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時越えの盟約路―気弱王子は歴史をやり直さない―  作者: 遠見夕己


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6章 灰王

 久しぶりの市場には祭りの名残がそこかしこに残っていた。

 

 破れた飾りが軒先から下がり、余った乾き菓子が安く売られ、出し物に使った道具が道端に転がっている。特別な時期を過ぎて何となくのんびりしている往来の空気が、今のルカには心地よい。屋台の店主らに当日の話をあれこれ聞きながら、ルカはニコやカシアンを連れて昼下がりのわずかな余暇を過ごしていた。

 

「王子ー! ニコー!」

 

 数人の子供たちが駆け寄ってきた。よほど必死に走ってきたのか、どの子も真っ赤な顔をしながら肩で息をしていた。子供たちは無言のカシアンを見上げると「ニコ、この人誰?」と口々に聞いた。


「ああ、このお兄ちゃんはね――」

「――わりい、あっち行ってる」


 ぼそりと言うなりすっと離れていったカシアンを、困惑の色を浮かべたニコの目が追いかける。ルカも突然のことに驚いてとっさに何も言えなかった。


「変なお兄ちゃん」


 子供たちが言いながら、再びルカたちを見上げた。

 

「なあ、お祭りの日にオレたちの劇、観た!?」

 

 たくさんの期待の眼差しを一身に浴びたルカは、その場にしゃがんで子供たちの目をしっかりと見つめると、穏やかに微笑んだ。

 

「観たよ。みんなとても立派だった。長台詞もよく言えていたね」

「灰王、カッコよかったね〜! 痺れたなあ!」

 

 ニコも笑顔で褒めちぎった。子供たちは誇らしげに笑い、皆で一生懸命に覚えただろう台詞を諳んじながら、また駆け出して行ってしまった。

 

 無邪気な彼らによって会話が遮られたのを機に、二人は店主らに挨拶をして歩き出した。少し離れた場所で運河を眺めていたカシアンがふらりと合流してきた。ニコがそんなカシアンを軽く睨む。


「子供相手になんて態度取ってるんですか」

「苦手なんだよ」


 素っ気なく言い放ったカシアンが「そんなことより」とニコへ訊く。

 

「灰王って誰だ?」

「灰王を知らないんですか!?」

 

 ニコが素っ頓狂な声を上げた。ルカも思わずカシアンを見つめていた。カシアンは二人の反応に面食らった様子だったが、やがて決まり悪そうに目を逸らした。

 

「歴史とか難しい話は得意じゃねえ」

「まあ、この辺りの人じゃなきゃ知らなくても当然か。ヴァレンでは親の名前より先に覚えますよ」

 

 ニコの言葉にルカはふと考えた。

 レナ川を知っていたのに灰王を知らない。そんなことがあるのだろうか。

 

「灰王はヴァレンを救った素晴らしい王です」

 

 ニコが誇らしげに胸を張る。

 

「一体何したんだよ?」

 

 カシアンの問いにニコが詰まったのを見て、ルカが後を引き取った。

 

「今から二百年ほど前に戦があって、ヴァレンは壊滅状態になったんだ」

 

 カシアンが歩みを止めた。気づいたルカとニコが彼のことを同時に振り返る。カシアンは大股で二人へと追いつきながら「で?」と低い声で先を促した。

 

「当時は木造の建物ばかりだったから、城も町もほとんどが燃えてしまったんだ。今の煉瓦のヴァレンを作り直したのが灰王なんだよ。灰王はこの国を、まさに灰から再生させたんだ」

 

 ルカは表情を和らげ、ことさら大切なことのようにそっと付け足した。

 

「灰王は僕の理想の王なんだよ」

 

 カシアンは何も言わない。歴史に興味のない人にとってはつまらない話だったかな、とルカは語りすぎたことを少しだけ後悔した。

 

「殿下は灰王の手記を政務室に持ち込んでまで読んでますもんね〜」

 

 そんなルカの心配を察したのか、ニコが楽しげに言ってくる。

 

「あれ、おかしいな、ペンを動かす音が止まったな、と思ったらもうページを開いてる」

「貴重な史料でもあるから良いんだよ。ニコにも読んで欲しいんだけどな」

「殿下が全部教えてくれるから僕はもう読んだようなものですよ〜誰かに説明できないだけで頭の中は完璧〜」

 

 ニコの軽口にルカが笑う。カシアンもここでようやく笑みを見せた。

 

「あんた、素晴らしいってことしか言えてなかったもんな」

「その一言で灰王のおおよそは伝わるから良いんです〜」

 

 三人で軽快に言葉を交わしているうちに、気づけばいつかの河原まで辿り着いていた。カシアンがさっさと河川敷へと向かい、どっかりと腰を下ろす。

 

「ここに来たってことは、また相談事か?」

「まあね」

 

