42話 宮廷魔術師
よろしくお願いいたします。
「何者と言われても、俺は普通の冒険者です」
ベルントと同じ質問をされ、ココは動揺を隠しきれなかった。
「……いいでしょう。この度は、我が主をお助けいただき、ありがとうございました」
ヨームは頭を下げた。
「いえ、たまたまです」
ココはそう答えた。
「ヨームさんはお一人なのですか?」
「はい」
「え?」
ココは思わず聞き返した。
魔獣が徘徊するこの世界で、一人旅など危険すぎる。夜の見張りも、魔獣に襲われたときの対処も、すべて一人でこなさなければならないからだ。
「今まで、夜はどうしていたんですか?」
「剣を抱き、警戒しながら寝ていました」
「いやいや……あり得ないでしょ……」
ココには、警戒しながら寝るという意味が分からなかった。眠ってしまえば無防備になる。それは当たり前のことだからだ。
「ココさん、ヨームは普通の人とは違うので、そこを考えたらダメです」
フリンクスが横から話に割って入った。
ココは改めてヨームの姿を見た。剣士だというのに、身につけているのは普段着だけだった。
「剣士なのに鎧も着てないなんて、あり得ないでしょ?」
ココもトーニも軽装備ではあるが、守るべきところはきちんと守っている。
「ええっ! ……本当だ!」
「年なので、重い鎧は腰にきます」
「いやいや……あり得ないです……」
ヨームが強いことは、ココにも分かっていた。だが、どうにも理解できなかった。
「それよりも若! 先ほど、捕らえられそうになったと言っていましたが――」
フリンクスはまずいと思ったのか、再び話題を変えた。この手のやり取りには慣れているのだろう。
「そうだ! ヨーム、あそこにいる魔法使いのペソットさんが《黒の魔女》のことを研究していて、お前に話を聞きたいらしい!」
「《黒の魔女》の研究……」
ヨームは意外そうな顔をして、ペソットを見た。
急に話を振られたペソットは、慌てて口を開いた。
「あっ! そ、そうなんです……。わ、私は黒の魔女を研究してまして……お話を聞きたいなーと……」
やはり、嘘はまだ下手だった。
「ヨ、ヨームさん……」
ジーナが慌てて口を挟み、事情を簡単に説明した。
「……ということなんです」
「黒の魔女を信仰している……。聞いたことがありませんね」
ヨームは首を傾げ、ジーナを見た。まるで、すべてお見通しだと言われているようだった。
「まあ……小さな村の、小さな集団なので……」
ジーナは、この小さな老人の目を見続けることができず、視線をそらした。
「まあ、いいでしょう」
ヨームはあっさりと引き下がった。
「ヴァイゼンの町へ行きましょう。そこでお話を」
ヨームが提案した。
「近くの村で話をすればいいじゃないか。そこで皆さんと別れた方が……。これ以上、皆さんを巻き込むわけにはいかない」
フリンクスは《夢見る羊》のことを考え、そう提案した。利発で優しい人物なのだ。
「彼らは現在、若を護衛してヴァイゼンの町まで行く契約になっています。若を無事に町まで送り届けることで、契約完了です」
「そうでないと、私は話しませんよ?」
「ヨームはいいのか? 彼らの立場が悪くなる恐れがあるんだぞ!」
「もう、ベルントと事を起こしています。今さらでしょう」
「くっ……」
フリンクスがいくら言っても、ヨームの方が数段上だった。
「皆さんも、それでよろしいですか?」
ヨームがココに尋ねた。
ココもフリンクスが嫌いなわけではない。むしろ、好感の持てる若者だと思っていた。
だからこそ、無事にヴァイゼンの町まで送り届けたいと考えていた。
「はい、問題ありません」
ココは承諾した。
「ココさん……」
フリンクスには不思議だった。
