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時越えの盟約路―気弱王子は歴史をやり直さない―  作者: 遠見夕己


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29章 交渉

 年明け早々にアルドからの返書が届いた。


 答えは、否。

 

「諸侯らが首を縦に振らぬようですな。減免措置を設けたところで、他で値を釣り上げてくるはずだと」


 外務卿の言葉に、財務卿が「成程」と呟く。


「彼らの主な収入源は関所の通行料。ここで稼いだとして、取引の際に運搬手数料などの名目で痛い目を見てきたのだろう」

「春以降という条件でこちらの意図は伝わったはず。それを蹴るということは、明確な侵攻の意思ありと見て、相応の対策を考えるべき時が来たのでは」


 そう発言した軍務卿の険しい表情に、円卓につく全員が黙り込んだ。


「待ってくれ」


 ルカが声を上げた。五人の目が一斉にルカへと集まった。ルカは卓の下でぐっと拳を握ってから、口を開いた。


「アルドの王は羊皮紙の写し二行で取引を持ちかけ、一度目の提案を即座に断った」


 ルカは自分を取り囲む卿らや宰相の反応をじっと見ながら話し続ける。

 

「本気で侵攻だけを望むなら、羊皮紙の写しを渡す必要はない。アルドは交渉の余地を自ら残していると僕は考えている」

「時間を稼いでるだけでは?」

「その可能性はある」


 軍務卿の発言をルカは認めた。


「だが、返書が届いている今の時点では交渉は続いている」

「だとしたら、どうされるおつもりですか?」


 軍務卿が卓に寄りかかるようにしてルカに迫る。

 

「彼らにもう一度だけ条件を提示する」

「それでは相手の思う壺なのでは?」


 軍務卿がなおも言う。厳しい視線は少しも揺るがない。だが、ルカはその瞳の奥に焦りを見た。


「たとえ相手の思惑どおりの展開だったとしても、交渉が続いている限りは構わない。今の時点でアルドを出し抜く必要はないんだ、お互いが納得する着地点が見つかればいいのだから」


 ルカは言葉を選びながら軍務卿へと語りかけた。軍務卿は険しい表情のまま黙り込んだ。


「陛下の仰ることが正しいですな。交渉は勝負事ではない。とはいえ軍務卿、あなたの務めは最悪を想定すること。交渉の余地はこちらの準備期間と捉えてもよろしいかもしれませんな」


 内務卿の言葉に、軍務卿は渋々といった様子で前のめりになっていた身を正した。 


「承知いたしました。ただし、交渉決裂の際に即座に兵を動かす手筈だけは許可をいただきたい」

「……分かった」


 少しの躊躇いの後、ルカが頷いた。


「陛下、交渉材料は何をお考えでしょうか」


 宰相がルカへと訊いてきた。ルカがすぐさま答えた。


「来季の備蓄食料優先供給の協定を提案する」

「それは出来かねるご相談です」


 財務卿がすぐさま声を上げた。


「我が国の資源とて無尽蔵にあるものではない。そのやり方は、民から彼らの益を剥がして敵国に注ぎ込むことと同義」

「もちろん不足するほど渡すつもりはない。僕が考えているのは、余剰分だけを優先供給に回す協定だ」


 財務卿が睨みをきかせてくるのにも構わず、ルカは話し続ける。

   

「冬前にオリーブを全て潰し、試食会まで開く。祭りでも売れ残りは必ず出る。豊かな年ほど余剰は生まれている」

「ならば凶作の際は」


 財務卿がすぐさま反論した。

 

「だから『来季』に限定しているんだ。凶作なら我が国も来季の備蓄が不足する。よって供給義務は発生しない」


 財務卿が腕を組む。ルカは円卓を見渡した。

  

「今のヴァレンは何もないところから始まっている。多ければ多いほどいいという大らかな考え方は、この国が豊かになった証であると同時に、失う恐怖から逃れられていない証でもある」


 沈黙の空間に、宰相の「因果ですね」という呟きだけが響く。

 

「大量に抱え込み、持て余すことだけが備えではない。余剰を隣国へ回し、両国の経済を止めない仕組みを作ることも、商業国ヴァレンを守る一つの備えになる」


 ルカが念押すように財務卿を見た。難しい顔をしていた財務卿が、ゆっくりと腕組みを解いた。

 

「……理屈は分かりました。ですが、余剰の定義が曖昧です。精査する仕組みを急ぎ組み立てましょう」

「よろしく頼む」


 軽く頭を下げたルカを財務卿が静かに見つめた。厳しさは影を潜めていた。

 

