8話 夢見る羊
よろしくお願いいたします。
ココを除いた《夢見る羊》のメンバーたちは、ジーナの冷静な先導のもと、来た道を慎重に引き返していた。
幸いにも新たな魔獣との戦闘を避けることができ、何とか迷宮の外――地上へと生還を果たした。
迷宮の入口から半日ほど歩いた森の中で、四人は焚火を囲んで休息を取っていた。
周囲はすでに深い夜の闇に包まれている。
トーニが道中で野兎を狩ってくれたおかげで、周囲に生えていた山菜を入れた簡単なスープで腹を満たすことができた。
迷宮の中では味気ない携帯食ばかりだったため、温かいスープは本来なら何よりの馳走のはずだった。
だが――4人の心は、鉛のように重く沈んでいた。
誰一人として、ココの名前を出そうとしない。
それは決して忘れたからではなく、触れること自体があまりにも辛かったからだ。
特にアーシャにとって、ココは何よりも代えがたい、世界で一番大切な存在だった。今は気丈に振る舞い少し落ち着いているように見えたが、その名を口にした途端、張り詰めた糸が切れて泣き崩れてしまうのは目に見えていた。
「アーシャ、今日はもう寝なさい」
ペソットが静かに声をかける。
「見張りはやらなくていいわ」
ジーナもスープの器を置き、優しく促した。
「で、でも……私だけそんな……」
「いいから寝ろ。見張りは俺たち3人で回す。お前は身体を休めるのが仕事だ」
トーニの真剣な眼差しに押され、アーシャは小さく俯いた。
「……はい。お言葉に甘えさせていただきます……」
アーシャは焚火の近くに寝床を用意し、横になってそっと目を閉じた。
しかし、目を閉じた瞬間に蘇るのは、自分を庇って一人で部屋に残ったココの背中だった。
失った存在の大きさに、胸が張り裂けそうになる。
仲間たちに心配をかけたくないと思いつつも、目元から涙がとめどなく溢れ出し、シクシクと静かな啜り泣きが漏れた。
そんなアーシャの震える背中を、ジーナが何も言わずにそっと優しく撫で続ける。
数十分が経った頃、アーシャの呼吸が整い、小さな寝息が聞こえ始めた。精神的にも肉体的にも限界を迎えていたのだろう。
彼女が完全に寝入ったのを見届けてから、誰からともなく、押し殺した声でココの話が始まった。
「あいつ……なんで自分を犠牲にしたのかな」
トーニが焚火の爆ぜる火の粉を見つめながら呟いた。
「……私達全員を守るため、でしょうね」
ペソットが答える。
「私達もだけど……どう考えたってアーシャのためでしょ」
ジーナが背中を撫でる手を止めずに言った。
「だよな……あいつ、何があってもアーシャだけは絶対に守るって感じだったもんな……」
「そうですね……あの二人の絆は、誰にも入れない特別なものがありましたから……」
「……」
ジーナは黙ったまま、眠るアーシャの髪をそっと払った。
「ノクタリアの町まで戻ったら、どうする?」
トーニが重い口を開く。
ノクタリアの町は、ここから徒歩で約2日ほどの距離にある拠点だ。
「今後の身の振り方を考えましょう」
ペソットが静かに言う。
「このまま《夢見る羊》として活動を続けるか……それとも解散するか、ね」
ジーナは冷静に告げたが、その横顔には隠しきれない寂しさが滲んでいた。
「そっか……」
トーニは遠くの暗闇を見つめる。
「あと……黒の魔女の封印が解けてしまった件を、どうするかですね」
ペソットの言葉に、場が凍りついた。
「ギルド、もしくは王国に報告するかどうか、ですが……」
「喋ったら地の果てまで追いかけて殺すって言ってたじゃない!」
ジーナが思わず声を荒らげ、ハッとして眠るアーシャを見やり、声を潜めた。
「私はまだ死にたくないわよ」
「ですが、王国……いえ、世界を巻き込む大事件です。それを私たちだけの胸にしまっておいていいのか……。もし黒の魔女が本格的に世界を破壊し始めたら、皆で協力して立ち向かわなければ……」
