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時越えの盟約路―気弱王子は歴史をやり直さない―  作者: 遠見夕己


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28章 選択

このお話を含め、あと4回で終わりになります。ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます!

ミラ密偵編(1-8話)、大幅改稿が入っていよいよ別物になったので、よかったらそちらも読んでもらえると嬉しいです!

 夜も更けていた。

 

 ルカは避難している人の山から離れるようにしてしゃがみ、膝を抱えて暗闇を見つめていた。隣ではカシアンがあぐらをかいていた。苛立ちを隠そうともせず、足を細かに揺らしている。

 

「地下を見た灰王は俺に何にも言わなかった」

 

 カシアンが不満げに呟いた。

 

「あれじゃ何考えてんのか分かんねえよ」

「すぐに結論が出せることではないからね」

「何とかできねえのか」

「灰王が動くのを待つしかない」

 

 ルカは静かに答える。カシアンが舌打ちした。

 

 ルカの目は、一面の闇の中に浮かぶ唯一の光源へと移っていた。白塗りの建物。全ての窓が板で塞がれ、その隙間から光が漏れている。

 

「カシアン」

 

 ルカが囁いた。

 

「少なくとも灰王は、考えることをやめてはいない。必ず結論を出す」

 

 カシアンは黙った。渋々待つことにしたようだった。沈黙が二人を包むように垂れ込めた。

 

 ——三日。

 

 膝を抱えるルカの手に力が入った。ルカの中に逸る気持ちが押し寄せていた。

 

 恐らく、次に迎えるのが三日目の朝になる。ここで灰王が決断を下さなければ、全てが間に合わない。


 ルカの脳裏には壊されてしまったヴァレンの景色があった。全てが無くなってしまったあの場所に、一体どれほどの人が斃れていたのだろう。もしも間に合わなければ、今ここにいる人たちは。

 

 ルカの思考は止まらなかった。気づけば遠くに朝焼けが見えていた。空の色がゆっくりと白み、周りの景色が少しずつ浮かび上がってくる。

 

 ルカは隣のカシアンを見た。カシアンも目を開けていた。険しい横顔が、戦時下の夜を越えた大勢の人を見つめていた。

 

「……やっぱり待ってられねえよ」

 

 カシアンがぼそりと呟いた。

 

「カシアン?」

「もう一度灰王に会う」

 

 カシアンがルカを見ながら強い口調で言った。ルカが止めるのも聞かず、カシアンが勢いよく立ち上がった。ゆっくりと昇る太陽の光が木柵の隙間から覗いて、ルカが一瞬目をつぶった。その時。

 

「——おい、いたぞ!」

 

 叫び声。

 

 カシアンが声のしたほうを振り返る。その目が大きく見開かれた。

 

 淡く光る薄靄の中、こちらに手を振りながら走ってくる複数の人影。皆、カシアンと同じ丈長外套を羽織っている。彼らはカシアンを一斉に囲み、安堵の表情でその肩や背を気安くはたいた。

 

「どこ行ってたんだよお前は!」

「安全な場所を探すって急にどっか行っちまうからヒヤヒヤしたぜ……」

「あ、それでここに来るのが遅れたのか」

「お前らしいというか何というか、とにかく無事でよかった!」

 

 彼らが口々にカシアンの無事を喜ぶ。カシアンの仲間なのだとルカにはすぐに分かった。

 

「お前ら……」

 

 カシアンがようやくそれだけ言った。彼らを見回す瞳が輝き、口元にはうっすらと笑みが宿っている。

 

 安全な場所を探す。

 

 ルカは思わず微笑んでいた。

 

 目の前の光景に居ても立ってもいられなくなって、衝動的に動いたのだろう。確かにカシアンはそういう人だ。そうやってたどり着いた未来でも、結局色々な人を助けて回っていた。

 

「そうだ、知らせてやらねえと……——あ、こっちだ!」

 

 仲間の一人が大きく手を振った。遠くから近づいてくる影があった。

 

「ああ……」

 

 カシアンがかすかな声を漏らした。

 

