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未処理箱 ―これ、今確認するんですか!?―  作者: はてな小僧


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3/5

第三話 西棟の掲示板

二件目の陳情を処理した翌日。


 エリオットはいつもの仕事をしていた。


 昨日まで追いかけていた八十一年前の水たまりは、もうない。報告書も提出した。処理済みの印も押した。


 だから今日は、普通に仕事をするつもりだった。


「エリオットさん」


「何だ」


「三件目、見ません?」


 ノアが机の横を指した。


『未処理』


 木箱は今日もそこにある。


「昨日、今日はやらないって言っただろ」


「昨日の今日とは今日のことですか?」


「そうだ」


「そうでしたか」


 ノアは素直に自分の仕事へ戻った。


 それから二日後。


「そろそろいいですか?」


「……一枚だけだぞ」


「はい」


 何が一枚だけなのか、自分でもよく分からなかった。


 エリオットは木箱の蓋を開け、一番上の書類を取り出した。


「何年前です?」


「七十四年前」


「前回より新しくなりましたね」


「七十四年前を新しいと言うな」


 書類の表題を見る。


『西棟への掲示板設置について』


「掲示板?」


「みたいだな」


 陳情書を開いた。


 王城西棟で勤務する者から提出されたものだった。


 勤務予定の変更や各部署への連絡事項が中央棟の掲示板にのみ掲示されるため、西棟で働く者が確認するまでに時間がかかる。西棟にも同様の掲示板を設置してほしい。


「……普通ですね」


「何を期待してたんだ」


「いえ。鐘、水たまりときたので」


「陳情なんだから普通でいい」


 受付番号を確認する。


 受付記録はあった。


 その後の処理記録はない。


 別の台帳を確認する。


 ない。


 決裁記録も探した。


 ない。


 二人は顔を上げた。


「三件目もですかね」


「まだ分からん」


「一件目でも聞きました、それ」


「現地を確認するぞ」


「はい」


 エリオットは陳情書を持って立ち上がった。



 王城西棟は、今も使われている。


 主に物資や施設の管理に関わる部署が入り、毎日多くの職員が働いていた。


 二人はまず、一階の廊下を端まで歩いた。


「ありませんね」


「ないな」


 二階も確認した。


 ない。


 念のため三階も見た。


「ないですね」


「ないな」


「掲示板」


「分かってる」


 七十四年前に要望された掲示板は、少なくとも目につく場所には存在しなかった。


 近くを通った職員を呼び止める。


「勤務予定の変更は、どこで確認していますか?」


「中央棟の掲示板です」


「西棟には?」


「ありませんよ」


 即答だった。


「中央棟まで、ここからどのくらいかかります?」


「歩いて十五分くらいですね」


「不便では?」


「不便ですよ」


「では、変更があった場合はどうしているんですか?」


「朝、確認当番が見に行きます」


「確認当番?」


「はい」


 職員が壁に貼られた勤務表を指した。


 曜日ごとの担当者名が並んでいる。


 その端に、確かに書かれていた。


『掲示確認』


「この人が中央棟まで行くんですか?」


「そうです。掲示内容を確認して、必要なものを書き写して戻ってきます」


「毎日?」


「毎日です」


 エリオットは中央棟がある方角を見た。


 片道十五分。


 往復三十分。


「いつからやってるんです?」


「さあ……」


 職員も勤務表を見た。


「私がここへ来たときにはありましたよ」


「何年前です?」


「十六年前です」


「その前は?」


「分かりません」


 ノアが陳情書を見た。


「七十四年前からだったりしませんよね」


「調べるぞ」


「ですよね」



 西棟に残されていた古い勤務記録を遡った。


 十年前。


『掲示確認』


 二十年前。


『掲示確認』


 三十年前。


『掲示確認』


「ありますね」


「ああ」


 さらに遡る。


