39話 嘘
よろしくお願いいたします。
ココが目を覚ました。
「うっ……あれ? 俺は……?」
心が、普段よりも穏やかだった。
アーシャが念のため、《平穏の祝福》を唱えておいたからだ。
《平穏の祝福》には、恐怖や混乱などを鎮める効果があり、興奮状態を落ち着かせることもできる。
「起きましたか、ココ。気分はどうですか?」
ペソットが尋ねた。
「俺は……」
まだ、頭がぼんやりしている。
「ペネロペさんの精霊魔法に加えて、アーシャが祝福を使ったので、少し違和感があると思いますが……」
ペソットが説明している。その背後には、気まずそうな顔でこちらを見ているフリンクスがいた。
彼に、もう怒りの感情はなかった。
「そっか……。魔女様のことをひどく言われて、俺は……」
ココの頭の中で、少しずつ霧が晴れていく。
「フリンクスさんのことを、順を追って説明しますね。聞いてください」
「ああ……」
ココが眠っている間に、フリンクスから話を聞いていた。
それは、《黒の魔女》によってローゼンベルク家がどれほど虐げられてきたか、という内容だった。
500年前、古代魔法王国ルーンヴェルの滅亡を引き起こす暴動が、各地で発生した。
しかし、ローゼンベルク領では、領主クリストフ・フォン・ローゼンベルクが善政を敷いていたため、領民による暴動は起こらなかった。
それでも、他の地域で発生した暴動の波は、やがてローゼンベルク領にも押し寄せてきた。
メッツェルダーは領民を守るため、軍事を任せていた弟と共に、自ら兵を率いて暴動の鎮圧にあたった。
だが、圧倒的な数の前に敗れ、2人とも戦場で命を落としたという。
その混乱の中、領民の一部はクリストフの家族を連れ出し、安全な場所へと匿った。
やがて、王国の崩壊によって支配者を失った大地は、群雄割拠の時代へと突入した。
【魔法戦争】の時代である。
マティルダの兄たちは、ローゼンベルク家を再興するために兵を起こした。しかし、戦いは思うように進まず、最終的には、より大きな勢力に吸収される形となった。
古代魔法王国の貴族の多くが根絶やしにされる中、ローゼンベルク家は、かつて善政を敷いていたことを理由に、恩赦という形で存続を許された。
ただし、その代償は大きかった。
侯爵位は剥奪され、ローゼンベルク家は男爵家へと降格されたのである。
その後、仕える主君が幾度となく変わり、やがて現在のドラグネス王国に仕えることとなった。
主君が変わっても、ローゼンベルク家は、どの時代においても《黒の魔女》にまつわる悪評から逃れることができなかった。
古代魔法王国を滅ぼした元凶。
男をたぶらかし、王国の転覆を企てた女――。
そんな噂が、ローゼンベルク家の人々につきまとい続けていた。
そうした境遇で育ったフリンクスは、自然と《黒の魔女》を憎むようになったのだった。
ココは、その説明を聞き、小さな声で言った。
「ま、魔女様は……魔女様は、この話を聞いたのか?」
「さっき、皆と一緒に聞いたはずです」
「そっか……」
「魔女様との話は、後で……」
ペソットが小声でささやいた。
マティルダの父親と叔父の死は、これで確定した。
ココはマティルダと念話ができる。だが、今はそっとしておこうと思った。
ココはフリンクスの方を向いた。
「さ、先ほどは申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
「フリンクスさんの家系がどれほど苦労してきたのかも知らずに、激高してしまって……。何と言ったらいいか……」
ココは頭を下げたものの、全面的に自分の非を認めることはできなかった。
愛する人を侮辱されたのだ。それだけは、どうしても譲れなかった。
「こちらこそ、あなたの信仰を踏みにじるようなことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」
フリンクスも頭を下げた。
「……信仰?」
顔を上げたココは、不思議そうな表情を浮かべた。
「オッホン! ……ココは《黒の魔女》様をお慕いしているのよね?」
ジーナが慌てて話に割って入った。
「それは、もちろん!」
ココは自信満々に答えた。
「……ココさんの信仰は尊重します。ですが、こちらの事情も考慮していただき、《黒の魔女》を賛美するようなことは控えていただければと……」
フリンクスも、到底納得したわけではなかった。
「……信仰?」
ココは首を傾げた。
