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目を丸くするカイレンは、「んんっ」と咳払いをして微笑みを貼り付ると、ゆっくり椅子に座り直した。
「僕に好きな人がいるかって? 君はそう言ったの?」
「あ、ああ……。いや、私がというわけではなくて……断じてその……」
カイレンはじっとエリーナの真っ赤な顔を見つめる。距離は離れているのに、エリーナは顔に穴が空いてしまいそうなくらい恥ずかしかった。
(誤解されてしまったか? いや、この際私だと思われてもやむを得ない。必要なのは情報だ。妃に関する情報を手に入れることが優先だ……!)
すべてはラビンのため。『親友』だと感激していた彼女の顔を思い出す。
そんなふうに言ってもらえるなんて、エリーナにとって初めての経験だった。胸の奥がむず痒くて、ほんのりと温かい気持ちになったのだ。
「つまりその、少々、事情があってだな」
「ふふ。誰かに頼まれたんだね。分かりやすいな」
「そ、それは」
「別に構わないよ。聞き飽きるほどされてきた質問だ」
それは意外で何でもないことだった。王太子でありこれだけ整った容貌なのだから、いままで縁談の話がない方がおかしい。
「突然こんなことを聞いて申し訳ない。答えたくなければ、いいんだ」
「おおかた僕の妃になりたいとかそういう話だと思うんだけど」
腕と足を組んで、カイレンはどこか遠くを見るように目を細める。
「妻を娶るつもりはない。正妃も側妃もだ」
きっぱりとした言い方に驚く。そこには拒絶ともとれる強い意志が感じられた。
エリーナを襲っていた羞恥心はいつの間にか消え去ってしまい、神妙な顔になって訊ねる。
「……理由を聞いても?」
「愛する人がいる」
迷いのない声でカイレンは答えた。
「……その人とは結婚しないのか?」
「もう、この世界にいないから」
息を呑んだエリーナに、彼は自虐的に口角を持ち上げる。
「僕に力がなかったから、目の前で死んでしまった。あの時の僕は腹が立つほど弱かった」
「……」
「今までもこの先も、僕の心にはその方しかいない。世継ぎのことは弟に任せるよ」
「……そうだったのか」
おもむろに立ち上がったカイレンは相談机に置いてある小さな菓子を手に取ると、また椅子に戻って何事もなかったかのように包みを開け始める。張り詰めていた緊張感のようなものが少しだけほどけた気がした。
「聞いておいて何だが、私が知ってよかったのか?」
「隠すことじゃない。それに君はもう……」
カイレンは一度言葉を切ったが先を続けることはなく、菓子を食べ終わるとふたたび書物を手に取った。
一連のやりとりで彼が心を乱した様子はなく、彼にとっては当たり前のことに過ぎないということを感じさせた。
(正々堂々誰かを愛していると言えるなんて。すごいな)
エリーナに恋愛は分からない。どちらかというと、そういう人間の感情しだいで変化するものは信用しないタイプだ。エレンディラだったときや輪廻を繰り返していたとき、特に娼婦だった人生で嫌というほど人間の裏表を目の当たりにしてきたからだ。
けれどもカイレンの気持ちに偽りはないのだろうと、不思議とそう思えた。愛する人を目の前で失うという経験は本当に耐えがたいものだっただろうに。
「もし私にできることがあったら、遠慮なく言ってくれ」
ついそんな言葉が漏れてしまうくらいには、エリーナは心を動かされていた。
カイレンは小さく驚いたように片眉を上げ、くすりと笑った。
「ありがとう。気持ちだけもらっておくよ」
「……」
エリーナは小さく唇を噛みしめる。
(すまない、ラビン。今回の依頼は叶えてやれない)
この青年の心の中に入り込む余地は一生ないだろうと、はっきりとわかってしまったから。
◇
王城の調理場に潜入しているシュバルツ。
十の鐘が鳴ってほどなくすると、ようやく待ち人が現れた。
蒼い髪にやや浅黒い肌。コック服を気だるそうに着崩している。あくびをしながら入ってきたその女性はすぐにシュバルツに気がついた。
「――あら? 坊やじゃないの」
「……一級魔法使い様は、そんな格好で魔法の研究をしなきゃいけないのか?」
ファリーダは目をぱちぱちさせたが、バレたなら仕方がないというふうに肩をすくめた。
「あんな重たいローブなんて着たくないわよ。この服の方が動きやすいし。それに、昔はケーキ屋さんになるのが夢だったの」
さも当然のように言い放つファリーダだが、気位が山のように高い魔法使いたちからすれば第一級のローブなんて喉から手が出るほど手に入れたい代物に決まっている。登りつめたら毎日でも見せびらかして外を歩きたいはずだ。