 誰かが必死にこちらへと走ってくる。顔を真っ赤にしながら息を切らしているその人は、一人の女性だった。彼女の姿はどんどん大きくなり、とうとうカシアンの目の前までやってきた。

 

 カシアンの瞳が見開かれたまま、女性を見る。呼吸が激しくわなないている。

 

「カシアン……」

 

 その女性は、一生懸命走ってきたからか、華奢な肩が大きく上下していた。淡い黄金の光を浴びて、その姿は輝いて見えた。

 

「カーシャ……!」

 

 女性の切実な声が特別な名を呼んだ。カシアンを真っ直ぐに見上げていた。

 

「——エマ……」

 

 カシアンの声が震えていた。カシアンは彼女へ歩み寄ることも、手を伸ばし触れることも、続きの言葉を継ぐこともない。

 全ての力を失ったように佇み、エマの顔をひたすらに見つめていた。その目から溢れ出た涙が、彼の頬を、服を、地面を濡らしていく。

 

「ごめん……俺……」

「いいの」

 

 エマの両手がカシアンの頬を優しく包む。

 

「会えたから、いいの」

 

 そして、ふわりと笑った彼女もたった一筋だけ涙を流した。彼女だけはカシアンの辿った長い長い旅路を分かっているようだった。

 

「——皆、聞いてくれ!」

 

 その時、辺りに叫び声が響き渡った。灰王だった。白い建物の前に立ち、大勢の民をゆっくりと見回した。

 

「今からここにいる全員で移動する!」

 

 どよめきが起こる。灰王は構わず叫び続けた。

 

「皆の元へ兵を回すから、彼らの指示に従ってほしい! 慌てずに行くんだ、安全な道と安全な場所は確保してある! 怪我人と病人、老人や子供を優先してくれ!」

 

 ここで灰王が、後ろに控えていた兵たちへ指示を送る。彼らは一斉に散らばり、民のそばに駆け寄る者と、門から外へ出ていく者とで分かれた。どうやら灰王とその側近たちは、一晩かけて避難経路や誘導方法を組み立てていたようだった。

 

「誰か、怪我人の避難を手伝ってくれ!」

 

 一人の大声にぱっと振り返ったエマが、スカートの裾をベルトに挟みながら叫ぶ。

 

「私、行けます!」

 

 そしてエマはカシアンへと向き直る。

 

「カーシャ」

 

 カシアンだけを見つめる瞳がそっと笑んだ。頬にできる小さなえくぼ。そして、彼女は躊躇いなくカシアンに背を向けて、真っ直ぐに走っていく。誰かのために。

 

「倉庫に残っている食料は全て運び出す! 動ける者は手を貸してくれ!」

 

 聞こえてきた声にカシアンの仲間たちも顔を見合わせた。

 

「倉庫の中身、全部運び出しだとよ」

「だったら俺たちの出番だな」

 

 言うなり、彼らも勢いよく走り出す。誰かのために。

 

「俺も行く!」

 

 叫んだカシアンが乱暴に涙を拭い、ルカへと向き直った。

 

「王子を元の場所へ帰す」

「カシアンは……?」

 

 ルカの声に、カシアンは周囲へと目を移した。

 

 避難を始めた者たちが長い列を作っている。誰かを支えて歩く人がいる。荷を持って駆ける人がいる。飛び交うかけ声。励まし。そして、あちこちへ走り回って作業を手伝っては、人々に声をかけ続ける灰王の姿。

 

 それら全てに朝焼けのまばゆい光が降り注いでいる。輝くような光景だった。

 

「俺は残る」

 

 やがて、カシアンは力強く宣言した。その目はまっすぐにルカを見つめていた。怖いくらい真剣な眼差しに応えるように、ルカもじっと見つめ返した。

 

「俺は王子と灰王に……」

 

 カシアンの言葉が止まる。

 

「いや、違う。俺は俺自身の選択に賭けるんだ。もう俺は絶対に逃げない。逃げないで、生き抜いて、必ず繋いでみせる」

 

 カシアンがルカの手を握った。目の前にいる人を助けずにいられないその手は、驚くほど力強く、温かかった。


「カシアン」


 ルカはようやくそれだけ言った。掠れた声が出た。

 

