20章 残照
円卓についたルカは、目の前で交わされる激論を必死に追うことで精一杯だった。
「アルドの動きが見えない以上、国境の軍備増強は致し方なし」と軍務卿が発言すれば、
「軍備増強は他国への警告になります。まずは即位の書簡を送り、その返書を待つべきかと」と外務卿が即座に反論し、次いで、
「それよりも情報統制が急務でしょう。我々の通達よりも先に情報を取られては困ります。念のため市場は七日ほど完全閉鎖しては?」と提案する。それに対して、
「商流を止めれば通行にかかる税収が消え、契約船舶との賠償問題も発生しかねない。慎重に判断されたい」と財務卿が苦言を呈し、
「民の生活が止まります。完全閉鎖は現実的ではない」と内務卿の懸念の言葉も被さってくる。
ルカは一言も発言できずにいた。王国評議会一同の鬼気迫る空気に圧倒されたまま、ヴァレンという国が立たされた窮地を全身で感じていた。
ここで、沈黙を守っていた宰相がすっと手を挙げた。喧々囂々の議論を戦わせていた一同が一瞬で静まり返る。
「城外の話から一度離れ、城内の話を致しましょう。陛下にも意見を伺わねば」
宰相はそう発言すると、正面に座るルカを穏やかな目で見つめてきた。
「今はこの評議会の人間しかガレス様崩御のことは存じませんが、本日夕刻には城中へ正式に伝達いたします。それまでに、ミラ王女殿下とカシアンという男について処遇を決めねばなりません」
突然降って湧いてきた問題に、ルカの心臓が大きく鳴った。
「理由はお分かりになりますか?」
宰相の問いにルカが口を開く。
「ミラさ……ミラ王女殿下はアルドの王女です、それから……」
「ミラ王女殿下並びにその家臣には東棟からの外出を控えていただく方がよろしいかと」
「我々より先にアルドと接触されるわけには参りません、面会や書簡のやり取りを一時的に禁じては?」
「そのような高圧的なやり方では、後々問題にされた際こちらが不利です。禁止はせず、検閲や同席を申し入れましょう」
各卿から次々に意見が挙がるのを、宰相がゆったりと頷いて受け止める。その視線がルカへと移った。
「陛下のご意見は」
「あ……」
四人の卿と正面の宰相。十の目が無言でルカを凝視している。ルカは逃げるように視線を落としながら、ようやく言った。
「ミラ王女殿下には東棟内でお過ごしいただく。ただし、移動制限のみで行動の制限はかけない。検閲も同席も必要ない、ミラ殿下はそのようなお人ではない」
「陛下」
宰相が穏やかに呼びかけてくる。
「ガレス様より、ミラ王女殿下の積極的なご面談のお話は常々伺っておりました」
ルカは小さく唸った。
「……制限中は書簡の検閲と面会時の同席を申し入れるように」
無言の宰相が書記官を一瞥する。だが、その視線はすぐにルカへと戻った。
「では、カシアンという男はどう致しますか?」
「一時的に拘束しておけばいいでしょう」
軍務卿が声高に発言する。ルカの背後で大きく気配が動いた。ニコだ。だが、何かを言うことはない。この場での発言権がないのだ。
「得体の知れない男です。どこの国と繋がっているか分からない以上は妥当かと」
外務卿も賛成の意を示す。他の卿も納得した様子を見せている。ルカは慌てて声を上げた。
「カシアンは危険人物ではない。拘束は行き過ぎだ」
「根拠は」
穏やかな宰相の声がルカを叩く。
「ここにいる全員が納得する根拠を今すぐにお示しください。一刻も早い判断には明確な根拠が必要になります」
ルカは口を閉ざした。宰相以外の表情が明らかにピリついている。空気すらもルカを刺していた。
「……ない」
ルカが悔しげに言った。一同から失望感の滲む息遣いが漏れた。
「拘束の手配をしろ」
一人が侍従へと指示を送る。ルカがぐっと顔を上げた。
「待ってくれ!」
ルカの大声に卿らが意外そうな顔つきになった。宰相が先を促すように頷いた。ルカは必死に思考を巡らせる。
「彼は……西棟の自室で待機させる、周辺諸国からの返書が完全に揃うまでは出さない、秋の祭りにも参加させない、外部とのやり取りは世話役一人のみとする」
「陛下のご意見はいかがでしょう」
ルカの発言を引き取って宰相が円卓をゆっくりと見回す。
「拘束こそしておりませんが、同じような効果は一定あるかと」
四人は無言のまま顔を見合わせている。軍務卿がぼそりと「まあ、それならば」と言った。宰相は書記官が淡々とペンを動かすのを確認して、ルカへと向き直った。
「世話役はこちらで手配致します。よろしいですね?」
「分かった……」
力なくそう言ったルカが、震える息を吐き出した。後ろからもかすかなため息が聞こえた。
「——失礼致します」
その時、廊下から声がした。ニコが素早く扉へと歩み寄って、大きく開く。
直立不動を崩さず円卓の一同を見据えているのは調査団団長だった。北部隊及び南部隊を統べる調査団の長だ。隊長より体が小さく、雰囲気はずっと鋭い。
