第10話:バトル・ステージ
イベント当日。
SRE-SREは第5層の拠点キャンプで目を覚ますと、軽く身体を解してログイン状態を維持したまま迷宮都市アークへと転移した。
たどり着いた始まりの街、その中央広場には、普段の攻略用とは異なる禍々しい装飾が施された『イベント専用転移門』が口を開けていた。そこを潜り抜けた先は、イベント限定マップ――通称『無尽の待機所』。
視界が開けた瞬間、結弦の鼓膜を震わせたのは、数千人のプレイヤーたちが発する地鳴りのような喧騒だった。
「おい、見ろよ! 【炎姫】の精鋭部隊だ!」
人だかりが割れ、一団が悠然と歩を進めてくる。
中心にいるのは、身の丈ほどもある深紅の杖を弄ぶ少女――ちゃむちゃむだ。彼女の後ろには、不動の巨躯を誇るガルムや、鋭利な空気を纏ったセリカたちが従っている。最前線の空気をそのまま持ち込んだようなその威圧感に、周囲のプレイヤーからは溜息と歓声が漏れた。
「ふふーん。みんな、ボクの魔法で消し炭になる準備はできてるぉ~?」
ちゃむちゃむが不敵に笑い、杖を軽く振ってみせたその時。
反対側の通路から、規律正しい鉄靴の音が響き渡った。
「相変わらず派手なだけの集団だな、【炎姫】は」
現れたのは、重厚な漆黒の甲冑で統一された一団――最大手ギルドの一角、【タイタン】だ。
リーダーのバズが、背負った巨大な破砕槌を揺らしながらちゃむちゃむを鋭く射抜く。その背後には、金剛の盾を構えたゴルドや、精密機械のような佇まいのハンスたちが陣取っていた。
「あら、バズ。その古臭い鉄塊で、ボクの火力に敵うと思ってるのぉ~?」
「フン、口の減らない小娘だ。戦場に華やかさは不要。必要なのは、揺るぎない規律と防御だ。貴様らのように浮ついた連中から、優勝を奪い取ってやる」
一触即発の煽り合い。周囲のプレイヤーたちが固唾を呑んで見守る中、その喧騒の少し外側で、着実に牙を研ぐ者たちもいた。
「……最前線の連中は元気だね。俺たちは俺たちの仕事をするだけだ」
中堅ギルド【銀の風】。
リーダーのレオンを中心に、ユウや鉄たちが静かに装備の最終確認を行っている。大手のような華々しさはないが、一線級の攻略組としての確かな存在感がそこにはあった。
そんな強者たちがひしめく中で、SRE-SREはといえば。
広場の隅で、彼らが纏う装備の「質感」に圧倒されていた。
(……うわ、すごいな。あの盾。鎧の継ぎ目一つとっても、僕の布服とは天と地の差だ)
自分はこれまで、避けることだけに特化してきた。だが、いよいよこれだけの猛者が集う公式イベントとなると、初期装備のままでは流石に浮きすぎている。いや、浮いているだけならまだしも、防御性能のあまりの低さに、一瞬のミスが即死に直結する恐怖が現実味を帯びてきた。
「……流石にこれじゃ、マズいか」
SRE-SREは少し気後れしながらアイテムボックスを開いた。
そこには、第3層でPKの男を返り討ちにした際、ドロップ品として手に入れた【黒鉄のローブ】眠っていた。
軽く装備の情報を確認する
【黒鉄のローブ】
防具特性
『隠密の残響』
・効果: 装備者の移動音(足音や衣擦れ)を減衰させる。
『死線の防壁』
・効果: 本来なら「即死」するはずのダメージを受けた際、防具の全耐久値を一気に消費して、HPを1だけ残して踏みとどまる。
ただし、一度発動すると防具は「破損状態」となり、修理するまで全ステータスがゼロになる。
SRE-SREはそれを装備した。しっとりとした重みが肩に乗り、見栄えも良くなった。
「……うん、今のボロボロの格好よりはマシかな」
黒いローブを纏い、腰には歪な蝕鎌と、ゴミ同然の鉄屑。
