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時越えの盟約路―気弱王子は歴史をやり直さない―  作者: 遠見夕己


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22章 隣国

「ヴァレンの王が死んだ」

 

 アルドの国王マルゼルの言葉に場は騒然となった。マルゼルが髭をさすりながら、大きな楕円卓につく諸侯一同をぐるりと見回す。

 

「なんだ……貴公らの反応が揃ったのは随分と久しぶりだな、ん?」

「陛下」

 

 鋭い声がマルゼルの軽口をぴしゃりといなす。宰相のリヒマンだ。真隣から注がれる冷えた視線を、マルゼルはわざとらしい咳払いをすることでかわした。

 

「つまり、今ならば混乱に乗じてヴァレンを呑み込めるということか」

「時期が悪い。兵のためとはいえ、民の越冬の食料を奪うことになる」

「今秋に王都周辺を攻め、春に王都を叩けばいい。兵も食料も半分で済む、復興に人や金を出さざるを得ない中央は手薄になる、良いことずくめだ」

「我らが欲しいのはあの潤沢な土地、派手に荒らすやり方は本末転倒だろう」

 

 卓越しの議論はまたたく間に過熱し、軽い言い合いから罵倒の飛び交う騒がしい場になっていく。

 

「静粛に!」

 

 一喝。リヒマンだ。一転して、空気が固まったかのように静まり返った。マルゼルが「まあ、貴公らが元気なのは良いことだ、話は進まんがな」と笑う。

 

「新国王は例の?」

 

 リヒマンが殊更大きな声でマルゼルへ訊ねた。

 

「ああ、変わり者の次男坊、ミラの婚約者だ」

 

 マルゼルが言った。

 

「優秀な長男が継いでたら諦めもついたが、今度の王はな……」マルゼルが渋い顔をする。「やってやれないことはないと思わせる」

「陛下」

 

 リヒマンが再び冷たい声でマルゼルを牽制した。マルゼルが肩をすくめ、一気に盛り上がった諸侯らの熱もさっと冷める。

 

「ミラ王女殿下から一報は?」

 

 諸侯の一人が声を上げた。マルゼルが「何もない」と答えると、一同の空気が一気に落ちた。諸侯たちはみな落ち着きのない様子だ。苛立ちを隠そうとしない者もいる。

 

「ミラ殿下ですが」

 

 リヒマンが切り出した。

 

「別の者を補佐につけては?」

「あいつはあのくらい隙があるほうが良いだろう」

 

 マルゼルがため息混じりに言った。

 

「密偵の件が筒抜けなのは百も承知。密偵の存在を目眩ましに、夏の侵攻準備を進めることが狙いだったからな」

「では何故ミラ殿下は侵攻の一時中断を進言されたのですか?」諸侯の一人が叫ぶ。「あの時に攻め込んでおけば今頃は——」

「我々が未確認の見張り台と地下施設が見つかった。侵攻に危険あり、時を待たれよ、とな」

 

 マルゼルが諸侯の発言に被せるように答えた。

 

「時の目安は」

 

 リヒマンが即座に訊く。マルゼルがリヒマンを見て、諸侯たちを見て、お手上げとばかりに諸手を上げた。

 

「目下うやむやにされ続けている」

「成程」

 

 リヒマンの冷え切った目と物言いに諸侯たちが沈黙する。マルゼルが途端に居心地悪そうな顔になり、腕を組んで唸った。

 

「……分かった、ミラについては何とかする。全く……あいつの考えは昔から読めん……」



  ***



 アルドの返書内容が確認されたと同時に、ミラ一行は自由の身となった。秋はすっかり深まって、季節の祭りはもう数日後に迫っていた。

 

「陛下、ご即位おめでとうございます」

 

 東棟へと急ぎ向かったルカは、最も格式高い礼で敬意を示すミラと侍女に迎えられた。少しだけ感じた距離にそわそわとしたが、静かに上げられたミラの顔にはいつもの優美な微笑みが宿っていて、ようやく力が抜けた。

