14章 亀裂
「終わる気がしませんね……」
部屋中を見回したニコの悲痛な声に、ルカが苦笑いを浮かべた。
古文書保管室。
ルカとカシアンが二回目に過去へと飛んだ時に拠点として使っていた部屋だ。積もった埃やかびの臭い、あまりにも雑多な空間は全てこの間のままだ。もう何十年も変わっていないから当たり前のことではあるが。
ルカたちは数日前からこの手つかずの部屋の棚卸しに躍起になっている。今日も昼過ぎから、別の仕事を押してまで作業に入っていた。というのも、どうしても欲しい資料があったからだ。
誰が、いつ、どんな目的で避難所を隠したのか。
それが分かる手がかりが欲しかったのだ。
「古い記録はたくさん出てきますけど、工事記録らしきものは出てきませんね……」
「そっか……」
「まあ、まだ壁の一面くらいしか確認できてないので……」
そこまで言ったニコが突然黙って作業を再開した。無になって体を動かすより他ないと悟ったようだった。ニコの悲愴な背中に心の中で感謝を告げながら、ルカも山積みの本の仕分けへと戻った。ルカが受け持った棚もまだまだ終わりは見えないのだった。
「ニコ、言われてたもん片付けてきたぞ」
カシアンが合図もせずに部屋へと入ってきた。そして「うわっ」と叫ぶ。
「おい、この部屋、来るたび汚くなってんぞ」
「うるさいですよ」
ニコが不機嫌そうに言った。カシアンがそんなニコを華麗に無視すると、床に散らばる大量の紙類を器用に避けてルカの元へとやってきた。
「昔の本漁るくらいなら、昔に行きゃ一発で分かるんじゃねえの?」
「そんなのダメですよ!」
素早く顔を上げたニコが即座に言う。
「この間、三日間ぶっ通しで移動し続けて、ルカ殿下の体調がとんでもないことになったじゃないですか! 時間移動は禁止です!」
ニコの懸命な叫びにカシアンが「こわあ……」と呟いた。
「そもそも厳しいだろうね」
ルカも答えた。
「これまでお願いしていた時と違って、具体的に飛んでほしい時期を指定することができないから」
カシアンが「あー……」と納得したような顔になる。
「今、僕たちが分かっているのは、あの場所に地下空間があることと、そこから年代のばらついた大量の書類が出てきたことだけ。だから闇雲に過去へ行くよりは、目の前にある資料から分かることを拾っていった方がいいと思う」
「つまり、目の前にある……ことになる予定の資料を、探してるって段階だな」
「……うるさいよ」
ルカもとうとう言った。カシアンが左の口の端をぐいっと引き上げた。
「手伝うぜ。書庫に一人でいるのも暇だしな」
「じゃあ、あっちの壁全部お願いします」
ニコの無慈悲な指示に、カシアンが「そりゃ手伝うって言ったけどよ……」と呟きながら移動していく。そして、壁一面を埋めるおびただしい数の冊子や書類にげんなりした顔をしながら、二人を振り返った。
「で、俺は何を探せばいいんだっけ?」
「職人が付ける帳簿みたいなものなんですけど……」ニコがやれやれといった様子で立ち上がる。「最近のものならこっちにあるはずなので、雰囲気だけ掴んでもらえれば。中身は後から僕らで確認するんで」
ニコがカシアンの方へと移動を試みたが、大量の書物に阻まれて動きにくそうだ。山と山の隙間を抜けようと四苦八苦していたニコが突然絶叫した。ルカがばっと顔を上げる。
「なに!?」
「山を壊しました〜……三つ、四つほど……」
「わあ……」
部屋の一角に冊子と羊皮紙の海が出来ていた。心なしか、山積みになっていた時よりもその量は多いように見えてくる。
「カシアンさん……お仕事変更です……僕とここを立て直します……」
立ちすくんだまま惨状を見下ろしていたニコが無表情のまま言った。カシアンが事故現場へとしゃがみ込むと、そんなニコを呆れた様子で見上げながら答える。