 四十年前。


 ある。


 五十年前。


 ある。


「五十二年前の勤務表にもあります」


「それより前は?」


「勤務表の形式が違います。確認当番の欄がないですね」


「じゃあ、いつ始まったかは分からないか」


「少なくとも五十二年間はやってます」


 エリオットは考えた。


 毎朝一人。


 中央棟まで片道十五分。


 確認して書き写し、また十五分かけて戻ってくる。


「……この掲示板一枚がなかったせいで、何時間使ったんだ」


「計算します?」


「やめろ」


「五十二年分ですよ」


「やめろ」


 知ったところで、七十四年前には戻れない。



 次は、陳情が出された当時の記録を調べた。


 今回は意外なほど早く資料が見つかった。


「設置することになってますよ」


 ノアが決裁書を差し出した。


「本当か?」


「はい」


 陳情が提出されてから十二日後。


 西棟への掲示板設置が承認されていた。


 理由も簡潔だった。


『中央棟との距離を考慮し、西棟にも連絡用掲示板を一基設置する』


「処理してるじゃないか」


「やりましたね」


「まだだ」


「何がです?」


「掲示板がない」


「あ」


 設置が承認されたことと、実際に設置されたことは別だった。


 続きの記録を探す。


「発注してます」


「いつ?」


「承認の三日後です」


「納品は?」


「一か月後」


「来てるのか」


「来てますね」


 掲示板は作られていた。


 王城にも届いている。


「じゃあ、どこへ行った?」


「それを今から探すんですよね」


「そうなるな」


 納品記録から保管先を確認する。


『西棟一階廊下へ設置予定』


 その下に追記があった。


『西棟改装につき、工事終了まで第三倉庫にて保管』


 二人は文字を見た。


「改装」


「嫌な予感がしますね」


「俺もだ」


 西棟の改装工事は、その翌月から始まっていた。


 壁の補修、床の張り替え、一部の部屋の配置変更。


 三か月後には終了している。


「掲示板は?」


「ありません」


「改装後の備品設置記録は?」


「机、椅子、棚……」


 ノアが指で追っていく。


「掲示板、ないですね」


「第三倉庫から出した記録は?」


「ありません」


 しばらく沈黙した。


「……まさかな」


「第三倉庫、まだありますよね」


「ある」


「行きます?」


「行くしかないだろう」



 第三倉庫は、王城の北側にあった。


 七十四年前から同じ建物ではない。


 二度建て替えられている。


 当然、当時の荷物もそのたびに整理されていた。


 倉庫を管理する職員へ事情を説明すると、首を傾げられた。


「七十四年前の掲示板ですか?」


「はい」


「残ってないと思いますよ」


「そうですよね」


 ノアが頷いた。


 エリオットもそう思う。


「ただ、古い備品で用途が分からないものは奥にまとめてあります」


「見せてもらえますか?」


「どうぞ」


 案内された倉庫の奥には、使われなくなった棚や机、木箱などが並んでいた。


「これ全部、いつのものです?」


「分かるものもありますけど、分からないものも多いですね」


「掲示板……」


 ノアが辺りを見回す。


「そんな都合よく――」


「あれじゃないですか?」


「どれだ」


「あの奥の」


 古い棚と壁の隙間に、大きな板が立て掛けられている。


 二人で手前の荷物を動かした。


 木枠のついた、大きな掲示板だった。


「…………」


「…………」


 エリオットは裏側を確認した。


 小さな札が残っている。


『西棟一階廊下用』


「ありましたね」


「あったな」


「七十四年前の」


「たぶんな」


 倉庫の職員も覗き込んだ。


「ああ、それ掲示板だったんですね」


「何だと思ってたんです?」


「大きな板かと」


 間違ってはいない。


「これ、ずっとここに?」


「建て替え前の倉庫から移した備品の中にあったと思います」


「その前は?」


「さすがに分かりません」


 少なくとも一度目の建て替えでは捨てられず、二度目でも捨てられなかったらしい。


