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時越えの盟約路―気弱王子は歴史をやり直さない―  作者: 遠見夕己


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13章 木箱

 オリーブの実が大きくなっていることにミラとニコがはしゃいでいる。

 

 今日は地元の農夫がたまたま作業をしていて、ルカたちへ積極的に話をしてくれていた。そろそろ収穫が始まるのだという。

 

「殿下」

 

 振り返ると隊長がこちらへと近づいてくる。相変わらずかなりの早足だ。

 

「ご歓談の中、申し訳ありません。少しよろしいですか?」

 

 ルカは一行から離れて隊長へと向き直った。隊長が警戒するように声のトーンを落とす。

 

「地下通路で遺物が発見されました。ご確認を」


 ルカは弾かれたようにして建物を振り返った。

 

 地下空間の調査が始まってからひと月が過ぎていた。


 調査により、柱のある大空間、保管庫のある空間、そして、その奥は地下通路となっていることが判明した。地下通路の発見にはルカも興奮しきりで、その夜はほとんど眠れなかったくらいだ。


 だが、その後調査は停滞した。地下通路の作りの粗さが原因だ。ルカはやきもきしながら建物の入口でうろうろすることが増えた。ニコに落ち着きのなさを笑われたくらいだ。


 そんな折の新発見だった。ルカは気持ちが高揚していくのを感じた。

 

 ルカは地下へと降りた。水の匂いと張りつく湿気にはそろそろ慣れた。

 

 現地へ向かうと、複数の松明で照らされた通路の真ん中に、人が一人で抱え持つには大きすぎる何かが重々しく鎮座していた。

 

 木箱だった。

 

 長年この空間の湿気に晒されていたからか、木箱は全体的に黒ずんで、底に近い方は腐り落ちてしまっている。

 

「開けられるのか?」

「隙間を蝋で固めてあるようです。こじ開けますか?」

「頼む」

 

 ルカの声に調査団員の一人が懐から小さな刃を取り出した。そして、蓋部と本体との間に慎重に刃を入れていく。ルカは固唾をのんで見守った。

 

 蓋が開いた途端、中から大量の白い粉が舞い上がった。その瞬間、ルカは隊長の体に押されるようにしてその場から離された。背後にいた別の調査団員が、ルカを別の場所へと素早く誘導する。

 

「成分を確認いたします。こちらでお待ちください」

 

 短く告げられた内容にルカが頷く。

 ルカはそのまま、団員が慌ただしく道具を準備したり低い声で話し合ったりしている姿を祈るような気持ちで眺めた。

 やがて隊長が大股でルカの元へとやってきた。

 

「先ほどは失礼致しました」

「いや、的確な判断をありがとう」

 

 押しやったことに対して律儀に謝ってきた隊長に、ルカが笑いながら返事をする。隊長は軽く礼をして言葉を続けた。

 

「あの粉は石灰のようです。特に危険はありませんので、どうぞお戻りください」

「調湿目的、ということか」

 

 歩き出したルカの後ろから、隊長が「恐らく」と答えてくる。

 

「木箱の内側には蝋が厚く塗られています。これも湿気を嫌ってのことでしょう」

「何をそんなに残したかったんだろう……」

 

 ルカは呟きながらも、カシアンから聞いていた保存と湿気の相性の悪さを思い出し、何となく収まりの悪い心地がした。何が入れられているにしろ、わざわざここに保管する意図が掴めない。

 

 木箱のそばに戻ると、石灰はほとんど取り除かれていた。見下ろした木箱の中には薄汚れた布があった。油に浸したもののようだ。黒手袋が、幾重にも重ねられた布地を慎重にめくっていく。

 すると、今度は随分と年季の入った革袋が出てきた。

 

「どうされますか」

「出してくれ」

 

 ルカの指示によって、革袋が慎重に取り出される。同じ革の紐で口を固く縛られていた。用意された敷布の上に革袋がどさりと置かれた。かなりの重量がありそうだ。

 