「立て直すって……最初の状態もなかなか酷かったけどな……?」
言いながらもカシアンは両手で海を探る。早速仕分けを始めたようだ。
「あ、おいおい、これなんか破けちまってんぞ」
「羊皮紙はそんな簡単に破けませんって……あれ……?」
「大丈夫?」
ルカは二人と、床と、そびえる大量の山を見ながら、彼らの元へとようやくたどり着いていた。カシアンがひらひらと一枚の羊皮紙を差し出してきた。
「ほら、破けちまってる」
羊皮紙を見ると確かに破けているようだ。縦方向に切れてしまっているらしく、綴られた文章は全て右側、つまり後半部分が失われている。
「国を揺るがす重要書類ですか……?」
ニコの震え声にルカは笑った。
「こんなところに放置されてるくらいだから多分違うよ。ただ、何が書いてあるか全く分からないんだよね……年代も国も見当つかないよ」
ルカが目を凝らして羊皮紙を眺める。
「この字なんかは今のヴァレンの文字に近いような……『道』……いや『路』かな……」
「これも何かの記録ですかね……?」
「――待った、見つけたかもしんねえ」
突然カシアンが言った。
「これ違うか……?」
カシアンが羊皮紙の海の底から引っ張り上げた分厚い二冊。その表紙には堂々とした文字で『工事台帳』と記載があった。端部に年代の走り書きもある。
「カシアンさん……!」
ニコが目を輝かせながらカシアンを見つめる。ルカにも、目の前の惨状が急に頼もしいものに思えてきていた。
「この崩れた山の辺り……もしかして台帳関係が固まってる……?」
ルカの呟きにニコやカシアンが動いた。そして、三人一緒に周囲の山を崩していきながら、ルカたちは全部で八冊の工事台帳を見つけ出していた。
ルカは作業卓に並べたそれらを見下ろした後、ニコとカシアンを見回した。
「じゃあ、ここから絞り込みをしていこう。――まず、この間地下から見つかった記録は、崩城戦争の一つ前の戦まで記述があった」
「ということは、今必要なのが……」
ニコが表紙に記載された年代を確認し、八冊のうち三冊を避けた。
「五冊……」
ニコが唸る。
「崩城戦争以降は煉瓦造が多いから、はっきり言って材料の記述だけだと差別化は厳しいな。壁を作るだけだから、かなり簡単な材料と少ない人工で出来たはずだけど」
ルカの言葉にニコが頷く。
「ざっくりとした工事場所の記載はありますね」
台帳の中身を確認しながらニコが言った。
「記録人によって表記ぶれがあるでしょうから、北部、北、それから分かりやすい目印であるオリーブ畑、物見台、丘などの記載があったら確認する必要はありそうですね」
「煉瓦の個数は?」
ここでカシアンが口を挟んだ。
「地上階の奥の壁を一面隠してたわけだろ? あの壁の大きさは何となく覚えてる。煉瓦の大きさ教えてくれよ」
ルカが大体の大きさを手で示すと、カシアンはしばらく考え込んでいた。そして「まあ大体このくらい。幅は見とけよ」と目安の数を二人に告げた。
「じゃあ、今挙げた条件に当てはまるものを順番に押さえていこう」
ルカは言いながら、書庫から持ち出した大量の銀片を卓の真ん中に置いた。
「目印代わりに使ってほしい。一度閉じてしまったらまた見つけ出すのは大変だから、とにかく少しでも引っかかったらすぐに挟んでしまうこと」
そして三人の黙々とした作業が始まった。彼らは各々が姿勢を変え、場所を変えた。ようやく全てのページを確認し終わった時には、西日が部屋へと差し込んでいた。
該当の工事は意外なことに割と簡単に絞ることができた。記載のあるページが開かれたまま、卓の真ん中へと置かれた一冊の工事台帳。近くに転がっている数本の銀片。
「どういうことですか……」
ニコの戸惑うような声が空気を震わせた。
「これ、正しいんですよね……?」
「そうだね」