「ココが命を張って、アーシャや俺たちを助けてくれたんだぜ!? 報告して俺たちが殺されたら、あいつの覚悟を無駄にすることになるじゃねえか!」
トーニが歯を食いしばる。再び重い沈黙が流れた。
「……ですが、アーシャならきっと『報告しよう』と言うと思うのです」
ペソットがポツリと呟いた。
「……だよなー」
「……そういう真っ直ぐな子よね、この子は」
ジーナも苦い溜息をつく。
「結論を先延ばしにする形にはなりますが、やはり町に戻り、アーシャの気持ちも交えて話し合いましょう」
ペソットの提案に、トーニもジーナも静かに頷いた。
「ジーナも寝て下さい。見張りは交代制にして、次はトーニ、最後が私でどうでしょう?」
「いや、俺が最後でいい。ペソットよりは体力があるからな」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……」
「じゃあ、遠慮なく休ませてもらうわね」
ジーナはアーシャの隣に横たわり、まるで守るように抱き寄せて目を閉じた。
残された男二人は、それ以上言葉を交わすこともなく、ただ静かに焚火の炎を見つめながら夜を明かした。
――やがて、東の空が白み始める。
「トーニ、トーニ、起きて下さい」
「う……ん、もう出発か?」
ペソットに揺り起こされ、トーニが目を擦りながら身を起こす。
「申し訳ありませんが、明るいうちに少しでも距離を稼ぎたいので」
「了解だ」
トーニが飛び起きると、ふわりと良い匂いが漂ってきた。
見ると、アーシャが昨夜の残りのスープを温め直し、器によそって持ってきていた。
「トーニ、おはよう。たくさん眠らせてくれてありがとう」
少し腫らした目元に、健気な笑みを浮かべるアーシャ。
「お、おはよう……大丈夫か?」
「うん。少しは落ち着いたよ」
「まだ無理すんなよ」
「うん」
トーニは温かいスープを一気に飲み干し、メンバー全員で手早く荷造りと火の始末を済ませた。
「よし、出発しよう」
ペソットが声をかけ、一行が歩き出そうとした――その時だった。
ガサガサッ!
近くの生い茂る藪が、不自然に大きく揺れた。
「っ!?」
全員が一瞬で戦闘態勢に入る。トーニが大剣を抜き放ち、仲間を背負うように先頭へと躍り出た。
ガサ、ガサガサ……。
朝霧が立ち込める茂みを掻き分け、ゆっくりと姿を現したのは――。
「え……?」
そこに立っていたのは、死んだか、あるいは肉体を奪われて消滅したはずの青年――ココだった。
どこか呑気で、屈託のない笑顔を浮かべて佇んでいる。
《夢見る羊》の全員が息を呑み、時が止まったかのように硬直した。
「コ、ココ……なのか……?」
トーニが震える声で大剣を構え直す。
「ああ、みんな!」
ココが親しげに手を挙げた。だが、ジーナが鋭い悲鳴のような声を張り上げる。
「用心して! 身体を乗っ取った黒の魔女よ!!」
「あ、違うんだ! 安心してくれ!」
「だ、騙されません! 精神を奪われたはずです!」
ペソットも杖を構えて激しく警戒する。
「だから違うんだって! 武器を降ろしてくれよ……!」
ココが困ったように両手を広げて弁明しようとした、その時だった。
小さな影が弾かれたように駆け出し、一切の躊躇もなくココの胸へと飛び込んだ。
「ア、アーシャ……!?」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたアーシャが、ココにしがみついて激しく泣きじゃくる。ココもまた、無事だったことに安堵して優しくその頭を撫でた。
――だが、その感動的な再会の瞬間。
ココの背中から、ユラリと凄まじい威圧感を放つ黒い霧が立ち上った。
霧の中から現れたのは、半透明の身体をワナワナと震わせ、鬼のような形相でアーシャを睨みつける黒の魔女――マティルダの姿だった。
ありがとうございました。




