30章 雪解
明日で完結です。
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最後まで見守ってくださると嬉しいです…!
外は吹雪いている。
マルゼルが石の模型を睨んでいた。
初冬に新しく付けた印が数ヶ所消えている。今年は雪の量が例年より多く、早々に塞がれた道が出た。それによって、生命線を絶たれたに等しい地域もある。死者の数は少しずつ増えていた。
「俺は選択を誤ったか」
マルゼルの低い声にリヒマンが淡々と答える。
「春を迎えた者たちが判断いたします」
「お前は俺を責めんのだな」
リヒマンが今度は答えない。マルゼルが小さく笑った。
「お前も、もう少し朗らかな物言いができれば誤解されずに済むものを」
「性分です」
リヒマンが即答する。そして「ヴァレンの件ですが」と話を続けた。
「侵攻は取りやめるということですか?」
「分からん」
マルゼルが模型から目を離すことなく言う。
「ヴァレンの軍事力なら、こちらに相当の分がある。王都の作りはちと厄介だが、何も全てを破壊したいわけではないからな。だが——」
マルゼルの視線が模型の川を下る。
「新王の言う優先供給の協定、あれには興味がある」
「では、是非は会談次第と」
「抜かりなく準備は進めておけ」
マルゼルの言葉にリヒマンが短く応じた。
「——失礼いたします!」
その時、政務室へと入ってきた者がいた。境ノ衆の男だった。帽子や外套が雪で真っ白になっている。
「どうした?」
マルゼルが振り返り、男へと声をかける。リヒマンも彼へと目を向けた。
「それが……」
つばから覗く男の顔が戸惑っている。
「ヴァレンの者が参りました」
「は……?」
マルゼルがそれだけ言って、そのまま黙る。
「間違いはないのか」
リヒマンが冷静に確認するも、その表情は困惑している。
「盟約の件、と」
マルゼルとリヒマンが視線を交わした。
「優先供給のことでしょうか」
リヒマンの小声にマルゼルが唸った。
「それならば春に寄越すのが妥当だろう。そもそも、何故この時期にアルドの土地を歩ける?」
「それが……」
男が迷うように視線を揺らした後、こう言った。
「あの者は地下の共同墓地からやってきました」
「はあ!?」
マルゼルの大声が部屋中に響いた。リヒマンは絶句している。
「案内しろ」
マルゼルが大股で男へと近づく。気迫ある表情だ。
「陛下、危険です」
リヒマンが即座に止めた。
「だが、確かめないわけにはいかんだろう」
「ならば私も参ります」
リヒマンがマルゼルに迫る。
「お前は来るな」
リヒマンはマルゼルの言葉を無視し、控えていた侍従に二人分の支度を指示した。
「……勝手にしろ」
マルゼルが諦めたようにため息をつく。
数刻の後、山装束に身を包んだ二人は、境ノ衆らによる厳重な警護の元で共同墓地へとたどり着いていた。地下への入口は丁寧に雪かきされていて、石の段が綺麗に露出している。境ノ衆の日毎夜毎の仕事の一つだった。
「陛下」
マルゼルたちが階段を下ると、境守が待機していた。マルゼルが整然と並ぶ墓石に一礼し、リヒマンもそれに続く。顔を上げたマルゼルが境守へと話しかける。
「報告は聞いた。だが、状況がさっぱり分からん」
「お伝えしたとおりです」
怪訝そうな表情を浮かべたマルゼルが、毛皮を脱ぎ捨てながら勢いよく墓地を突っ切っていく。境守、リヒマンが後に続いた。
「この墓の奥はどうなってる?」
「誰も立ち入ったことがありません。墓掘りが横穴を作るため調査する程度でしょう」
「先祖が眠りし場所だ。それが正しい在り方だろう」
「盟約路……」
リヒマンがふいに呟いた。
「例の羊皮紙か」
そう言ったマルゼルが突如足を止めた。眼前の光景に目を見開きながら「何だあれは……」と呟く。
暗闇に浮かぶたくさんの光。大勢の気配。
「陛下、お下がりください」
リヒマンの緊迫した声。だが、境守の「陛下」という静かな声が被さる。
「あれは危険な者たちではございません」
境守とリヒマンを交互に見たマルゼルが、意を決したようにして一歩ずつ前へと進んだ。やがて彼は、開けた空間へと出た。
中央に鎮座する二本の巨石。一つは白い。
その向こうに、たくさんの松明の火が灯っている。
赤い光に浮かび上がる紋章は、深紅に金の麦穂。
「ヴァレン……」
マルゼルが思わず声を漏らした。
直立不動の集団が広場にずらりと並び、マルゼルに敬礼を捧げていた。
