第15話:敗走
「……初めてましてですよね」
SRE-SREは、まるでさっきの騒動など記憶にないと言わんばかりの、完璧な無表情でとぼけてみせた。
わずかに瞬きを多めにして、心底不思議そうに浪manを見つめる。
「いや、 流石に無理があるだろ!!」
浪manは軽くツッコミを飛ばしながら近づいて来る。
一通り騒いだ後、彼は大げさに肩をすくめて、笑いながら砂を払う。
「まあ、いいや。あの状況なら俺も同じことしてたかもしれねぇし。……それに、あの投げっぷり、いいスイングだったぜ。お陰で数秒間だけ空を飛ぶ夢が見れたわ」
「……悪かったよ。でも、先に仕掛けたのはそっちだろ」
SRE-SREが観念したように小さく息を吐くと、浪manは「へへっ」と人懐っこい笑みを浮かべ、改めて右手を差し出してきた。
「ま、それもそうだな! 改めて自己紹介させてくれ。俺は浪man。見ての通りの武闘家だ」
「……SRE-SRE。一応、これでも剣士ってことになってる」
二人は軽く握手を交わすと、自然と話題はイベントの報酬へと流れた。
SRE-SREが11位だったことを伝えると、浪manは羨ましそうに顔を歪めた。
「マジか、お前11位だったのか。俺は16位。……まあでも、報酬の内容は似たようなもんか。俺も100万Gと称号、それにランダムボックスだったぜ」
浪manの話を聞く限り、上位入賞者には概ね同クラスの恩恵が与えられたらしい。浪manが引き当てたのは頑丈そうなオープンフィンガーグローブだったようで、SRE-SREが引き当てた「杖」を見せると、彼は同情交じりの爆笑を漏らした。
「ハハハ! 杖かよ!ソロにはほとんど必要ないな!」
「……笑うな。六層の攻略で使うかどうかも怪しいし、当分はインベントリの肥やしだよ」
浪manもSRE-SREと同じく、この六層に到達したばかりだという。
話してみれば、彼は見た目の軽薄さとは裏腹に、格闘スキルの練度や立ち回りに関しては相当な自信と実績を持っているようだった。
「お互いソロだし、ほら、一応やっとこうぜ」
浪manが操作画面を空中に弾き出し、SRE-SREにフレンド申請を送る。
SRE-SREも、彼のような腕の立つソロプレイヤーと繋がっておくことに損はないと考え、承認のボタンを押した。
「じゃあ、俺はさっそくこの平原のモンスターに喧嘩売ってくるわ。またどっかでな、スレスレ!」
浪manは片手を振ると、野性味溢れる足取りでキャンプの外へと駆け出していった。
一人残されたSRE-SREはこれからどうしようかと、再び静かになった平原の風に当たりながら考える。
「とりあえず、モンスターの様子でもみるか」
キャンプの境界線を越え、腰の高さまである草原へと足を踏み入れる。一見穏やかに見えるその静寂は、第一層のそれとは異なり、肌を刺すような鋭い殺気を孕んでいた。
数分も歩かないうちに、前方の草むらが爆発したように弾け、三体の影がSRE-SREの視界を掠めた。
「――来る」
低く呟くと同時に、『バング・ラビット』がその牙を剥く。第一層の面影を微塵も残さない、筋繊維が異常に発達した二足歩行の巨躯。それが太い後ろ脚をバネにし、頭部の鋭い角を「弾丸」として撃ち出してきた。
「……っ、速いな!」
反射的に身を翻すが、空気を切り裂く風圧が頬を叩く。一際大きな個体の角が、避けたはずの二の腕の肉を浅く削ぎ落とした。
視界の端でHPバーが僅かに明滅する。イベントの連戦による精神的な摩耗か、あるいは六層の洗礼か。SRE-SREは奥歯を噛み締め、体勢を立て直す。
突進の軌道を見極め、SRE-SREはあえて左手の鉄屑を引いた。右手の『灰白の蝕鎌』の石突きに近い腹の部分を、迫り来る角の先端へと「置きにいく」ように合わせる。
ラビットの角が鎌の腹を叩き、火花が散ったその瞬間――。
「――『禍断ちの閃景』」
本来ならSRE-SREを吹き飛ばすはずだった凄まじい衝撃エネルギーが、鎌の刃へと瞬時に転換される。受け流した円運動が、物理演算を無視した最短距離の直線突きへと変貌した。ラビットが「衝突」したという事実を認識するより早く、鎌の先端は既にその急所を深々と刺し貫いている。
加速が解けた瞬間、一体のモンスターが膨大な光の粒子へと分解された。
だが、安息は与えられない。残る二体が示し合わせたように、左右から同時に跳躍した。刺突の姿勢のまま、逃げ場のない空中に投げ出されたSRE-SREを、二本の角が「圧殺」するべく迫る。
しかし、SRE-SREの輪郭が陽炎のように揺らぎ、物理的な実体をシステムから切り離した。
「――『空蝉』」