ココとは、まだどこかぎくしゃくした間柄だ。危険を冒してまで引き受けるような依頼でもない。近くの村で話を聞いて別れた方が、ココたちも余計な気を遣わずに済むはずだった。
「じゃ、決まりだな! フリンクス、もう少し一緒だ!」
トーニが笑いながら言った。
「トーニさん……よろしくお願いします」
フリンクスは戸惑いながらも、少し表情を和らげた。
彼らにとって、自分はまだ知り合ったばかりの相手だ。それなのに、損得を考える様子もなく、当然のように手を貸してくれる。
フリンクスは、冒険者というのは不思議な人たちだと思った。
それから7日後、《夢見る羊》一行はヴァイゼンの町に到着した。
ヴァイゼンはフリンクスの領地であり、麦の生産が盛んだった。良質な麦酒の産地としても有名な町である。
フリンクスを館まで送り届け、《夢見る羊》の護衛依頼は完了した。
「では、何なりとお聞きください。私の知ることなら、お話しいたします」
夕食後、ヨームは皆を集めてそう告げた。
「《黒の魔女》の家族についてお聞きしたいのですが……。父のクリストフ様と叔父のトーマス様が亡くなったことは聞きました」
ペソットが本題に入った。
「本当に、珍しいことをお調べなのですね……」
ヨームは静かに笑った。
「黒の魔女、マティルダ様には2人の兄がおりました。マルコ様とハンス様です。ハンス様が日記をつけておられたので、その日記を基にお話しいたします」
(ハンスお兄様が日記を……)
姿を消したマティルダは、亡き兄のことを思い出していた。
父と叔父が亡くなり、ローゼンベルク家の人々は、一部の領民に守られて領地から逃れた。
逃げ延びた先が、このヴァイゼンの町だった。当時はまだヴァイゼンという名ではなく、小さな村にすぎなかったらしい。
母と2人の兄、そして2人の姉は、この村に身を隠した。
時代は《魔法戦争》の最中だった。古代魔法王国が滅び、群雄割拠の時代へと突入していた。
兄のマルコとハンスは旧家臣を集め、旧領土を取り戻すために戦いを始めた。
だが、戦いの途中で兄のマルコが戦死した。
その知らせは、ローゼンベルク家に大きな衝撃を与えた。
指揮を執る者を失ったローゼンベルク軍は士気を落とし、領地の奪還に失敗した。
弟のハンスは敗残兵を率い、母と姉たちが待つ村へと帰った。
マティルダは、じっと耳を傾けていた。
マルコ兄様が亡くなった。
その事実は知っている。けれど、こうして家族の歴史として語られると、胸の奥に重いものが沈んでいく。
あのとき、母はどれほど悲しんだのだろう。
長男のマルコを失った母は、そのショックから病気がちになり、1年後にこの世を去ったという。
マティルダは、唇を引き結んだ。
母がどれほど兄を大切に思っていたのか、マティルダにも分かる。だからこそ、母がどれほど深く傷ついたのかを思うと、胸が痛んだ。
母が亡くなったことも、兄たちが苦しんだことも、500年も前の出来事だ。今さら何を思っても、あの頃に戻ることはできない。
それでも、家族が自分の知らないところで味わった苦しみを思うと、胸が締めつけられた。
その後、ハンスは村を拠点に領土の拡大を図ったが、うまくいかなかった。結局、この村を守るだけで精一杯となってしまった。
やがて、ローゼンベルク家は当時の大きな勢力に呑み込まれ、この村の統治だけを許された。
村は、ヴァイゼンという名になった。
ハンスは戦の才能には恵まれなかったが、内政の能力はあった。
麦畑を作り、他の町から招いた酒造家に麦酒を作らせた。それを特産品として交易を行い、富を得たのだった。
2人の姉もまた、この地で暮らし、生涯を終えた。
その後、ハンスの子が跡を継ぎ、代々ローゼンベルク家がこの地を治めてきた。
それが、ヴァイゼンの町の歴史だった。
「以上が、私の知る限りのマティルダ様のご家族の話です。研究の参考になりますかな?」