 七十四年間、設置される日を待ち続けていたことになる。


「使えますかね」


 ノアが表面を拭った。


 埃の下から、ほとんど傷んでいない板面が現れる。


「確認してもらおう」


「使えたらどうします?」


「設置する」


「七十四年越しに?」


「そのために作ったんだろう」


「そうでした」



 掲示板は使えた。


 木枠の一部を補修し、表面を整える必要はあったが、それだけだった。


 西棟の管理部署へ事情を説明すると、設置もすぐに決まった。


「場所はどこにします?」


 職員に聞かれ、エリオットは七十四年前の記録を開いた。


「当時は一階廊下へ設置する予定だったらしい」


「では、今もそこが一番見やすいですね」


「そこでお願いします」


 七十四年前に決めた場所から、ほとんど変わらなかった。


「ところで」


 ノアが言った。


「掲示板を置いたとして、誰が貼るんです?」


 三人とも黙った。


「……中央棟から誰か来ることになりますかね」


 職員が言った。


「それでは、中央棟の職員が毎日ここまで来ることになるな」


「今までと逆になっただけですね」


「意味がない」


 エリオットは少し考えた。


「中央棟から西棟へ、毎日書類が届いているだろう」


「はい。午前と午後に一度ずつ」


「それに一緒に載せられないか?」


「ああ」


 職員が頷いた。


「掲示物を一部多く作ってもらえば、それで済みますね」


「西棟に届いたものを貼るのは?」


「庶務でできます。届いた書類を各部署へ分けていますから、そのときに」


「なら、それでいこう」


 七十四年前の掲示板を設置するために、新しい当番を作る必要はなかった。


 すでに毎日、西棟まで書類は来ていた。


 数日後。


 西棟一階の廊下に掲示板が取り付けられた。


 中央棟へ掲示される勤務予定や連絡事項も、西棟行きの書類と一緒に届けられるようになった。


 エリオットとノアが確認に行くと、すでに何枚かの紙が貼られていた。


「ちゃんと掲示板ですね」


「掲示板だからな」


「七十四年間、倉庫にあったとは思えません」


「使われてなかったから綺麗なんだろう」


「なるほど」


 ちょうど、最初に話を聞いた職員がやってきた。


「掲示確認当番、なくなりましたよ」


「そうですか」


「明日から中央棟まで行かなくていいんですよね?」


「そのための掲示板です」


「助かります」


 職員は嬉しそうに勤務表を見せてきた。


 これまで端にあった『掲示確認』の欄が消えている。


「五十二年以上続いた当番が終わりましたね」


 職員が去ったあと、ノアが言った。


「ああ」


「しかも、毎日西棟まで書類は届いてたんですね」


「ああ」


「じゃあ五十二年以上、書類がこっちへ運ばれてくる横で、誰かが中央棟まで掲示板を見に――」


「それ以上言うな」


「はい」



 エリオットは七十四年前の陳情書を机に置いた。


『西棟への掲示板設置について』


 要望された掲示板は、七十四年前に承認され、発注され、納品までされていた。


 設置だけされていなかった。


「これ、どこまでを処理したことにするんでしょうね」


「設置までだろう」


「やっぱり未処理だったんですね」


「ああ」


 処理内容を記録する。


 最後に印を押した。


『処理済』


「三件目、終わりましたね」


「ああ」


「三件連続ですね」


「言うな」


「これ、本当に『処理状況の確認を要する書類』を集めた箱なんですよね?」


「四十八年前の記録にはそう書いてある」


「でも、三件とも未処理ですよ」


「まだ三件だ」


「偶然でしょうか」


「そうであってほしい」


 ノアが机の横にある木箱を見た。


『未処理』


「四件目――」


「今日はやらない」


「まだ昼ですよ」


「他の仕事が残ってる」


「……ありましたね」


「忘れるな」


 ノアは未処理箱から手を離し、自分の机に積まれた書類へ戻った。


 エリオットも同じように、自分の机へ目を向ける。


 未処理ではない、今日中に処理しなければならない書類が待っていた。


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