ルカが言う。普段と打って変わった低い声だ。カシアンだけは状況を掴めていないようで、深刻な二人の様子を黙って見比べている。
『北部建造物内壁増築工事』
朱の混じった光に浮かぶ文字を指でなぞったルカが、ゆっくりと顔を上げる。
「カシアン」
呼ばれたカシアンが戸惑うような視線をルカへと向けた。
「君の倉庫番の目をもう一度借りたい」
ルカの声は自分でも驚くほど冷えきっていた。
***
一度全ての調査団員には地上に上がってもらった。だから、広い地下空間にはルカとカシアンの二人だけが立っている。松明の火が揺れるたび、二人の影もゆらりと大きく揺らいでいた。
漂う空気は今日も重く張りついた。どこかで水の音がする。
「王子――」
「ここには何人くらい入れるのかな?」
ルカは訊いた。カシアンがざっと周りを見回してすぐに答える。
「ニ、三千人はいける」
ルカは続けて訊いた。
「その人たちは、あの保管庫と井戸でどれだけ生きられる?」
「五日。それ以降はちょっと分からねえ」
「五日……」
呟いたルカが大きくため息をついた。棘を持った熱が体の奥を暴れ回っている。少し息を吐き出したくらいでは少しも収まらない。
「崩城戦争でヴァレンの民は半数以上が亡くなった。死者の大半は王都で暮らしていた人たちだ」
カシアンの顔が歪んだ。ルカはそんなカシアンの表情に気づきながらも、彼から目を逸らすことで話を続けた。
「……もしもここが、避難施設として機能していたら?」
カシアンが息をのんだ。
「避難施設……? そんなもん……」
呟いたカシアンがそのまま黙り込む。
「え……?」
カシアンが困惑した声を漏らした。
「もしかしてここがそうなのか……?」
「資料によるとね」
「でも、まさか誰も知らなかったっていうのか……? 王様は……? そうだ、あの時は灰王がいたよな……?」
「いたよ」
「灰王は……?」
ルカは何も言わない。そっと様子を窺うと、カシアンの表情は大きく崩れていた。耐えるように奥歯を噛みしめたその目は、これまで見たことがないくらいギラついていた。
「そんなのありかよ!」
カシアンの怒号が空間に響き渡る。
「知らなかったで済まされることじゃないだろ! どれだけ死んだと思ってんだ……っ!」
絞り出すように言った後、カシアンはぐっと口を引き結んでうつむいた。全身が激しく震えている。握られた拳は力が入りすぎて節が真っ白になっていた。
「……なんで王子は分かったんだよ……」
やがて、ルカの耳に聞こえるか聞こえないかの声が聞こえてきた。ルカは複雑な顔つきのまま言った。
「資料を見つけたからね」
「どこで」
「この地下で」
カシアンが勢いよく顔を上げた。
「誰かに隠されてたから分かんなかったってことか……?」
カシアンは希望を探しているようだった。真剣な目がルカを見ていた。まるで縋りつくような、必死な眼差し。
「……違うよ」
真っ向からから否定したルカの声は硬い。
「灰王は避難所を知らないまま戦争を迎えた。そして、戦後にこの場所を知って全てを隠したんだ。わざわざ壁まで作ってね」
「なんで――」
「『再生記』を残すことを選んだ」
ルカがカシアンの困惑の声に被せるように言う。言葉にした瞬間に頭の中がかっと熱くなったような気がした。猛る負の感情が生んだ、嫌な熱だ。
「復興の王として『再生記』を残すためには、戦中の失策は表に出してはならない汚点の一つだよ」
だから、壁を作って埋めたのだ。民のための場所を。
「灰王は自らの過失を隠すことを選んで、大切なことを後世へと語り継ぐ責任すら放棄したんだ」
崩城の戦火から誰一人も救わなかった虚しい空間に、ルカの声が重く響いて消えた。
復興の立役者。
新生ヴァレンの父。
そして、民を見る王。
ルカの中にいた偉大なる王の姿に、大きなひびが入っていく。