「資源は最大限有益に使ってこそ民のためになる。そのお考えには賛成です」


 ルカは強く背中を押されたような気がした。

 

 最初は何も言えなかった評議会だが、今は違う。


 皆、ヴァレンと民を見ている。恐れず、真摯にぶつかるべきなのだ。


「では、交渉は陛下の提案を元に返書を送る形で進めていきましょう」


 宰相が書記官を一瞥しながらまとめた。

 

「とはいえ、我らが返書を送る手立てはもうない。国境を越えれば平地であろうが吹雪いている」


 内務卿の懸念にルカが「それに関しては大丈夫だ」と答えた。

  

「ミラ殿下に託そうと思う。国境付近に境ノ衆が常に待機しているそうだ。本人もそのつもりで準備を始めている」

「アルドの王女殿下をこの交渉に関与させるということですか?」


 外務卿が眉をひそめた。


「承服できませんな。敵国の王女に託すなど外交上の危険があります」

「だが、羊皮紙を探し出し、写しを持ち帰ってきたのはミラ殿下だ。彼女にも交渉の意思がある」


 ルカも引かない。だが、ミラの名を出したことで明らかに分が悪くなったことには気づいていた。四人の卿の表情が浮かない。

 ルカが返す言葉を探した、その時。


「王女殿下を信用する必要はありません」


 宰相が静かに言葉を発した。一同にわずかな動揺が走る。


「この条件は、王女殿下が中立であろうとアルド側に付こうと、アルド側に益があります。今回ばかりは向こうに断る理由も、書き換える理由もない」

「それでも書簡を預ける以上、内容は知られる危険性があります」


 外務卿が眉根をひそめながら食い下がる。


「具体的な記載は避けましょう。陛下のお考えは」


 宰相の目がルカを見た。いつもの眼差し。

 宰相だけは最初から、ルカの言葉を聞いてきた。

 

「春の会談で詳細を詰める。それを条件にしよう」


 ルカの言葉に宰相が満足そうに頷いた。


 外務卿がしばらく黙った後「そのやり方ならば問題はないでしょうな」と言った。


 宰相が円卓をぐるりと見回して高らかに宣言した。 


「では、最終決議に入りましょう」


 

 ***



 ヴァレンに数年ぶりの本格的な雪が降っていた。

 

 長い髪を後ろでひとまとめにしたミラは、雪除けの毛皮に身を包み、普段より体が大きく見えた。きっちりまとめ上げたスカートの裾から伸びる脚は、厚手のゲートルと頑丈そうな革靴で守られている。


 革手袋のまま腰のナイフや道具類を手早く確かめる仕草は随分とさまになっている。厳しい山で暮らしてきた人なのだと、ルカは改めて思った。


 侍従と経路や日程についてやり取りをしたミラが、ルカの前へと進み出た。

 

 運河を渡る広い橋の上で二人の視線が交わる。雪が互いの間に降り注ぐ。ルカは、ミラへと伸ばしかけた手を、握りしめることでようやく堪えた。


「いってまいります」


 そう言って、ミラは見惚れるほど美しい一礼をした。顔を上げたミラの眼差しの強さに、ルカは息をのんだ。


「ミラ様、どうかご無事で……」


 あまりにも弱々しく響いたルカの声に、ミラが思わずといった様子で笑う。いつもの笑顔。

  

「ご安心を。山の女は平地などものともしませんわ」


 笑みを浮かべたままそう言いきったミラは、華麗な身のこなしで馬へと跨がった。


「陛下」


 馬の上からミラが声を張る。


「あなたは一度、命を懸けた。私も成すべきことを成してまいります」


 そう宣言したミラが、器用に手綱を引いてルカへと背を向ける。そして、侍従と共に走り出した。雪煙を上げて駆け去るその姿は、あっという間に見えなくなった。


 ルカは誰もいない雪景色をしばらく眺めていた。後ろに控えていたニコがそっと隣へとやってくる。


「見送る側の気持ち、分かりました?」

「痛いほどね……」


 消え入るようなルカの声に、ニコが困ったように笑う。そして、こう付け足した。


「でも、陛下はきちんと帰ってきてくれた。だから、ミラ殿下もきっと大丈夫です」 



  ***



 ミラが帰還したのは五日後だった。

 アルドからの返書と羊皮紙の写しが届いたのはそれから半月ほど経った厳冬の日だ。

 

 アルドは春の会談を望んでいた。

 

 交渉は、続いていた。

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