「ヴァレン王立調査団北部隊一同、王命により盟約を果たしに参上しました」
集団から隊長が進み出て、マルゼルの前で跪く。
「国王より書簡を預かっています」
綺麗に巻かれて括られた羊皮紙。
「盟約の全文になります。そちらでも確認と検証をお願いしたいとのこと」
マルゼルはほとんど奪うようにして羊皮紙を受け取ると、その場で大きく広げ放った。紙のはためく乾いた音が空間に響いた。
この間ヴァレンに渡した羊皮紙の写し文と同じものが書いてある。アルドとヴァレン。それぞれの古語。その下には現行のアルド文字。ミラの字だ。
『盟約路。
山の者は川の者を拒まず。
川の者は山の者を見捨てず。
互いの命を繋ぎ、共にこの地を生き継がん。』
そして最後には、随分と下手なアルド文字が並んでいた。マルゼルは目を凝らして必死に読み込んだ。
『先人が結びし盟約を、あなた方は石の道を築いて守ってくれました。今度は我々が果たす番です。』
マルゼルは目の前の光景へと視線を戻した。
調査団の後ろには大量の荷が置かれていた。それが、越冬のための貴重な食料であることは、誰が見ても明らかだった。
「生きられる……」
リヒマンの小さな声が聞こえた。わずかに震えていた。
マルゼルが深く長い息を吐いた。その目が、ヴァレンの紋章を見て、大量の荷を見る。そして、手元の羊皮紙の、最後の一行を見た。
「これがヴァレンの新王の考え方か……」
呟いたマルゼルが、黙り込む。何かを考えているようだった。
「……奪えば一時の冬は越えられる。だが、奪い続けることは容易ではない」
マルゼルの言葉にリヒマンは答えない。だが、異論はないようだった。
「アルドは何百年もこの地で生き延びてきた。次の百年を生きるためには、こちらの考えを改める必要がありそうだ」
そう言ったマルゼルが隊長へと歩み寄る。
「長き旅路、まことに大儀であった」
過去を守り続けた二石がそびえる空間に、マルゼルの声が厳かに響く。
盟約路は甦った。
長い、長い、時を越えて。
***
国境の平野にはまだ雪がわずかに残っていた。
南を見ればヴァレンの草原が、そして、北を見ればアルドの針葉樹林が広がっている。太陽光に透ける雪の下には、うっすらと緑の気配がある。夏になれば名も知らぬ白い花がこの平野を埋め尽くす。
ヴァレンとアルドの会談は、国境近くにある境ノ衆の詰め所で行われることになっていた。ルカがアルド側の施設へ赴くことには評議会も最後まで難色を示した。だが、盟約に対する永年遵守の誓いを、アルドの境守が届けに来たことで事態は大きく変わった。
戦争の危機は、ようやく去ろうとしていた。
二国を繋ぐ地に立ったルカは、目の前に佇むマルゼルとしばらく見つめ合った。アルドの冬を背負う王の姿に、ルカは亡き父王の面影を見た。
「大地の下に秘められた歴史の真実に、何故お気づきになった」
やがて、マルゼルが口を開いた。ルカが静かに答える。
「ミラ王女殿下が我が国に残るアルドの要石のことを教えてくれました。これは祈りだと。僕はそれを辿っていっただけです」
マルゼルは黙り込む。ルカをじっと見ている。
「どうされました?」
「それだけか……?」
マルゼルの声にルカは頷いた。
「祈りは人の真実です」
マルゼルは静かに息を吐き出した。そして、景色へとその眼差しを移す。吹き抜けた風はまだわずかに冷たい。だが、降り注ぐ日差しが冷えた肌をやわらかく癒やす。
「争いの時代に入り、人は騙し、裏切る存在になった。語り継ぐことの価値は崩れ、様々なものが歴史に埋もれて消えていったことだろう」
語るように言ったマルゼルが、再びルカを見据えた。
「信じるだけでは足りず、動くだけでは届かぬ。あなたは見事だ」
ルカは静かに首を振った。
「僕の力ではありません」
ルカの脳裏にはたくさんの人の姿がよぎっていた。誰もが必死に生きていた。連綿と続いていく歴史の一端で、その先を強く願いながら、進む道を選んでいた。
「みんなで繋いできたんです。あなたがたも一緒に」
マルゼルは呆けた顔でルカを見つめ続けている。
「あなたは確かに変わり者のようだ……」
マルゼルがようやく呟いた。ルカはうっすらと笑い、そして口を開く。
「ずっと過去のことを話してきましたね。そろそろ他の話をしましょう」
ルカは高らかに言った。
「——我々の未来の話を」
春。
山の雪解け水が川を下り、土へと染みて平野の麦を育む。
人が生き、あるいは去りゆく傍らを、時は静かに巡っている。
恵みの季節は、また訪れる。