 

「ありがとうございます」

 

 胸に手を当てて一礼することで、ミラの儀礼に応えたルカが、困ったように笑う。

 

「といっても、部屋が変わったくらいで僕は何も変わらないのですが……」

「悲しみの折、新国王としての務めを果たすことがどんなに大変なことかは計り知れませんわ」

 

 ミラの慮るような声色に、ルカはやわらかな息を吐いた。ともすれば固くなってしまう心を、すっと撫でてもらった心地がしたのだ。

 

 ルカはミラを秋の中庭へと誘った。後ろからついてくる侍女が、できるだけ自身の気配を消そうと努めていることに気づき、ルカは妙に照れくさくなった。

 

「長い間不自由な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」

「いいえ」

 

 ルカの謝罪にミラがゆったりと首を振った。

 

「私の立場は理解しているつもりです。致し方のない措置かと」

 

 ミラが途端に不安そうな顔つきになる。

 

「それよりもカシアンはどうなりましたか? 私以上に警戒されてもおかしくない人です」

「自室での待機命令が続いていましたが、最近西棟と北棟での出歩きを許されました」

「そうなのですか」

「実は……ニコが回らなくなってしまって……」


 ニコはある日の評議会の最中、うっかり居眠りして円卓へと派手に倒れ込んでしまった。

 

 突然の王位継承で城中が大混乱に陥る中、ニコは評議会に出ながら新しい仕事を覚え、祭りの支度をしながら前任の仕事を引き継ぐという有様だったのだ。

 

「本来なら叱責ものの失態なのですが……」

 

 その時のことを思い出したのか、ルカが苦笑いをしながら続ける。

 

「父上が過労によって亡くなったので、まさかニコまで、と皆が危機感を覚えてくれたのです」

 

『うう……カシアンさんがいればなあ……算術も力仕事もできるけど文字はそこまで得意じゃないし難しい話は全然分かんないから他国とのやり取りなんて高度なことできっこないカシアンさんがいればなあ……』

 

 事態を相当重く見た評議会の面々は、控えの間にあったソファに寝かされたニコの、あまりにも具体的な寝言、もとい訴えを叶えてやる方向に舵を切ったのだった。

 

「よく通りましたね」

 

 目を見張ったミラに、ルカが少し自慢げに言う。

 

「働き者で皆に好かれてるニコは、評議会の方々の覚えが元々良かったんです」

 

 ミラが「それは良いことですわ」と微笑み、眼前に現れた中庭の景色に小さな歓声を上げた。

 

 赤や黄に染まった木々。灌木を彩る花はどれも鮮やかで、褪せてきた秋の緑に華やかさを添えていた。夏の間に伸びていた芝が短く刈られ、うっすらと地面の茶色が透けているのもこの時期らしい光景だ。

 

「ミラ様」

 

 回廊へと下りたルカがミラへと手を差し伸べる。ミラが迷わずルカの手を取ると、二人で中庭へと降り立った。

 

 風が小路の落ち葉を巻き上げる。昼間の空気もずいぶんと冷たくなった。冬の気配が近づいているのだ。

 

「東棟で過ごしている間、私は付き人たちとアルドの話をしました。祖国を知る者とアルドの景色や思い出を語り合ううちに、一つ思い出したことがありました」

 

 秋の風景に目を細めながら歩んでいたミラが、やおら話し出した。隣を歩くルカは黙って耳を傾ける。

 

「アルドは土地が狭いので、ふもとの地下に大きな共同墓地があるのです。王も民も関係なく、全てのアルド人が眠る場所です」

「壮観ですね」

 

 思わずルカは呟いていた。ミラが微笑んだ。

 

