27章 遺志
雑草を必死にかき分けて進むと、ようやく石の建物が見えてきた。
二人の前にはかなり幅がある石の壁があった。この壁を回り込まないと本来の入口にはたどり着けないようだ。絡まる草に足元を取られながらようやく壁を越えると、そこにはアルドのアーチが堂々と構えていた。
隠しから取り出した携帯用の油灯を手早く灯したカシアンが「行くぞ」と言うなりアーチをくぐる。がらんとした内部はルカの時代と大して変わらない。迷わず真っ直ぐに行くと、地下へと続く階段にたどり着いた。
地下空間は、二百年後に見つけた姿とほとんど変わらなかった。ルカたちが見つけた時と同じように暗く、広く、どことなく寂しい場所だった。
二人は無言で空間を突っ切り、井戸、保管庫、そして通路の入口を一つ一つ確認していく。そのどれもが、ルカの知る姿のまま静かにそこにあった。
「使うのに支障はなさそうだな」
カシアンがほっとした様子で呟いた。ルカが頷きながら肩にかかるマントを引き上げ、踵を返す。
「そしたら、王都に向かおう。できるだけ急いだほうがいい」
後ろから足元に光が灯る。カシアンだ。
「今が何日目か分からないけど『再生記』によると侵攻開始から王都陥落までは三日。あまり時間がないんだ」
「三日……」
カシアンの声にルカは振り返った。暗がりに不安げなカシアンの顔が浮かんでいた。ルカはそっと微笑んだ。
「まずは灰王に会おう。僕たちにできることを一つずつやっていくんだ」
***
二人はひたすらに歩いていた。
にぎやかだった市場は連なる残骸の山に変わり果て、風が吹くたびに煤が舞い上がった。視界はどこまでも遠く広がっていた。全てが壊れたからだ。
運河には舟の代わりに、炭化した木片や破れた布が大量に浮いている。対岸に立ち並んでいたはずの家々はすっかり失われていた。まるで、最初からなかったかのように。
ルカは前を行くカシアンを追って、必死に足を動かした。
いくら歩いても前に進んでいない気がする。何かを踏んでいる感覚はとっくに抜け落ちていた。足が溶けてなくなってしまったようだ。
苦しい。
息を吸うたび、粉塵が、煤煙が、空気に溶け出した何かが肺に入って付着していく感じがした。ルカの目は、灰色の残骸の影に、流れて消えた命の色を次々に見つけた。風の音が悲鳴のように唸ってルカの鼓膜を刺し続けた。
とうとうルカの足が止まった。
ルカは気づけば火の中にいた。読み続けた悲惨な記述そのままの、人も町も全てを喰らう大火の中にいた。角笛。怒号。金属の音。そして、断末魔。大量の音がルカの耳に流れ込んで渦を巻く。
全身に強烈な熱と痛みを感じて、ルカはとっさにその場にしゃがみ込んだ。目をつぶると、焼けたものの臭いが急に強くなった。
幼い頃からおのれに刻み続けてきた『滅び』の姿を、ルカは生まれて初めてその目にしていた。
「王子」
カシアンの声がした。
「こんなもん、見せちまってわりいな」
「……なんで、カシアンが謝るの」
浅い息を堪えて、絞り出すように言った。ルカの心臓は、まるで壊れてしまったように打ち続けていた。
「悪いのは、カシアンじゃない、絶対に違う」
ルカは自らを抱く手に力を込め、カシアンを見上げた。
カシアンは遠くを見ていた。どこまでも見通せてしまう荒廃した景色の、先の先まで。
「——誰かいるぞ!」
その時、遠くから誰かの叫び声がした。
「あんたら大丈夫か!」
数人の男が焼け残りを踏みながら駆け寄ってきた。ヴァレンの紋章を腕に巻きつけていた。
「こいつを城に運んでやれ!」
「お前に怪我はないか!?」
彼らが大声でルカたちの状態を確認しながら手早く準備をする。戸惑ってほとんど返事ができないでいるうちに、ルカはあっという間に敷布に乗せられ、驚くほどの速さで灰王の城まで運ばれていった。
大門をくぐり抜けた瞬間にルカは「ああ……」と呟いていた。
木製の外郭に囲われた敷地内に、たくさんの人がひしめき合っていた。怪我の手当を受けている若者や老人、幼い子供を抱きしめている母親、何かの指示を飛ばしている男性や、あちこちに声をかけて回っている女性……
戦火を逃れた人々がこの城に逃げ込んで、肩を寄せ合っていた。
ルカは敷地の奥、あの白い建物の近くに張られた簡易のテントまで運ばれた。男たちが「こいつに手当をお願いします!」と叫んだ。走ってついてきていたカシアンが、ルカのすぐそばで息を整えている。
ここには特に重い怪我を負った人を集めて、集中的に世話をしているようだった。
テントの奥では数人が怪我人の手当に追われていた。その中でもひときわ目立つのが、臙脂のケープ。その人物がルカを振り返る。
「生きている者がまだいたのか!」
叫んだ灰王が、手元の作業をわざわざ止めてルカのほうへと大急ぎで向かってきた。
灰王はかなり疲れていた。血色が悪く、目は血走り、無精髭が伸びている。それでも、ルカたちを見るなり安堵の笑顔を見せた。
「よく生きていてくれた。ありがとう」
カシアンが息をのんだ気配がした。灰王の人となりが、カシアンには一瞬で分かったのだろう。
「こちらに。体調はどうだ?」
「すみません、怪我などは特に……」
簡易のベッドに寝かされたルカが慌てて立ち上がろうとした。が、男たちと言葉を交わしていた灰王がそんなルカを見て焦った様子で戻ってくる。
「気分が悪かったそうだな。無理はするな、ここで休むといい」
そして、そばにあった木箱を灰王自ら敷布の脇へと持ってくると、目の前の光景に目を白黒させているカシアンを見た。