「あわわわ……。大丈夫です! そこは大丈夫よね、ココ?」
ジーナが慌てて念を押す。
「ああ……承知した」
ココはジーナの慌てぶりが気になったものの、ひとまず了承した。
ジーナは真顔になり、フリンクスに話しかけた。
「実は、あの魔法使いのペソットは、《黒の魔女》の研究をしているの……ねっ、ペソット?」
ジーナの本領発揮である。
「えっ!?」
急に話を振られたペソットは、困惑した。
ジーナが片目を閉じ、話を合わせろと訴えている。
「あ、ああ……はい」
ペソットは、そう答えるのが精いっぱいだった。
「研究ですか?」
フリンクスの表情が曇った。
「あっ! 彼は《黒の魔女》を慕っているというわけではないの。歴史や、ローゼンベルク家の人々がその後どうなったのかを知りたいんです。家族のことなんて、歴史書にはほとんど書かれていないじゃないですか?」
ジーナの舌は滑らかだった。
「そ、そうなんです。《黒の魔女》の家族がその後どうなったのか、知りたいと思いまして……」
ペソットも、なんとか話についていく。
「……変わった研究をしているのですね」
フリンクスが言った。
「《黒の魔女》が本当に国を滅ぼしたのか。家族の側から調べた書物はないので、自分で調べてみたいと思ったんです。それで、この旅に同行しました」
ペソットは、嘘をつくのが上手くなっていた。
「《黒の魔女》が国を滅ぼしたことを、疑っているのですか?」
フリンクスは、これまで自分が信じてきたことに疑いを持ったことなどなかった。
「書物には、すべて正しいことが書かれているとお思いですか? 私は疑っています……。魔法使いの性分なのでしょうか?」
ペソットは笑いながら答えた。
それは嘘ではなく、彼自身の本心だった。
「そんなこと、考えもしなかった……」
フリンクスは信じられないという表情を浮かべた。
「フリンクス君は、《黒の魔女》の家族がその後どうなったのか、知っているの?」
ジーナが尋ねた。
「当主のメッツェルダー侯爵と、その弟が亡くなったこと。そして、私がメッツェルダー侯爵の血筋であること以外は知りません……。知ろうともしませんでした」
フリンクスは正直に話した。
「……そう。他に詳しい人はいないの?」
ジーナは残念そうな顔をしたが、すぐに気持ちを切り替えて尋ねた。
「……家臣に1人、古くから仕えてくれている者がいます。彼なら知っているかもしれません」
「その人に会わせてもらうことは可能かしら?」
フリンクスの答えを聞き、ジーナが尋ねた。
「……それは無理です!」
フリンクスは即座に断った。
「……どうして?」
ジーナが聞き返す。
「……《黄金の麦》の本拠地が知られてしまいます。申し訳ありませんが、それは無理です」
フリンクスは心底申し訳なさそうだった。
「私は、あなたたちと知り合ったばかりです。全面的に信用することは……」
重い空気が流れた。
そのとき、ペネロペが静かに口を開いた。
「私たちを、本拠地まで護衛するために雇うつもりはありませんか?」
唐突な提案だった。
「……雇ったところで、あなたたちが本拠地の場所を王国に話さないという保証はないでしょう?」
フリンクスには、彼女の意図が分からなかった。
「冒険者には、依頼人に関する情報を漏らさないという守秘義務があります。冒険者稼業では絶対のルールです」
ペネロペは顔色一つ変えずに言った。その美しい顔には、不思議な説得力があった。
「ですが、守秘義務があるというだけで、あなた方を信用してよいものか……」
フリンクスは苦悩の表情を浮かべた。
ペネロペは続けた。
「それに、私たちはあなたを助けました。その恩に報いる意味でも、私たちを雇うのは悪い話ではないと思いますが?」
「……」
フリンクスは黙り込んだ。
彼らを信用してよいのか、まだ判断はつかない。
だが、彼らが自分を助けてくれたのも事実だった。
それに、王国の兵士に追われている今、彼らの力を借りられるのなら、それは心強い。
しばらく考えた末、フリンクスは口を開いた。
「……分かりました。あなた方を雇います。ですが、まだ全面的に信用したわけではありません。そのことは、理解しておいてください」
「ええ、もちろんです」
ペネロペは笑顔で答えた。
「依頼料は?」
フリンクスが尋ねると、ペネロペはいたずら好きな妖精ピクシーのような笑顔で答えた。
「依頼料は、その家臣の人と話をさせてくれればいいわ」
ありがとうございました。