ヨームの説明が終わった。
「はい、参考になりました」
ペソットがお礼を言った。
「あまりマティルダ様との接点はないと思われますが……」
ヨームは申し訳なさそうに言った。
「いえ、《黒の魔女》が封印されたことと、ご家族が関係ないと分かっただけでも進展です」
「なるほど。そういう捉え方もあるのですね……」
ペソットの言葉に、ヨームは感心したように頷いた。
「……あの、黒の魔女のご家族は、どこに埋葬されているのですか?」
アーシャが珍しく話に加わった。
「この町の、見晴らしの良い丘にお墓があります」
「お祈りを捧げてもよろしいでしょうか?」
「……よろしくお願いします。もう、町の者もあまり立ち寄らないので、ご先祖もお喜びになると思います」
「はい。明日の朝にでも向かわせていただきます」
ヨームは、アーシャの申し出が心から嬉しかった。
アーシャがココの手を握った。
『お姉ちゃん、明日一緒に行こ』
『……うん』
ココを通して、マティルダと念話をしたのだ。
ヨームは、その様子をじっと見つめていた。
『……ハンス兄様の日記を直接見てみたいの……』
マティルダの声は、かすかに震えていた。
兄が何を思い、どんな日々を過ごしていたのか。日記には、マティルダの知らない兄の姿が残されているかもしれない。
500年もの時が過ぎた今、兄に会うことはもう叶わない。けれど、兄が自らの手で綴った言葉なら、今も読むことができる。
それは、失われた時間を取り戻すことではない。
それでも、もう知ることのできないと思っていた兄の心に、少しでも触れられるのなら。
マティルダは、そう願わずにはいられなかった。
「ヨームさん、ハンス様の日記を直接見せていただくことは可能でしょうか?」
ココは尋ねた。
「……あなたが?」
ヨームは、ココの隣の何もない空間を見つめていた。
「……いいでしょう。ですが、あなた方2人だけで私の部屋に来てください」
ヨームはココしか見ていない。それでも、2人と言ったのだった。
ドラグネス王国の王城グラン・アルセリア。その一室で、王国の宮廷魔術師ハマンが、一人の男と話していた。
「《黒の魔女》がドラグネス王国に入ったと……」
ハマンが驚きの声を上げた。
年齢は30代半ばといったところか。年の割に血色の悪い顔をしているが、王国の宮廷魔術師だけあって、身なりは立派だった。
「そうだ。理由は分かっていないが、反乱軍側の人間と行動を共にしている」
男は答えた。冒険者のような格好をしている。
「ま、誠ですか?」
ハマンは再び驚いた。
「……私が嘘を言っていると?」
男の声には、明らかな不機嫌さがにじんでいた。
「も、申し訳ございません! そんなつもりは……」
身なりの立派なハマンが、薄汚れた冒険者風の男に頭を下げている。
「まあ、いい……。だが、後を追っていたのだが、途中で小さな老人と一緒になってから尾行が難しくなってな。それで、ここへ来た」
「ハッ!」
ハマンは返事をしながら、心の中で男を嘲笑った。
(尾行も満足にできないのか)
「反乱軍に潜り込ませている密偵に、《夢見る羊》を監視するよう伝えてほしい」
「ハッ! 承知いたしました」
「決して深追いはするな……。居場所が分かったら、連絡を」
男は音もなく姿を消した。
ハマンは何事もなかったかのように、机に置かれたワインを飲んだ。
「私より少し魔法の能力があるからと、上からの態度をとりやがって……」
グラスを傾けながら、ハマンは男が消えた場所を睨んだ。
「今回の件で活躍すれば、恩師も私の実力を分かってくれるだろう……」
先ほどまでそこにいた男は、マティルダの封印が解かれたことを確認した3人の男のうちの一人だった。
ありがとうございました。