「お前も座るんだ。疲れただろう」
カシアンが灰王へ戸惑った視線を送りながら、恐る恐る木箱へと腰かけた。そんなルカとカシアンを満足げに見た灰王は「何かあったら声をかけてくれ」と言い残し、踵を返して去っていく。
「待ってください!」
ルカは必死に声を上げた。灰王が振り返る。
「どうした」
「陛下にお伝えしたいことがあります」
「何だ」
「ここでは、少し……」
言葉を濁したルカに灰王は何かを察したようだった。ルカに歩けるかを念を押すようにして確認した灰王が、側近一人を連れてテントの外へと向かう。ルカとカシアンも後に続いた。
灰王は白塗りの建物の前に立っていた。ルカは灰王の前へと歩み寄ると、その場で跪いた。
「この場所からの避難を進言いたします」
ルカの言葉に灰王は驚いた様子を見せた。だが、次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべる。
「怖かっただろうが、もう大丈夫だ。ここならば頑丈な木柵で囲われていて安全だし、城の蓄えを分けてやれる」
「木柵に火を放たれれば、ここに避難した民の命はありません」
柵で囲われた場所に、限界まで迎え入れた民。逃げ場などなかった。焦りと恐怖が肌を伝って上ってくる。
「火を放つ? ここに?」
「北部へ半刻ほど歩いた先に石造りの地下空間があります。備蓄場所も設けてあります。数千人規模の人間が数日は身を隠していられます」
「何……?」
灰王が側近へと「そんなもの、あったか?」と確認する。側近も困惑した顔をしていた。ルカの後ろで黙っていたカシアンが、焦れたように一歩前へ出た。
「俺が道を知ってる。案内させろ」
「貴様、なんて態度を」
「いい」
灰王が即座に側近を止めた。そして、ルカとカシアンに向き直った。
「見てのとおり、ここには怪我人が多い。病人や子供もいる。半刻も歩き続けること自体が難しい」
それに、と灰王が続けた。
「奴らがここに戻ってくる意味はないだろう。もう奪えるものは奪っていったはずだ」
「いいえ、彼らは必ず戻ってまいります」
ルカの強い口調に灰王が再び驚いたような顔になる。
「何故そう言いきれる」
遠い未来で、あなたの手記を読んだから。
そんなことを言っても何も伝わらないことは理解していた。
「……陛下は、あの国の蛮行をご存知でしょうか?」
ルカは語り出した。頭の中で、これまで読んできた書物の数々が一斉にページを開き始めた。
「彼らの戦は、今までとは違います」
ルカの言葉に灰王は怪訝そうに眉をひそめた。
「彼らは、高純度の鉄鉱石に裏打ちされた強力な武器を持っています。それらを使って、まず兵站を断つ。次に町を焼く。そして、戦場に出ない者から殺していく」
灰王の表情が引きつった。
「彼らにとって、相手国が有益かどうかは関係ありません。彼らは侵略を経済活動の柱としています。奪ったものを元手に更に次を奪う。そうやって巨大になったのです」
ルカの声がわずかに尖る。喉の奥に苦いものを感じていた。
「彼らが最も奪いたいものは食料でも土地でもありません。命です。国は民だと彼らは知っています。国を滅するとはすなわち、民を滅することだと」
ルカが言葉を切り、灰王の反応を窺った。灰王はルカを真っ直ぐに見据え、その発言を真剣に吟味しているようだった。
「一度滅ぼしてしまえば、後は土地でも金品でも食料でも、奪いたいだけ奪えます」
ルカは念押しのように言い添えると、跪いた身を更に低くして頭を垂れた。
「陛下、どうかご決断を」
しばらく沈黙が流れていた。ルカは低い姿勢を崩さなかった。
「……顔を上げてくれ」
やがて灰王が言った。穏やかな声色だった。ルカはそっと面を上げた。灰王がルカの前で片膝を立て、ルカへと目を合わせてきた。
灰王の瞳にははっきりとした疑念が浮かんでいる。だが、強く握られた拳は何かを期待しているようでもあった。
「お前はどうしてそこまで知っている」
静かな問いだった。ルカは躊躇うことなく口を開いた。
「幼き頃より過去に学べと教えられてきました。——私のはるかに前を歩んだ先人の、強い遺志でございます」
ルカは灰王を真っ直ぐに見つめた。
『忘れるな』
ヴァレンの王族教育は、きっとこの一言から始まっている。
後悔から生まれた異様な教育方針には、人の心を蝕む大きな歪みがある。
だが、先人から得たものは確かにルカの武器となった。
誰も、何も、決して奪わない強い武器だ。
「……分かった」
灰王が静かに告げた。
「もしも今の話が事実ならば、お前の言うことには一理ある。とはいえ、すぐには決められない。まずは北部の地下空間を確認したい」
灰王がカシアンを見た。カシアンが目に見えて身を強張らせた。
「道を知っていると言ったな。案内を頼む」
「……おう!」
応じるなり勇み足で走り出したカシアンを、側近が「しばし待て!」と言いながら慌てて追いかける。その光景に灰王が軽く笑った。
「お前が話す役なら、あの者は走る役が向いていそうだ」
灰王が立ち上がり、歩き出す。ルカは黙ってついていった。門のそばにはカシアンと側近の二人が待っている。門の外に出たところで、灰王が一度足を止めた。
眼前に広がる破壊の光景。わずかに震えた背中。ぐっと握り込まれた両の手。
「——行こう」
灰王たちは北部へと出発した。ルカはその後ろ姿を静かに見送った。
重く垂れこめていた雲にわずかに隙間ができていた。そこから陽の光が一筋差し込んでいた。




