11話 謎の男
よろしくお願いいたします。
「それでは、ノクタリアの町まで出発しよう」
ココが声をかけると、アーシャが控えめに歩み寄ってきた。
「……兄さん、ちょっといい?」
「なんだ、アーシャ」
「兄さんは自分のことばかり決めちゃったけど……残された私たちはどうするの?」
アーシャは寂しそうに眉を下げ、悲しげな瞳でココを見つめた。
「……」
ココは言葉に詰まり、己の軽率さに胸を突かれた。
(……完全に浮かれていたな。そうだよな、皆とちゃんと話さなきゃダメだ)
深く反省したココは、妹の目をまっすぐに見つめ返した。
「すまない、アーシャ。ノクタリアの町には数日滞在することになると思う。今夜にでも皆で集まって、これからのことを話し合おう」
「……うん、ありがとう」
アーシャの表情が少しだけ和らぐ。
「皆、本当に申し訳なかった。自分のことばかりしか考えていなかった」
ココが仲間たちに向かって深々と頭を下げると、トーニが快活に笑いながら肩を叩いてきた。
「そうだな! 町に着いたらココのおごりで、酒でも飲みながらじっくり話し合おうぜ」
あえて茶化すように場を和ませてくれるトーニの気遣いが、ココにはありがたかった。
「じゃあ、出発しよう」
ココが踵を返そうとした、その時だった。
「ちょっと待って」
不意にマティルダが制止の声をかけた。
「なんでしょうか、魔女様?」
「その町まで、転移を使うわ」
「えっ? 魔女様、まだ調子が戻っていなくて術が安定しないのでは……?」
「だいぶ調子は戻ったわよ」
マティルダは澄ました顔で言うと、ペソットへ向かってツンと顎をしゃくった。
「そこの魔法使いさん、ちょっと」
「えっ……私ですか?」
手招きされたペソットが目を丸くする。
「貴方の記憶を使うわ」
「……えっ!?」
「大丈夫よ。貴方の記憶だけを座標の手がかりとして借りるだけだから、精神に異常をきたすようなことはないわ」
「こ、この人数をいっぺんに転移させるのですか……?」
ペソットは驚愕して息を呑んだ。
「そうよ? 何か問題でも?」
平然と言ってのけるマティルダに、ペソットは冷や汗を流す。
(……やはり、規格外ですね……)
恐縮しながらも、ペソットはおそるおそる提案した。
「魔女様、私ではなく、すでに魂の繋がりがあるココの記憶を使った方が楽なのでは……?」
「コ……この人とは相性が悪すぎてダメなのよっ!」
マティルダは顔を一瞬で真っ赤にし、両手を振って猛烈に否定した。
「そ、そうですか……。では、私はどうすればよろしいでしょうか?」
「転移したい場所の風景を、強く鮮明に思い浮かべてほしいの。記憶が正しく明確なほど、安全かつ正確に転移できるから」
「なるほど……あっ! それで先ほど、王都へ最近行ったことがあるかと尋ねられたのですね」
「そうよ。転移魔法なら一瞬だからね」
マティルダは人差し指を立てて注意を促す。
「時間が経ちすぎて記憶が曖昧だと、危険を伴うわ。それに、転移先の場所に新しく建物でも建てられていたら……壁の中に埋まって終わりよ」
「なるほど……恐ろしいですね」
ペソットがごくりと唾を飲み込む。
「貴方は転移魔法を使えないの?」
「申し訳ありませんが、使えません……現代で転移を扱える術者はごく少数です。扱えたとしても、一度に転移できる人数はせいぜい一、二人と聞いています」
「嘘でしょ……!? 五百年で魔法はそこまで退化しているのかしら……」
マティルダは心底驚いた様子で、どこか寂しげに呟いた。
「多分、その通りだと思います。古代魔法の一部は禁呪指定されたり、時代の流れの中で失伝してしまった魔法も数多くあると聞いております」
「……そう」
どこか物悲しそうな表情を浮かべたマティルダだったが、すぐに気を取り直すように小さく首を振った。
「まあ、そこらへんもおいおい調べるしかないわね……」
「では、魔女様。よろしくお願いいたします」
ココが頭を下げると、ペソットが進言した。
「転移先は、町から少し離れた場所にしましょう」
「なんでだ?」
トーニが首を傾げる。
「我々のような集団が町中に突然現れたら、大騒ぎになります。先ほども言った通り、転移魔法を使える人間は極めて稀です。魔女様の存在を隠すためにも、目立つ行動は避けるべきでしょう」
「良い判断ね」
マティルダが頷くと、ココも嬉しそうにペソットを褒め称えた。
「さすがペソット、頼りになるな!」
「では、始めるわよ。魔法使いさんを中心に、なるべく近くに固まって立ってちょうだい」
マティルダの指示に従い、全員が身を寄せ合う。
周囲の安全を確認したマティルダは、ペソットの額へ向けて半透明の腕をそっと伸ばした。
凛とした声で、古代の詠唱が紡がれる。
「刻まれし記憶の残影、我が導きの道標となれ……」
詠唱とともに、全員の足元に眩い光を放つ幾何学模様の魔法陣が浮かび上がった。
足元から立ち上る魔力の奔流に、メンバーたちは目を見張り、キョロキョロと周囲を見回す。
「——《転移》!」
マティルダが術式を解放した瞬間、陣の中心にいた全員の姿が一筋のまばゆい光の柱となり、跡形もなくその場から掻き消えた。
——そこは、静まり返った薄暗い部屋の中だった。
部屋を照らすのは、わずかな魔晶石の淡い灯りのみ。
重厚な静寂が満ちるその一室で、一人の男が豪奢な椅子に深く腰掛けていた。
部屋を彩る調度品の数々はどれも一級品であり、男の持つ強大な財力と権力を無言のうちに物語っている。
ふと——男の左手首に巻かれた腕輪に嵌め込まれていた魔晶石に、ピキリと亀裂が入った。
男は切れ長の目を細め、静かに呟く。
「黒の魔女の精神の封印が……解かれたか」
男はしばし沈黙し、冷徹な思考を巡らせた。
そして、低く威厳のある声で呼びかける。
「誰かいるか」
その声に応じるように、闇の中から音もなく一人の影が現れ、男の前に跪いた。
「ハッ! お呼びでしょうか」
「黒の魔女の精神の封印が解かれた」
男が淡々と告げると、跪いた影の肩がわずかに微動した。だが、それ以上の動揺は見せず、黙して次の命を待つ。
「数名を連れて、黒の迷宮とその周辺の町を調査しろ」
「御意」
影は短く応じるや否や、現れた時と同様に音もなく虚空へと消え去った。
部屋に残された男は、机の上に置かれていたグラスの赤ワインを静かに口に運ぶ。
グラスの縁を濡らす深紅の液体を見つめながら、男は冷ややかに吐き捨てた。
「……面倒なことになったものだ」
ありがとうございました。




