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時越えの盟約路―気弱王子は歴史をやり直さない―  作者: 遠見夕己


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4章 物見台

 ミラに探りを入れるべく、ルカは約束していたオリーブ畑の散策へと誘っていた。が、本人を前にすると上手く会話を運ぶことができず、道中も今も無難な話をするだけに留まっている。

 

「ルカ殿下!」

 

 なだらかな丘の上からミラが穏やかに微笑んでくる。ルカは笑顔で応じながら、馬を引いて小路を登っていった。

 

「もう丘の上まで……お早いですね。僕はすっかり遅れてしまいました。疲れていませんか?」

「大丈夫です。美しい景色が私に力を与えましたの」

 

 ルカの言葉にミラが楽しそうに返す。寄り添うように立つ馬を撫でながらも、その目は眼前の光景に釘付けのままだ。

 

 広大な土地にオリーブ畑がどこまでも広がっている。満開に咲き誇るオリーブの花は白く小さい。可憐な花弁の隙間から葉の緑が透けて、この時期はオリーブ畑全体が淡いヴェールをまとったようになるのだ。

 

「アルドでは越冬のために乾燥オリーブを作るんです。塩気が強いのでほんの少しで体が温まるんですよ。きっと、この美しい畑の恵みも分けてもらっていたのでしょうね」

 

 うっとりとした声で囁いたミラが「そうですわ」と言いながらルカを振り返る。

 

「ヴァレンではオリーブをどのように召し上がっているのですか?」

「煮込み料理や菓子ですね。冬前には全て潰してオイルにします」

 

 ミラが目を丸くした。

 

「なんて贅沢な……」

 

 ミラの感嘆にルカは微笑んだ。

 

「僕は香草と一緒に練り込んだパンが大好物なんです」

「美味しそうっ!」

 

 弾むような声を上げたミラが、さっと隠すように口元を押さえて恥ずかしげに俯いた。

 

「申し訳ありません、想像したらはしゃぎ過ぎてしまいました」

「いいんです。この景色を喜んでもらえて僕も嬉しいですから」

 

 ルカの言葉に、ミラが困ったように眉を下げながらまた笑った。

 

 よく笑う人だとルカは思う。完璧な王女に見えて、時折こうして少女のような無邪気さを覗かせる。

 

 だからこそ恐ろしいのだ。

 

『どんな手を使ってでも』

 

 祖国や、そこで生きる民を想う言葉に嘘はなかった。もしもその想いが強い使命感へと繫がっているなら、彼女はいずれヴァレンにとって脅威となる。

 

 ふと視線を感じたルカが後ろを見やると、ニコがもう一頭の馬を連れながら坂道を上がってくるところだった。その目が「上手くいってますか?」と尋ねてくる。ルカは苦笑しつつ首を小さく横に振った。

 

「――あれはなんですか?」

 

 ルカはミラの差し示すほうを見た。

 

 オリーブ畑を北へ貫く農道の先が大きく開けている。そこに、古びた建物がひっそりと建っていた。オリーブの木の倍の背丈はあるだろうそれは、丘の上から見下ろしているはずなのに、見上げたくなるほど高い。

 

「古い物見台です。この時期は地元の人間がたまに訪れますよ。あそこからオリーブ畑を見下ろすと、木々の向こう側に運河が見えてまた素敵なんです」

「そうですか」

 

 ミラの声のトーンが下がったことに気づき、ルカは思わず彼女を見やった。

 

 真剣な横顔。すっと伸びたまま微動だにしない背筋。

 

「私もあの場所からの景色が気になりますわ」

 

 やけに深刻な声色にルカは思案した。

 

 軍事施設と思われたのだろうか。

 記録によると、見張り台として使用されていた時期も確かにあったようだ。だが、今ではその役目もなくなって、地元の人の憩いの場となっている。

 

 ニコを見やると、ルカの視線の意味に気づいたのか「勘違いさせときましょ〜!」と口の動きだけで言ってきた。

 