「そこに、石の墓、というものがあります」


 ミラの声に緊張の色が混じっている。ルカは気づいたが、無言を貫くことで話を促した。


「人の背丈よりも大きな石を二つ並べて立ててあるものです。片方には石肌がむき出しですが、もう一方は石灰が塗られて真っ白です」

「石灰が」


 ルカはミラの言葉をつい繰り返していた。何かが思考の端に引っかかった。


「アルドの民が墓参りをする際、この石の墓も一緒に磨きます。私も、何度もそうしてきました」

 

 語り続けるミラが、ふと懐かしいものを思い出すような顔つきになった。

 

「私は幼い頃、この墓を代々守っている者に訊いたことがあるのです。この美しい墓石の下には一体誰が眠っているのかと」

 

 ミラが足を止めた。少し先に行ってしまったルカが振り返る。


 二人はいつの間にか中央広場へと辿り着いていた。灰王の噴水は今日もささやかな水柱を上げている。揺れる水音が向かい合う二人を包んでいた。

 

「誰が眠っているのですか?」

 

 ルカが訊く。

 

「古き約束が眠っている、と」

 

 強い風と共にミラの声が流れてきた。耳元で留められたミラの髪が大きくなびいた。

 

「約束の中身は誰も知らないそうです。けれど、アルドの全ての民にとって大切な約束なのだと。だから守っていかねばならないと」

 

 ここでミラは言葉を切った。真っ直ぐな瞳がルカを見つめた。

 

「……これが、アルドとヴァレン、隣国同士でかつて交わされた約束だとしたら?」


 ルカの鼓動が一つ、大きく鳴った。風の音が遠ざかり、ミラの姿はぐっと近くなった感じがした。

 

 黙ったままのルカから、ミラの視線がそっと逸らされる。

 

「やはり飛躍しすきでしょうか……?」

「いえ」

 

 ルカは慌てて口を開いた。

 

「アルド式建築では石灰を使いますか?」

「ほとんど使いません」

 

 ルカが再び黙る。鼓動はいつの間にか速くなっていた。

 

「昔、ヴァレン北部には大きな石灰採掘場があり、この国の建築は石灰と共に発展してきました」


 ルカの言葉に、ミラの視線が戻ってくる。 


「かつては木造建築の外壁や内壁に、煉瓦造になってからは接着剤として。ヴァレンは石灰の街でもあるんです」

「石灰の街……」

 

 小さく言ったミラは黙り込んだ。そして、ふと辺りを見回して微笑んだ。

 

「ここでお話したのはあの時以来ですわ」

 

 ミラに密偵疑惑のことを突きつけた時のことを言っているのだろう。あの時は夏だった。

 

「陛下」

 

 ミラの真剣な声色。強い眼差し。


 今日は輝くような夏ではないのに。秋のやわらかな陽で満ちているはずなのに。ルカにとって、ミラはどうしたって眩しい。

 

「私、アルドへ参ります。確かめたいのです、石に抱かれている約束の正体を」

 

 ルカは咄嗟に返事ができなかった。ミラから視線を逸らし、しばらく無言のまま庭の景色を眺めていた。

 

 ミラの思いを尊重したい。その気持ちは十分にあった。

 

 だが、今は晩秋。そろそろアルドと陸路での交易ができなくなる時期だ。危険を伴う帰路となる。


 ルカの胸の奥に小さな波が立つ。

 

「……一つ、訊きたいことがあるんです」

 

 ルカは口を開いた。

 

「中身の分からない約束を、どうしてアルドの人たちはそんなにも大切にできるのですか?」

「石が今も憶えているからです」

 

 ミラが迷うことなく答えた。

 

「人は忘れても、石は忘れない。ならば私たち人にできることは、いつかその約束を必要とする誰かが現れるまで守ることだけです」


 ミラの言葉が、静かにルカの中に落ちてきた。

 

 秋の風が、ルカの心にも爽やかに吹き抜けた。

 

 ミラの真っ直ぐな強さは、彼女一人が育んだものではなかった。

 

 ルカは、ミラが救いたいと願うアルドの民に、少しだけ会ってみたくなった。

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