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王城の前まで来たシュバルツは、はたと気がついた。
(今日は招待状を持ってないじゃないか)
つまり、城に入る許可証や通行証が無いということだ。
あまりにも初歩的なミスをしたことに頭を抱える。動揺しすぎていたのだ。
昨日の夜のこと。エリーナの部屋に追加の夜食を持って行こうとしたときに、ドアの向こうから聞こえた言葉を思い出す。
――『シュバルツは家族だ。シュバルツがいつか自分の家族を持つようなことがあれば、全力で応援したい』。
異性として意識されていないことはわかっていたが、やはり堪えた。
けれど、我を通して彼女を困らせることもしたくない。最優先するのはエリーナの幸せだから。
さらにはカイレンだ。あいつがエリーナに向ける視線は憧れだけではないように見える。もっと深くて手に負えないようなものが込められている気がした。
(エリーナは強いが、後ろ盾は無い。油断は禁物だ)
万が一カイレンの機嫌を損ねでもしたら平民街の小さなよろず屋なんて瞬時に消される。やつの胡散臭い微笑みは信用ならないと、シュバルツはずっと疑いの目で見ている。
長いため息が漏れた。
(……仕方ない。アイシャを当たってみるか)
五番街の野菜屋に目的地を変更する。
店頭のアイシャに訊ねるともうすぐ納品に行くとのことだったので、紛れて同行させてもらうことにした。
◇
王城の厨房にたどりついたシュバルツは、アイシャに礼を言って自分の行動に移る。
しかし、どこにもファリーダの姿が見当たらない。
(……あの日はあんなに暇そうにしていたのに。休みでも取っているのか?)
だとしたら相当運が悪い。
シュバルツはうろうろしているコックをつかまえて訊ねた。
「毒見役の女性は、今日はいないのか?」
「毒見役? ファリーダ様のことか?」
「そうだ」
「ずっとこんな場所にいるはずないだろう。お役目以外の時間はご自分の研究室だよ」
「……研究室?」
どういうことだ、と眉を寄せる。コックも変な顔をした。
「ファリーダ様は魔法使い様だろう。それも第一級の腕利きだ。ご自分の部屋を持っていて当然だろ」
「……」
あの女が、魔法使いだって?
この平凡なコックが嘘をつく理由は見当たらないのでおそらく事実なのだろうが、すぐには信じられなかった。
(なぜ魔法使いが毒見役を? いや、魔法使いだからか?)
ただの人間より毒に詳しいし、当たっても自ら解毒や分析ができる可能性が高い。理にはかなっているが、それでもこういう役目は末端の奴が担うのが常識だ。
あの日、さも自分は末端だ、暇人だ、なんて雰囲気を醸し出していたが。とんだ猿芝居だった可能性が出てきた。
シュバルツは妙な悔しさを覚えた。
「研究室はどこにある?」
「そんなの俺が知ってると思うか? 昼食ができるころにはいらっしゃるから、怖い顔はやめてくれ」
肩をすくめたコックが調理場に戻っていく。
(……なんだか今日は調子が出ないな)
確かに本人が来るのだから疑問はそのときにぶつければいい。答えてくれるかはわからないが。
シュバルツはとぼとぼと歩いてあの日ファリーダが座っていた木箱に腰を下ろし、大人しく昼を待つことにした。
◇
――そのころ、よろず屋では。
開店から数件の依頼をこなしたエリーナが店に戻ると、例の椅子に足を組んだ美しい青年が腰掛けていた。ただの読書姿なのに、巨匠が手掛けた絵画のような端整さである。
「おはよう、カイレン」
エリーナが声をかけると、カイレンは書物から顔を上げて微笑んだ。身体の周りに花でも舞っていそうな爽やかな表情である。
「おはよう。今日もお邪魔しているよ」
「構わない。でも、国の仕事もきちんとしないとだめだぞ」
ハハッと軽く笑ってポンと彼の肩を叩く。相談机に戻ると、エリーナはぱちぱちと目を瞬かせた。
「おや? 机が真っすぐになっているな」
