31章 繋ぐ
こちらの本編と次のエピローグで最後になります。
約1ヶ月の毎日更新ができたのは読んでくださった方のおかげです。本当にありがとうございました!
次回作でもお会いできたら光栄です!
あれから一年と少し過ぎ、ヴァレンは初夏を迎えていた。
「陛下〜!」
ニコの叫び声に、ベンチに座っていたルカは肩を震わせた。隣のミラが楽しそうに笑う。
「ルカ様、まさかお逃げになっていたのですか?」
「休憩がてらね」
「では、歴史談義はまた後で、ですね」
言うなり立ち上がったミラがガゼボから飛び出し、ニコへと大きく手を振った。
「ルカ陛下! お祭りの準備! してください!」
勢いよく飛び込んできたニコに、ルカが降参とばかりに両手を上げる。
「ここまで探しに来るのはニコくらいだよ……」
「だってこの場所知ってるの、僕らくらいですもん」
ニコがそう言って、ことさら嬉しそうに笑う。渋々立ち上がってガゼボから出たルカの後を、ニコがぴったりとついてきた。もう逃す気はなさそうだ。
「ルカ様、どうか国王の務めをお果たしくださいませ」
ミラが涼しい顔でそう言うと、ひらりと踵を返す。
「私は水路工事の視察に向かいます。アルド式の石積を採用しているのでぜひ見てくれと声がかかりました」
「アルド式なら安心だ」
「ええ、何百年だって保たせてみせますわ」
ルカの声にミラが誇らしげに笑う。
「水路が完成したら、春の増水を気にせず農作業ができるそうですね」ニコが上機嫌で言った。「麦畑がまた広がるなあ」
颯爽と歩いていくミラは、途中で農夫と言葉を交わしたり、散歩している夫人らに手を振って笑い合ったりと、随分と楽しそうに城へと帰っていった。そんなミラの姿を眺めながら、ルカが感心したように言う。
「ミラもすっかりヴァレンに馴染んだね」
「馴染んだどころか……陛下!」
歩き出したルカに向かってニコが叫ぶ。
「お祭りの支度については陛下よりきっちりこなしてますからね! 前は人手があったからいいものの……」
ニコがここで「あれ?」と呟く。わずかに歩みが止まった。
「誰に手伝ってもらったんだっけ? すっごく優秀だったことは覚えてるんだけどなあ……」
まあいいか、と呟きながら再び歩き出したニコを眺めながら、ルカの心中に一抹の寂しさが湧いた。
ニコやミラの中から、カシアンの存在はゆっくりと希薄になっていった。城の人間も街の住人も、もう誰も彼の話をしない。
「そういえば、今年のお祭りでも子供たちの劇が見られるそうですよ! 楽しみだな〜」
ニコが振り返り、楽しげに話しかけてくる。二人は中央の広場へと差し掛かっていた。灌木には初夏の花が咲き始めている。
「灰王の劇?」
「そうです、崩城戦争から多くの民を救い、ヴァレンを復興させた素晴らしき王! 僕この劇大好きなんですよね〜」
ルカが黙って微笑んだ。その目は広場の噴水を見つめている。
尽きることのない水の柱。
ヴァレンが続く限りこの水は絶やさないこと。
そういえばこの約束も、祈りの一つだ。
「僕も好きだな」
ルカはそれだけ言って、城へと向かうニコの後を追った。
今生きている歴史は、どうやらルカの知っている歴史からほんの少しだけ変わったようだった。
地下道の記録が新たに見つかり、代わりに別の記録が姿を消した。そんな小さな違いを探して回っていた時期もあったが、今はもうやめてしまった。
歴史は決してやり直せない。
けれど、取り戻せるものは必ずある。
それが分かったから。
***
ルカの持つ油灯が地下道の石壁を淡く照らしていた。
『忘れるな』
灰王が自らの傷に呪いのように刻み込んだ言葉。そこに続きが生まれていた。
『繋げ』
ルカはそっと手を伸ばし、削られた字を一つ一つ撫でていく。
灰王の、焼けた町を見て立ちすくんでいた背中が、震えを抑えるように握り込んだ手が、脳裏をよぎる。血走った目。痩けた頬。無精ひげ。そして、民のために声を張り上げた彼の横顔も。
――あの人は今度こそ痛みから逃げなかった。
ルカは刻まれた文字にそっと頭を下げると、静かに石壁を後にした。
地上ではミラとニコが待っていた。ルカは二人へと手を振り、そして石の建物を振り返った。
壊れた石壁は撤去され、本来の入口が堂々と丘へ面している。アルドのアーチも健在だ。
一年をかけた二国共同の補強工事も、まもなく終わる。盟約路は商いの道として、新たな役目を担おうとしていた。
「いいですよね、これ」
ニコが上を指さす。
アルドの要石。その左右を固める石に、新たに麦の模様を彫ってもらったのだ。
「これなら忘れない」
「ええ」
ミラが感慨深そうに頷いた。ルカが眩しげに目を細めながら、石が形作る弧の頂きを見つめる。
「たとえ忘れられても、誰かがきっと繋いでくれる。だとしたら、残す意味はあるんだろう」
ルカは祈るようにそう言った。
そして、穏やかに吹き抜けていったヴァレンの風を、思いきり吸い込んだ。