 伝えたいことはたくさんあるはずなのに、何一つ言葉にすることができない。カシアンは、全て分かっているとでも言うように、ゆっくりと頷いてみせた。

  

「またな」

 

 そう言ったカシアンが笑う。左の口元だけぐっと上げる、もうお馴染みとなった笑顔。

 

「ヴァレンのルカ王に栄光あれ!」








  

 

 冷えた地面の感触。

 

 ルカは戻ってきていた。体を起こすと、遠くに油皿の明かりが灯っているのが目に入った。

 

 少し離れた柱に寄りかかるようにしてニコが寝ていた。臙脂のケープを守るように抱きかかえている。

 

「ニコ」

 

 正面にしゃがんで軽く揺さぶると、ニコがびくっと体を震わせて瞼を開けた。警戒の目がルカを捉え、そして、驚愕に見開かれる。

 

「陛下……!」

「ただいま」

 

 ルカの声に瞳を揺らしたニコが、しばらく感極まった様子でルカの顔をじっと見つめ、そして「おかえりなさいませ」と声を震わせながら言った。

 

「心配かけたね」

 

 ルカの言葉にニコの表情がくしゃりと歪む。ケープを抱く腕にぎゅっと力がこもる。

 

「心配しましたよ〜……」

「泊めてもらうんじゃなかったの?」

「やっぱりここから離れるのが怖くて……」

 

 ニコのいじらしい一言にルカはそっと微笑んだ。

 

「待っててくれてありがとう」

 

 ルカの言葉にようやく小さな笑みを見せたニコが、ふと気づいたように辺りを見回した。

 

「カシアンさんは?」

「帰ったよ」

 

 ルカは静かに答えた。

 

「帰れたんだ、カシアンの生きる場所に」

 

 ニコが無言のままルカを見つめる。

 

「そうですか」

 

 そして、ニコが泣き笑いになった顔でそう言った。ルカはその表情に、彼と出会ってから今日までの全てが詰まっているような気がした。ふいに鼻の奥が痛くなったのを誤魔化すように、ルカはニコの隣に腰かけて、光から最も遠い暗がりを見つめた。

 

 そうして、カシアンの不在が自分の中にゆっくりと染み込んでいくのを、二人は静寂の中で待った。

 

「ニコ」

 

 やがて、ルカがニコを呼んだ。真剣な声色。ルカは立ち上がり、自分を仰ぎ見るニコを見下ろした。

 

「彼らの選択が残したものを知りたい」

 

 そして、ルカの視線は広い空間の奥へと移った。その先には保管庫が並び、そこを抜けると地下道が始まる。

 

 ニコはルカのマントを外し、抱えていた臙脂のケープを手際よく着せた。続けて油皿から携帯用の油灯へ火を移すと、小さく頷く。ルカも頷き返し、歩き出した。

 

 地下道は一見すると何も変わっていないようだった。荒い壁。狭い通路。低い天井。ニコの照らす光を頼りに、ルカはやがてある場所へとたどり着いた。

 

 カシアンと見つめた石の壁。

 

 小さな言葉。悔いの滲む、痛々しい一言。それが――

 

「そうか……」

 

 ルカは呟いた。震える手が壁の文字をそっと撫でた。

 

 そして次の瞬間、ルカは込み上げた衝動に突き飛ばされるようにして走り出していた。

 

「陛下!」

 

 ニコの叫び。光が大きく揺れながらついてくる。ルカは後ろに構うことなく、固く踏み締められた土を蹴って先へと進む。

 

 走って、走って、それでもルカは止まらなかった。崩落はなかった。地下道はどこまでも伸びていた。呼吸が乱れ、心臓が痛み、とうとうルカが立ち止まったその先にも、道はひたすらに続いていた。ニコのかざした光は果ての闇に溶けて見えなかった。

 

「通じた……」

 

 ルカは荒い呼気を吐き出しながら、ようやく言った。肩で息をしながら、深い闇のその先を見据えた。

 

「カシアンと灰王がこの道を繋いでくれた。今度は僕たちの番だ」

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