開業にあたって古物店で買った机だが、使用感があって少し斜めに傾斜していた。とはいえ足がガタつくわけでもなかったので、まあいいかとそのまま使っていた。それが今は定規でも置いたかのようにスッと真っすぐになっている。
「もしかして、直してくれたのか?」
「なんのこと?」
書物から目を離さずにカイレンは答える。
「……」
エリーナはそのまま大きな本棚に目を移す。王都の地図や法律書、図鑑などが収められたずっしりしたものである。
この本棚の上に埃が積もっていることが実は気になっていたのだが、それもすっかり綺麗になっていた。
机も埃も魔法で解決できるものではあるが、優先順位が低すぎて後回しにし続けていたことだった。
「助かるよ。カイレンはよく気がつくんだな」
「あの狼獣人がやったんじゃないかな」
飄々としているカイレンだったが、エリーナはシュバルツではないと確信めいたものがあった。
本人が認めないのでこれ以上は言わないが、感謝の気持ちでいっぱいだった。
「……あなたは、私の魔法に興味があるんだよな?」
そう問いかけるとカイレンは顔を上げ、書物を膝の上に置いた。
「うん。君の魔法は強くて美しいからね」
「どうして教えてくれと言わないんだ? 王子として命令することもできるだろう。いつも依頼に着いてきて見ているだけだ」
「もちろん教えを請いたい気持ちはある。けれどこの件に関しては、それでは意味が無いんだ」
「だめなのか?」
「僕には時間がたくさんあるから。自分の手で夢を叶えたいんだ」
極力他人の手を借りずに自分の努力で習得したいということか? エリーナは顎に手を当てる。
他者の介入が許せないほど大切なことなのか、あるいは誰かに貸しを作るのが嫌なのか。
なんとなく前者の意味合いが強いように感じた。
(カイレンの夢って、なんだろう?)
口を閉ざして書物を持ち上げた彼からは、それ以上のことを聞けなかった。
そして、エリーナはもっと重要なことを思い出す。
どうにかしてラビンをこの男の側妃にしないといけないのだ。
(カイレンがどのくらいここにいるか分からないし、客が途絶えた今がチャンスじゃないか?)
昨晩一睡もしないで考えたのだ。怪しまれない聞き方や、それとなく情報を引き出す方法を。
「カイレン。あのだな……」
「?」
今日はよく喋るな、という顔で再びカイレンはエリーナのほうを向いた。
読書を邪魔してしまって悪い気になってくる。途端にエリーナはペースを乱された。
(――ッ! まずい! 昨日考えたことがすっかり抜けてしまったぞ!)
というか、結局のところ結論は出たような出てないようなごちゃごちゃとしたまま朝を迎えていた。ガラクタのようなそれらさえもすっぽ抜けて、頭の中は真っ白になっていた。
気のきいた言い回しやオブラートに包んだ表現はエレンディラがもっとも不得意とするところ。追い詰められたからといってポンと出てくるはずもない。
「どうかした?」
眉を顰め、訝しむカイレン。
(何か、何か言わないと!)
怪しまれてしまってはおしまいだ。せっかくカイレンとそれなりに良好な付き合いができているのに、警戒を生んでは信頼関係の構築からになってしまう。今は客もいないし絶好のチャンスだ。
でもどうしたらいいかわからない!
(くそっ。手足を拘束して尋問するか? いやだめだ。殴りつけて吐かせるか? だめだだめだ。ボンヤリさせて意識に介入するか? ……友人にそんなことはできない!)
エレンディラの凶悪さとエリーナの理性がせめぎ合う。頭の中はさらに混乱を極め、爆発寸前にまで陥っていた。
(――ああもうっっ!)
彼女は半ばやけくそになって訊ねた!
「あ、あなたは今、好いた人はいるのか?」
訊ねてから気がついた。これではまるで自分がカイレンのことを好きみたいじゃないか!?
案の定、カイレンも大きく瞳を見開いてぽかんとした表情を浮かべている。
エリーナは、今すぐ自爆していなくなってしまいたいと思った。