少しだけ「攻略組」らしい佇まいになった結弦が、改めて広場を見渡したその時。
嵐の前の静けさを切り裂くように、空中に巨大なシステムウィンドウが展開された。
広場に集まった数千人のプレイヤーたちが、一斉にその内容を仰ぎ見る。
【無尽の闘技場】基本レギュレーション】
・編成制限: 最大5名までのパーティー編成(1ギルドにつき1チームのみ)。
・武器制限: 使用可能な武器は最大2つまで。
・回復制限: 回復アイテムの使用は1ウェーブにつき1回のみ。
・終了条件: 全ウェーブ終了、または全滅。途中でリタイアする場合、クリア済みのウェーブを記録とする。
「……武器が2つまで? 冗談だろ、予備の杖はどうすりゃいいんだ!」
「回復1回って……ヒーラーがいないパーティーは詰みじゃねぇか!」
会場に悲鳴に近いどよめきが広がる。徹底したリソース管理と、一撃の重みがこれまでの比ではなくなる過酷な縛り。
ちゃむちゃむは「ふふーん、ボクにはこの杖一本あれば十分だぉ~」と余裕の表情を崩さないが、背後のガルムたちは予備の武器をインベントリへ戻し、苦渋の選択を迫られていた。
結弦もまた、腰の三つの獲物に手をやり、困ったように眉を寄せた。
(『蝕鎌』、『鉄屑』、そして『扇子』……。どれも今の俺には欠かせない。……けど、ルールなら仕方ないか)
彼は迷った末、一つの武器をインベントリの奥へと仕舞い込んだ。
画面の最後には、赤い【ENTRY】のボタンが脈動している。
SRE-SREがそのボタンを指先で叩いた瞬間、広場全体が眩い白光に包まれた。
『――全エントリーを確認。バトル・ステージ、転送開始!』
システムのアナウンスと共に、結弦の身体が重力から解放される。
視界がホワイトアウトし、次に目を開けた場所は――空中に浮かぶ巨大な円形闘技場だった。
周囲の観客席には、このイベントをリアルタイムで見守る数万人の視聴者たちのエフェクトが、光の海のようにうねっている。この広大なバトルフィールドには、SRE-SRE一人しか立っていない。どうやら各パーティーやソロプレイヤーごとに独立した「ステージ」が用意され、その様子が中継されている仕組みのようだ。
「……なるほど。完全に一対多の状況ってわけか」
SRE-SREは周囲を見渡した。空中に浮かぶ巨大なモニターには、他のステージの様子も映し出されている。
ド派手な火柱を上げてモンスターを焼き払うちゃむちゃむの姿や、鉄壁の陣を敷いて一歩も動かずに敵を粉砕する【タイタン】の重厚な戦い。それらが映るたび、光の海から凄まじい歓声が沸き上がる。
対して、SRE-SREが転送されたステージの注目度は、現時点では「無名のソロプレイヤー」として極めて低い。
だが、彼はそんなことを気にする余裕もなかった。
彼は腰から二つの獲物を引き抜いた。
一つは、第2層の精鋭素材から成る『灰白の蝕鎌』。
そしてもう一つは、ゴミ同然の見た目ながら、彼の生命線である『錆びた鉄屑』。
迷った末に、今回は広域制御の『扇子』をインベントリに残す選択をした。
「……ごめんね。今回はこの二振りと心中だ」
黒鉄のローブの裾が、闘技場を吹き抜ける風に静かにたなびく。
視界の中央で、冷徹なカウントダウンが最後の一秒を刻んだ。
【 START ! 】
その瞬間、闘技場の石畳が激しく明滅した。
魔法陣から這い出してきたのは、第6層基準の強化を受けた『ブラッド・ウルフ』の群れ。数十頭の紅い眼光が、一斉に中央のSRE-SREへと向けられる。
「グルァッ!」
一頭が、地を裂くような速度で跳躍した。
数万人の視聴者が、大手ギルドの無双劇に目を奪われているその裏側で。
漆黒のローブを纏った一人のプレイヤーが、静かに鎌を構えた。