「移動しよう」

 

 ルカが提案した。

 

「先ほどは石灰だったが、これも中身がまだ分からない。地下で開封するのは何かあった時に危険だ。太陽光を遮れるよう、地上に簡易の日除けを作ってくれ。そこで中を改める」

 

 ルカの指示に団員たちがてきぱきと動き出した。

 

 地上に出ると、からりとした空気が心地よくルカを迎えた。

 ミラとニコは近くの木の影で馬に餌をやっていた。ルカの姿を見るなり「お帰りなさい」とニコが声を上げる。

 

「ごめん、もう少しだけ」

 

 ルカの後ろでは団員たちが手早く日除けや敷布を準備している。それを見て取った二人が揃って歩いてきた。

 

「何始めるんですか?」

「見つかったものを改めるだけだよ」

 

 ルカの言葉にミラが迷うように馬を見た。ミラが立ち去る前にルカが声をかけた。

 

「ミラ様もぜひ」

 

 ルカの声にミラがほっとしたように「はい」と言った。

 

 全ての準備が整ったところで、ようやく革袋が開かれた。収められていたものが団員たちの手で次々に取り出され、手際よく並べられていく。

 

 ルカは急く気持ちを手を握ることで堪え、彼らの作業が終わるのを待った。

 

「これは……」

 

 目の前に並べられたものは、何かの記録のようだった。

 

 羊皮紙を糸綴じしたもの、巻いただけのもの、切れ端を集めたもの……形は違えど、その全てに細かく文字や数字が書いてある。

 

 何よりもルカを驚かせたのは、その保存状態の良さだった。並べられている羊皮紙にさっと目を走らせただけで、文章が自然と頭に入ってくる。汚れや傷みがほとんどないのだ。

 

「手に取って見てもいいか?」

 

 ルカの声に、作業を見守っていた隊長が「どうぞ」と黒手袋を差し出してきた。ルカがそれをはめながらその場にしゃがみ、一番端に置いてあった巻物を慎重に開くと、中の文章を読み始めた。と、ニコが後ろから覗き込んでくる気配がした。

 

「これ、読めます? 古語ですよね?」

「かなり時代が下ってるけど、間違いなくヴァレンの文字だよ。内容は何となく分かる」

「日々の読書の賜物ですね〜」

 

 ニコが感心したように呟いた。

 

「何が書いてあるのですか?」

 

 ミラがルカへと問う。

 

「こちらには井戸について書いてあります。追加で設けるかどうかを話し合った議事録……のように読めます」


 ルカは顔を上げた。

 心のしこりがすっと溶けていくような気がした。

 

「ミラ様、やはりここはヴァレンの施設です。工事計画のやり取りがヴァレンの言葉で残されているのが何よりの証、ミラ様が懸念されていたようなことはありません」

 

 きっぱりと言いきったルカに、ミラが柔らかな笑みを見せる。ほっとしているように見えて、ルカも微笑みを返した。ニコのわざとらしい咳払いは無視をした。

 

 巻物を戻したルカの興味を引いたのは、他よりも随分と分厚い冊子だった。壊してしまわないよう敷布に置いたまま、ぱらぱらとページをめくっていく。

 

「そちらには何が?」

「さすがに古くて、これは僕も調べながらでないと何とも……ただ、何かの日付と数字が細かく書きつけてあります。記録簿だったのかな――あれ」

 

 ルカが呟いた。冊子のページは中頃まで来ていた。

 

「記録のつけ方がより詳細になって、日付に年が加わっていますね。この辺りからは僕でも読めるな……食料や……人員を数えてる……?」

 

 ぶつぶつと呟いていたルカがふいに黙った。

 夏の暑さが引いていく感覚。

 

「どうしました?」

「――戦史」

 

 ニコとミラに緊張が走ったのを感じた。ルカが記録から顔を上げて二人を見やる。

 