「北部隊のアルド派遣について、先王陛下より命を受けておりました。扱いについてご裁可いただきたく」
再び、全ての視線がルカへと一気に集まった。視線の圧に呼吸が止まりそうだった。ルカは一瞬視線をさ迷わせ、そして、団長を必死に見つめ返しながら言った。
「その命は取り消す。調査団は諜報部隊ではない。それに今、下手にアルドを刺激するわけにも——」
「陛下」
団長が即座に口を開いた。
「調査団は諜報活動をしないわけではありません。これまでする必要がなかったというだけです」
ルカは黙ったまま団長の言葉を聞いた。
「ヴァレンは生前譲位制を採っております。陛下ならばその理由はご存知のはず」
ルカは小さく頷いた。
「崩城戦争は灰王が即位した数日後に起こった。ヴァレンが即位の書簡を送る前に先王崩御の情報を掴まれ、混乱を突かれた」
「今、あの時と同じ状況を迎えております」
団長の声が空間に冷たく響いた。ルカが息をのんだ。『亡民戦争』の文字が一瞬脳裏をよぎった。
「我々は今、異常な事態に陥っているということです。このような中で、他国の情報不足のまま走るのは些か危険かと」
「陛下」
外務卿がルカを見た。
「どうかご決断を」
ルカの視線は再び揺れた。どこを見ても恐ろしいくらい真剣な眼差しとぶつかった。その目がルカを急かしていた。早く。早く。早くしろ。
「……アルドへ調査団を派遣する」
前の日にガレスへ間違っていると進言した判断を、今、ルカが下していた。
***
ガレスが去ってから一週間が経った。
毎日、評議会で様々なことが決まっていった。
国境の兵の数は増やさなかったが、倉庫の火器保管量は上積みした。市場は午前中だけに縮小され、外国船の検問が強化された。先王崩御及び新王即位の書簡は最優先でアルド宛のものが用意され、その後、周辺諸国へと次々に送られた。
これらは全て、ルカが判断を下したために決定したことだ。
円卓に座したルカは、何もかもを懸念し、何もかもを疑わなければならなかった。常に最悪の事態を想定し続けなければならなかった。
四方から容赦なく飛んでくる声を聞きながら円卓を見つめる時、ルカの頭の中にはガレスがいた。ガレスはルカに背を向けていた。あの背が長年耐えてきた決断の重みに、ルカはすでに擦り切れそうだった。
「陛下」
その声に呼ばれた時、ルカは一人で政務室にいた。ガレスの使っていた部屋だ。窓から差し込む夕日を頼りに、ガレスが遺した大量の資料を整理しているところだった。
扉のほうを見ると、一人の男が立っていた。ガレスの側近だった男だ。その手に燭台を持っている。
「そろそろ寝室もお移りにならねばなりません。今のお部屋ですと警備が手薄になります。私が案内いたしましょう」
ルカがそっと目を伏せる。政務に関わる全ての部屋については即日移動を余儀なくされたが、寝室だけは断り続けていた。ガレスの全てをルカで置き換えていく。そのことに抵抗があった。
「……頼む、あと数日は」
男はしばらく黙っていたが、やがて諦めたように一歩下がった。
「かしこまりました」
男が恭しく礼をすると、燭台を手近な棚に乗せ、部屋を去ろうとする。が、ルカへと向き直って一言こう言った。
「どうか、あまり根は詰めぬようになさいませ」
切実な声にルカが返事もできずにいると、男が政務室から目を背けながら言葉を続けた。
「夜中、こちらのお部屋に突然明かりが灯ることがたびたびありました。疑問や懸念はすぐにでも解消しなければ気が済まないお方でしたから」
男がそっと俯いた。その表情が翳って見えなくなった。
「そのご気性にお体が耐えられなかったのでしょうね」
男が去った後、残照に浮かび上がる部屋を、ルカは静かに見回した。
ガレスの痕跡は至るところにあった。使い込まれてひじ掛けが黒光りしている木椅子。背もたれにかけられている色褪せた織布。傷だらけの卓上には、乱雑に積まれた地図と、書き損じを削った痕が残る羊皮紙。そして、床の黒い染み。
ルカはしばらくその染みを眺めていた。視界がぼやけたのを宵のせいにして、ゆっくりと卓へと歩み寄り、ガレスの腰かけていた椅子に座った。いつもルカが立っていた場所の向こう、観音扉の上にヴァレンの紋章が掲げられていた。深紅に金の麦穂。
「……寂しいな」
ミラとは会えない。
カシアンも部屋から出られない。
ニコの顔も、この数日はまともに見ていなかった。
誰もいない。
誰でもよかった。
誰かの言葉が聞きたかった。
『お兄様がまだ読む時ではないと仰っているのかもしれませんわ』
ふと思い出したのはミラの言葉だった。
暗がりの中、ルカが向かったのは書庫だった。今夜は月がない。燭台の小さな光だけがルカを助けた。揺れる火は冷えた石壁を弱々しく照らした。
見えない場所へと再び追いやっていたエリオの手記に、ルカはそっと手を伸ばした。そして、色褪せてしまった表紙を、ようやく開く。