 ルカの返事にカシアンの左の口元がぐっと引き上がった。協力する気満々ということだ。ルカはカシアンの隣に腰を下ろした。ニコは二人のそばに控えて、辺りを窺っているようだった。

 

「ミラ殿下がヴァレンの情報を秘密裏に集めている、そのことはもう否定できない。だけど、従者たちが勝手に動いたと言われる可能性は残ってる。言い逃れできない確かな証が欲しい。ミラ殿下本人が誰かと接触しているところを押さえたい」

「へえ」

 

 カシアンが意外そうな顔をした。

 

「王様に突き出す覚悟でもしたのか?」

「逆だよ」

 

 ルカが言う。

 

「こちらが全てを掴んでいることを知らせて、情報を漏らさないことを条件にアルドへ安全に帰ってもらうんだ」

「は?」

 

 カシアンが怪訝そうな声を上げた。

 

「みすみす逃がすっていうのか? どんな情報を持ってるかも分かんねえ女を? 人の国にズカズカ入ってきて探り事するような女だぞ? あんたとの約束なんか守るわけねえよ。なあニコ?」

 

 突然話を振られたニコがビクッと肩を震わせる。ニコはしばらくルカとカシアンへと交互に目を走らせていたが、渋々といった様子で口を開く。

 

「まあそれは……」ニコはここでルカからすっと目を逸らした。「そう思いますけど……」

 

「だったらそこは止めろよ、役目だろ。この王子のお人好しな判断で一大事になったらどうすんだよ」

「だって……殿下のお気持ちは分かるので……」

「お気持ちだ? 好きでもねえ相手にそこまで肩入れする理由が分からねえな」

 

 カシアンの吐き捨てるような物言いに「カシアンさん!」とニコが咎めた。だが、それ以上は言葉が続かなかったのか、ニコはそっと俯いてしまった。三人は無言のままで、しばらくは川のせせらぎの音だけが聞こえていた。

 

「……今回の件は父上も動いている」

 

 ルカが静かに話し出した。

 

「父上が今すぐに何かをすることは恐らくないだろう。だけど、父上はいずれ必ず動く。それだけは避けたいんだ、ヴァレンのためにもね」

「どういうことだよ」

 

 凄むように詰め寄ったカシアンをルカは真っ直ぐに見た。

 

「ミラ殿下が何かを持ち帰ったところで、それが必ず戦に繋がるとは限らない。逆に、こちらが彼女を利用すれば確実に禍根になる」

 

 少しだけ目を伏せたルカが言葉を続ける。

 

「父上はきっと国のためだと言うだろう。でも僕は、その選択が正しいかどうか分からないんだ。少なくとも僕は選びたくない」

 

 ルカの拳がぎゅっと握られた。

 

「禍根の芽は、それがどんなに小さくても生み出してはいけないんだ。奪われたものは忘れず、奪ったものは驕り――いずれ大きな争いに育ってしまうから」

 

 ルカは目の前の運河を見た。雄大な流れに背中を押されているような気がした。

 

「だったら、ミラ殿下を通して『ヴァレンは全て知っている』とアルドへ伝えることで、こちらへ探りを入れる動きを封じた方がいい」

 

 無言のままのカシアンとニコを、ルカが見回しながら話した。

 

「楔を打たれればアルドもしばらくは動けないはずだよ。諸侯の力が強い国だからね、彼らの意見が割れれば大きな決断は先送りになる。その間に冬が来れば、あの国は戦をすることが出来なくなる」

「殿下……!」

 

 ニコが霧の晴れたような表情をしてルカを見つめてきた。

 

「正直難しいことは分かんねえ」

 

 カシアンが鼻を鳴らした。

 

「でも、見逃すんじゃなくて争わねえようにするって話なんだろ? だったらあんたに賛成だよ、王子」

 

 ルカが安堵の笑みを浮かべた。張りつめていた三人の空気が再び和やかなものになった。

 

「――ということで、ニコ」

 

 ルカがニコに向き直った。

 

「本当に本当に大変なお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「そんな恐ろしい前置きをしないでくださいよぉ……」

 

 眉を思いきり下げて弱々しい声を上げたニコにルカが少し躊躇う。と。

 

「代わりに俺が聞けることあるか?」

 

 カシアンの一言に被せるように「何でもおっしゃってください!」とニコが叫んだ。そんなニコの背後から、カシアンが意味深な笑みをルカに送ってみせた。ルカは内心で助かったと思いつつ、ニコの目を見てゆっくりと告げる。

 

「僕に丸三日ほど時間を作って欲しい」

 

 ニコが絶句した。川の音が三人の周りに再び満ちる。ルカはカシアンと共に、ちっとも動かなくなってしまったニコを見つめた。と、ニコの口元がふるふると震え始めた。

 

「殿下にそんな暇あるわけないじゃないですか~!」

「そこをなんとか……」

「ええ~!」

 

 ニコの悲痛な叫びが河原に響き渡った。

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