「僕はヴァレンの戦争史を全て覚えている。ヴァレンの地で争いが勃発した年月とこの記録が一致しているんだ」

「戦争に関する記録ってことですか? 兵站や派兵の記録とか?」

「それにしては全体的に数が多い気がする……」

 

 言いながらページをめくると、次の用紙は少し書き方が違っていた。詳細な記録の片隅に注記がされてあった。ルカが声に出してそれを読む。

 

「『北部地下避難所ニ井戸増設計画。湿気問題悪化ノ可能性アリ。備蓄品変更デ対応カ』」

 

「……避難所?」

 

 三人の声が被った。

 

「避難所……!」

 

 ミラが頬を染めながら、興奮した様子で声を上げた。

 

「ここはヴァレンの民のための避難所だったのですね!」 

「でも……」

 

 ニコが怪訝そうな顔つきになる。

 

「だとしたら、何で隠してあったんですかね?」

 

 誰も逃げてこられないじゃないですか。

 

 ニコの言葉に、ルカは薄ら寒いものを感じた。



  ***



 物見台から見る夕焼け空は絶景だった。

 西に沈みゆく太陽がまばゆい光の帯を放つ中、東に残る青い空は明るさを失いながら夜の色をまとっていく。

 

「調査現場に何度もお連れしてしまって申し訳ありません」

 

 ルカは隣のミラへおもむろに謝った。ミラが驚いたようにルカを見つめている。

 

「もし無理をさせてしまっていたら……」

「そんなことはありません」

 

 ミラが即座に言葉を返してきた。

 

「私は私自身の意思でこちらを訪ねております。ただ……」

 

 ミラが視線を落とした。

 

「ヴァレンの中に残るアルドの痕跡を探るということは、ヴァレンの深部を探ることに他ありません」

 

 ミラがここで再び顔を上げた。その眼差しがアルドの山に注がれている。

 

「私はアルドから密偵としてこの地に送り込まれた身です。今更こんなことを申し上げるのはおかしな話ですが、どこまで触れていいものかと最近悩んでしまうのです」

「ミラ様……」

 

 ミラの手が石の柵をぎゅっと掴む。

 

「今の私は、アルドの益でもヴァレンの益でもなく、二国の繋がりのために動きたい。だからこそ、見聞きしたものをどう扱っていいのかが日々分からなくなっているのです」

 

 ミラの口元がそっと開かれ、そしてまた閉じられた。

 吹き抜けていく風は冷たい。季節はゆっくりと、しかし確実に秋へと向かっているようだ。ルカは風の音を聞きながら静かにミラを待った。

 

「……多くの隠し事をしています。父上に告げていないこともありますし……あなたにお伝えしていないことも……」

 

 小さくなっていく声。うつむいてしまった顔。ミラがこんな風に話すのを初めて聞いていた。ルカは思わず言った。

 

「ミラ様はずっと一人で悩まれていたのですね」

 

 ルカの声に、ミラが肩を強張らせた。

 

「国や民のために口を閉ざすことはあります。それは隠し事ではなく、ミラ様が守るために選んでいることです。無理に全てを明らかにする必要はありません」

 

 ルカは穏やかに続けた。ミラが恐る恐るといった様子でルカを見た。

 

「ただ、苦しみはどうか僕に教えてほしい。僕は苦しさをあなたに共に背負ってもらって楽になりました」

 

 エリオのことだ。

 

「だから僕もあなたの力になりたい」

 

 ルカは一度言葉を切り、そして本当に伝えたいことをそっと口にした。

 

「あなたにはのびのびと笑っていてほしいんです」

 

 ミラが一瞬呆けた顔をして、そしてはにかむように微笑んだ。

 

「……不思議ですね」

 

 たなびく髪を手で押さえながら、ミラがそっと顔を隠してしまう。

 

「誰かがそばにいてくれる。ただそれだけで、気持ちが楽になることがあるのですね」

 

 そのまま二人は黙って景色を眺めた。一番星が見えるまで、ルカはミラのそばにいて、共に風を感じていた。

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