座標が剥離し、敵の角はSRE-SREが「直前までいた場所」を空しく通り抜ける。慣性を完全に掌握したSRE-SREは、空中で足場がない状態から強引に虚空を蹴り、着地と同時に最後の一体を鎌の腐食で切り裂いた。
だが、勝利の余韻に浸る暇もなく、異変は足元から訪れた。
トドメの一歩を踏み込んだ瞬間、足首に、熱せられた針を突き立てられたような鋭い衝撃が走った。
「……っ!? しまった……!」
草むらに擬態し、死角に潜んでいた蛇のようなモンスター、『グラス・ストライカー』。
牙が食い込んだ箇所から、氷のように冷たいしびれが火花を散らして全身を駆け抜ける。
【――状態異常:麻痺】
視界が不規則に歪み、膝の関節が自分の意志を裏切って崩れ落ちる。そこへ、死を免れていた最後の一体のラビットが、勝ち誇ったような鳴き声と共に再加速した。
「……くっ、……動け……!」
麻痺による強制的な硬直。まともに回避行動すら取れず、ラビットの角がSRE-SREの無防備な腹部に重くめり込んだ。
ミリ、と防具が軋む音が聞こえ、胃の腑が跳ね上がる。肺から酸素が無理やり搾り出され、SRE-SREの身体は草の上を無様に転がった。HPバーは急速に黄色へと変色していく。
ラビットが再び角を低く構え、トドメを刺すための助走に入る。
SRE-SREは麻痺で強張る指先を必死に動かし、地面に『鉄屑』を突き立てて、どうにか上半身を支えた。死力を尽くし、麻痺が引く僅かな隙に、呪いのように重い鎌を振り抜く。
どうにか三体目を仕留め終えたときには、額から流れる冷や汗が視界を遮っていた。
だが、絶望は波のように重なって押し寄せる。
草原の奥から、知性を感じさせる下卑た笑い声が風に乗って届いた。
「ウキャキャキャッ!」
草をかき分け現れたのは、手に石や折れた剣を握りしめた、『グラス・ハイジャッカー』の群れだ。
「……冗談だろ。このタイミングで、猿かよ……」
指先にはまだ痺れが残り、スタミナはつきかけている。今の万全ではない状態で、連携を駆使する略奪者たちを相手にするのは、もはや自殺行為だった。
震える足に鞭を打ち、拠点キャンプの方向へと背を向けた。
背後から飛来する石の風切り音、そして草をかき分ける執拗な足音を振り切るように、SRE-SREは無我夢中で草原を駆け抜けた。
拠点キャンプの光が遠くに見え始め、ようやく背後の気配が途切れる。
「はぁ……はぁ……っ、……冗談だろ」
立ち止まり、膝に手をついて荒い息を吐く。
第一層に似ているなんて、とんでもない間違いだった。あの一体一体が、これまでの階層のボス手前クラスの反応速度と、プレイヤーをハメ殺すための狡猾な連携を持っている。
SRE-SREは震える手でインベントリを開き、先ほど手に入れたばかりの『蒼月の魔導杖・ルナリス』を取り出した。
アイテムを握った瞬間、脳内に直接、冷たい水が流れ込んでくるような感覚。そこには、見たこともない文字列が「詠唱」として刻まれていた。
「……やってみるか」
結弦は杖を構え、その言葉を紡ぎ始める。
「――『静かなる銀月、満ちて欠ける理……その光を以て、命の器を潤せ』」
最後の一節を口にした瞬間、結弦の身体から自由が奪われた。
足元から磁力が立ち昇り、地面に縫い付けられたかのように一歩も動けなくなる。
(……動けない!? これ、完全に無防備だ……!)
頭の中で叫ぶが、身体は鋼鉄の杭で打ち付けられたように静止したまま。もし今、草むらから蛇が一匹這い出してくれば、避けることすらできずに死ぬ。魔法という「現象」を引き起こすための、あまりにも重すぎる代償。
数秒の、永遠に近い静止。
杖の先端の蒼い魔石が呼吸するように明滅し、そこから溢れ出した柔らかな光がSRE-SREの身体を包み込んだ。
――『慈愛の月光』
光が染み込むたびに、麻痺で強張っていた筋肉がじわじわと解けていく。HPバーが、目に見えてゆっくりと伸びていくのを確認し、ようやく身体の拘束が解けた。
「…………っ、……はぁ」
激しく脈打つ鼓動を鎮める。
回復は確かに強力だ。だが、魔法を使っている間、自分はただの「動けない標的」でしかない。
「……これ、ソロじゃ絶対無理だ。誰かに守ってもらわないと、発動前に殺される」
前衛で注意を引いてくれる仲間がいて、初めて成立する力。今の自分には、あまりにも噛み合わないハズレ枠であることを再確認し、SRE-SREは苦い溜息を吐いた。
「……今日は、もういい。一旦戻ろう」
重い足取りで、ようやく六層の拠点キャンプへと帰り着いた。
焚き火の温かさに身を委ねながら、メニュー画面からログアウトのボタンをタップする。
次にログインする時は、装備の新調か、あるいはあの「杖」をどう扱うか、もっと真剣に考えなければならない。SRE-SREの意識は、暗転する視界と共に現実へと戻っていった。




