじろぐ浪manの隙を逃さず、騎士は流れるような運剣を見せる。


 返しの刀で放たれた斜め下からの斬り上げ。浪manは強引に身体を捻って致命傷を避けるが、続く騎士の動きはもはや予見を超えていた。剣を盾のように構え、浪manの反撃を完全に遮断したかと思えば、突き出された刺突が浪manの右肩を鋭く抉った。


「嘘だろ……隙がねぇ……!」


 横から支援に入ろうとしたSRE-SREも、その絶望的な技量に圧倒される。


 SRE-SREが『蝕鎌』を振るい、騎士の死角を狙った一閃。だが、騎士は背後に眼があるかのような挙動で、剣を自身の背に沿わせるように回し、鎌の刃を鋼の面で冷徹に弾き返した。


 さらに、弾かれた衝撃で体勢を崩したSRE-SREに対し、騎士は円を描くような足捌きで間合いを詰め、峰打ちに近い一撃で彼を浪manの方へと叩き飛ばした。


 二人がかりで挑み、波状攻撃を仕掛けても、そのすべてが予見されているかのように完璧に対処された。無駄のないステップ、死角を許さない精密な剣筋。


 これまで「力」と「速さ」で押してきた守護騎士が見せる、完成された騎士道としての剣。その圧倒的な洗礼を前に、二人はなす術もなく、ただその剣圧に呑み込まれていった。


「……っ、がはっ!」


 騎士の無造作な一振りが、浪manの「不動の挺身」を嘲笑うかのように、重心のわずかな揺らぎを突いて彼を弾き飛ばした。石畳を転がる浪manのHPが削れる。


「浪man! ……クソッ、こっちだ!!」


 SRE-SREが『跳躍』を駆使し、騎士の視界を乱すように三次元的に動く。しかし、騎士は首を動かすことすらせず、剣を自身の半身を守る盾として固定したまま、最小限の刺突でSRE-SREの着地狩りを狙う。


(……一撃も、……一撃も入らねぇ。かすりもしないのかよ……!)


 SRE-SREの『蝕鎌』が空を切り、空振りの隙を突いた騎士の石突きが彼の胸元を正確に打つ。晶鉄のポイントアーマーが衝撃を逃がしきれず、鈍い衝撃が肺を圧迫した。


 二人は息を吐きながら、互いに視線を交わす。目の前の「完成された騎士」という壁は、根性や執念だけで超えられるほど甘くはない。


 ふと、SRE-SREは背後を振り返った。


 そこには、蒼月の魔導杖を支えに、肩を激しく上下させているL-NAの姿がある。彼女の魔法があれば。あの戦場を凍りつかせるような一撃や、あるいは『ルナリス』による再度の癒やしがあれば、この膠着を強引に突破できるかもしれない。


 しかし、L-NAは未だ疲労によって震えている。度重なる魔法の行使と、使い慣れないルナリスによる精神的摩耗が、彼女から再起の力を奪っていた。


「……ハァ、……ハァ。……おい、スレスレ。お嬢様が復活するまで、あと何回、あの剣技を拝めばいいんだ?」


 浪manが折れそうな腕を無理やり構え直し、自嘲気味に笑う。


「……知るかよ。あいつが立ち上がって『どきなさい』って叫ぶまで、一秒だって通してやるもんか」


「……ハッ。違いねぇな」


 二人は、自分たちを敵として冷徹に見定める守護騎士の威圧感に対し、今一度、剥き出しの闘志を突きつける。


 騎士が剣を正眼に構える。


 それは、この十層の試練が、いよいよ真の終局に向かう合図だった。

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