「……お連れします」

 

 ルカの声に反応したニコが、下で待機する護衛隊へと軽く指示を出した。一人が物見台へと駆け出したのを確認してから、先導して丘を下りる。ルカたちも後に続いた。

 

 物見台は目と鼻の先だ。馬の足ならば、なおさら近い。雑談を交わしながら馬をゆるやかに進めると、もう目の前には物見台が迫っていた。

 

「石造りなのですね」

 

 馬に乗ったままのミラが、灰白色の建造物を見上げて呟いた。

 

 厚みの異なる石が幾重にも積まれて、建物が形作られている。物見台の入り口には石のアーチがかかり、奥にちらと見える螺旋階段も石造りだ。

 

「ヴァレンには古い石造りの建物がいくつか残っているんです。恐らく戦前に建てられたものかと」

 

 ルカが入り浸る書庫もその一つだ。

 

「戦前に……」

 

 ミラの小さな声にルカは頷いた。馬から素早く降りると、手綱をニコに預けてミラのエスコートへと回る。地上へと軽やかに降り立ったミラは、流れるような動作で一礼した。

 

「確か二百年ほど前のことでしたよね。城の方に少しだけ聞きました」

 

 ミラの言葉に「そのとおりです」と簡単に答えたルカは、景色へと視線を戻すことでさりげなく会話を終わらせた。ミラの口からヴァレンの話が出るたび、ルカはつい身構えてしまうのだった。

 

「要石ですね」

 

 ミラの言葉に我に返ったルカが聞き返す。

 

「かなめいし?」

「アーチ組みの真ん中、一番高い位置に入れる石のことです」

「お詳しいんですね」

 

 ミラが何も答えないまま曖昧に笑う。自分と同じようにミラもとっさに何かを誤魔化したのだと、ルカには分かった。ルカは迷ったが、特に何も言及することなく上を見るに留めた。

 

 物見台入り口にかかる石のアーチ。その真ん中に嵌められたひときわ色の濃い石には、何かが彫られていた。

 

 小さな三角が横並びに三つ。その下に一本の縦線。

 

 ――どこかで見たことがある。

 

 だが、ルカはどうしても思い出すことができなかった。

 

 随分とすり減った階段を上りきると、物見台の頂部へ出た。屋根のない細い回廊がぐるりと周囲を囲んでいる。小さな覗き窓しかない薄暗い空間を上っていたため、日差しの下に出た瞬間の眩しさに思わず目をつぶった。

 

 ミラは手すり代わりの腰高塀をぐっと掴み、どこかを睨むようにして目を凝らしていた。景色を楽しんでいるというより、何かを探しているように見える。

 

「もしかして、あれも石造りでしょうか?」

 

 ミラの声に促されるようにして視線をやると、物見台から北西方向を見下ろした場所、丘と丘の谷間に何かが見える。夏が始まって伸びてきた雑草に隠れているが、よく見ると確かに、この物見台と同じ石の建物のようなものが覗いている。

 

「そう見えますね。あれは……」

「古い倉庫跡ですね〜。もう長いこと使われずに放置されたままですよ」

 

 後から上ってきたニコが二人の背後から答えた。

 

「そうなのですか?」

「運河から離れすぎてるからですかね? 少なくとも僕が小さい頃にはもうあんな感じでしたよ」

 

 ニコの声にはどこか硬さがある。この辺りに城の要となる場所はないが、探るように見渡されると居心地が悪くなってくるのは、ニコも同じようだった。

 

「そう、なのですね……」

 

 ミラはそれきり黙ってしまった。風が吹き抜けてオリーブの木の葉が鳴る。耳元で留めた髪が風に流れたのを、ミラが軽く押さえた。甘い香りが鼻を柔らかくくすぐったのを、ルカは目を伏せて気のせいだとやり過ごした。

 

 ミラは真っ直ぐに前を見据えている。遠くには、初夏の空気に霞むアルドの山々がそびえていた。

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