シュバルツは心の中で彼女を『変わり者』にカテゴライズした。
「また探しものに来たの? ちょっと待ってね。まずは毒見をしないといけないから」
ひらひらと手を振ってファリーダは調理場に向かう。
慣れた手つきで一口ずつ料理を口に含み、「問題ないわ」と宣言して戻ってくる。
「待たせたわね。仕事、終わったわよ」
「小遣い稼ぎの間違いじゃないか」
「何言っているの。魔法使いが副業に決まっているでしょ」
本気で憤慨している様子のファリーダは、いかに自分が理不尽な状況に置かれているかということを愚痴り始める。
「魔力があれば強制的に魔法教育だなんて、徴兵と何が違うのかしら? あたしは故郷でケーキ屋さんをやりたかったのに、今や誰もが恐れる一級魔法使いなんかになってしまった。全部くそくらえよ」
「そんなこと言っていいのか? どこで誰が告げ口するか分からないぞ」
「クビにしてくれるなら大喜びよ。いつでも荷物をまとめて出ていくわ!」
フンッと鼻を鳴らしたファリーダだが、少し喋りすぎたと思ったのか、咳払いをすると静かに木箱に腰掛けた。
「で? 坊やは今日はどうしたの」
「……カイレン王子について調べている」
「へぇ? あのエレンディラ様馬鹿の?」
一瞬、シュバルツの息が止まった。
「――何て言った?」
「伝説の魔女様よ。エレンディラ・ナイトレイ。我が王子殿下は彼女にぞっこんなの」
かつてその名前を持っていた者は、今エリーナの中に入っている。カイレンとどう関りがあるというのか。
今なお誰も越えられない最高の魔女だったというエレンディラの武勇に惚れ込んでいるということか?
シュバルツの心臓は早鐘を打っていた。
「詳しい理由は知らないわ。殿下は百年も生きているし、幼少の頃のことは話したがらない。でもこれだけは言える。殿下が魔法使いになったのも、ヴァリシエルで魔法使いが至高とされるのも、銀が最上の色とされたのもすべてエレンディラ様が理由よ。殿下はエレンディラ様のために生きている。こっちは割を食っているんだから、馬鹿って言っても許してほしいわね」
「…………でも、もう死んでるだろ」
「あたしの読みでは、そうは言いつつ諦めてないわね。仮に蘇らせようとしていても納得できる」
「死者を蘇らせるなんて、禁術じゃないのか」
「よく知ってるわね。そうよ。でも、あたしの知ったことではないわ。殿下が失脚すればタクフィールも解散になって、実家に戻れるかもしれないし」
「”タクフィール”?」
「魔法使い団の名前よ」
傍らの林檎を手に取るとファリーダは正確な手つきで風魔法を使う。綺麗に八等分され、赤い皮に切れ込みが入り兎の耳のようになる。
「一ついかが? メルティ・ルージュ。蜜が滴るほど甘みたっぷりの品種よ」
「結構だ」
甘ったれの兎獣人を想像させ、少しも食欲が湧かない。
「じゃあ、全部いただくわ」
気にせずファリーダは林檎を頬張り、頬に手を当てている。
「……カイレンの結婚相手について、調べていたんだ」
「それなら一生独身を貫くと断言できるわ。第二王子のラシェル様に任せるんじゃないかしら? ラシェル様は殿下と違ってまともだから、この際王位ごとそっちが継いだほうがいいわよ」
「国王は認めるのか? 妃の一人も持たないのは体裁が悪すぎる」
「そういう所を含めて、結果を出そうと躍起になってるんじゃない? 国内の諸問題を平定して、やることをやっていれば、さすがに文句は言えないでしょ」
「……」
林檎を食べ終えたファリーダは小さく唇を舐めた。
「欲しい答えは見つかったかしら?」
「……ああ。助かった」
「そう。良かった」
そう言うと木箱から立ち上がり渋い顔をする。そろそろ副業に戻らないといけないのだろう。
「役に立ったなら、今度こそデートしてくれない?」
「……食事をおごるでどうだ」
二度も世話になったのだ。貴重な一級魔法使いで城の内部にも詳しい。今後のことも考えると、さすがに何か礼をするべきだとシュバルツも考えていた。
「相変わらずお堅いわね。まあいいわ。ひとつ進歩したから」
あちこちポケットに手を突っ込み、彼女は一枚の羊皮紙を探し出した。
「魔術紙よ。ちょっと原始的なんだけど、あたしに連絡したいときはこの陣の上で手紙を焼いて。じゃあまたね、坊や」
来た時と同じ気安さでファリーダは厨房を後にする。
しかしシュバルツは頭の中が激しくざわざわとしたままで、しばらくその場から動くことができなかったのだった。




