12章 井戸
「――んで、俺に何を見てほしいわけ?」
カシアンの怪訝そうな声が後ろから聞こえてくる。ミラと談笑しながら馬に揺られていたルカが、カシアンを振り返って安心させるように笑いかけた。
「そんなに心配しなくていいよ、倉庫番としての意見を聞きたいだけ」
「何だそれ」
「来てくれれば分かるよ」
ルカの声に被せるように先頭のニコが叫んでくる。
「カシアンさん、くれぐれも馬から落ちないでくださいよ! さっきから何ですか、そのだらしのない乗り方は!」
カシアンは乗馬にはそこまで慣れていないようで、姿勢がぶれない三人と違って、鞍の上で体が落ち着かない。ルカたちが軽やかに馬を進めている後ろを、渋い顔でのろのろとついてきていた。
「先頭からうるせえな! 前見て乗ってろ!」
「せっかく人が心配してるのに〜!」
「俺らが積み残した仕事のな!?」
カシアンの叫びにニコは高らかな笑い声を上げると、目の端に笑みを残したままルカを見やる。
「例の地下空間、今日こそアルドとの繋がりがはっきりする何かが出るといいですね」
「出てきてくれたら理想なんだけどね」
自信のなさそうなルカの声に、ニコが「あーあ」と大げさな声を上げる。
「オリーブの収穫時期が来るまでに撤収できたらなあ。調査が邪魔で収穫量が落ちた、なんて言われたらヴァレン中に怒られちゃう〜!」
ニコの冗談にルカとミラが一緒に笑った。
石造建築物から見つかった地下への階段。
その情報は即座にガレスへと共有され、調査団による現地検分はより本格的なものへと移行した。ルカは城内での政務をこなしながら、現地へとまめに足を運んだ。不思議と疲れは感じなかった。
地下の空間は想像以上に広く、どこまでも続いているらしい。倉庫跡という説そのものが怪しくなり、ルカがふと思い出したのがカシアンの職業だった。
「倉庫跡と言われれば納得はするぜ」
現地に着いたカシアンは、崩れた石壁を遠慮なく越え、建物内へずかずかと入っていきながらそう言った。調査団の用意した油皿が四方に置かれ、がらんとした石壁の空間はその全貌がはっきりと見える。
「……まさかこれだけか?」
カシアンが渋い顔をしながら、後から続いたルカたちを振り返った。
「このためだけには呼ばないよ」
ルカが笑って否定すると大げさに安堵して見せる。
「馬に乗った甲斐はあるってことだな?」
「もちろん」
ルカの声に応じるように、ニコが先導して歩き出す。四人は地下へと続く階段の手前で足を止めた。
階段は、大の大人が両腕を広げたくらいの幅がある。段石の表面はだいぶ削れていて、かなりの年季が入っていることが窺えた。
「なんだこれ」
カシアンの声にルカが答えた。
「見てほしいのは、この下なんだよ。この階段は煉瓦壁に隠されていたものなんだ」
「ふーん……」
階段に明かりは用意されていないが、地下空間から赤い光が漏れてくるので特に支障はない。カシアンは三人を残してひょいひょいと軽快に降りていった。その後を、ルカがミラの手を引いてゆっくりと下っていく。最後にニコが続いた。
地下へ潜るにつれ、ひんやりとした空気が肌にはりつくような感じがする。階段脇の石壁をなんの気なしに見たルカは、そこに水染みが滲んでいることに気づいた。
たどり着いた場所は、地下とは思えないほどの広さがあった。広大な空間には太い石の柱が等間隔で立っていて、その列は松明の光も届かない暗闇へと続いている。
漂う空気はどことなく重さを持っていて、わずかに水の匂いがした。
「殿下」
作業を続けていた調査団の面々が、あちこちから次々に一礼する。ルカは「構わない。続けてくれ」と軽い調子で言って作業へと戻らせた。
カシアンは空間を一人でふらふらと見回った後にルカの元へと帰ってきて「あっち行ってもいいのか?」と訊いてきた。
「僕たちも行くよ」
そう言ってついていった先は、先の空間ほどの広さはなく、大きな通路のような場所の両袖に小部屋がいくつか設けられていた。
とはいえ、部屋というには少し勝手が違う。人が軽く屈まなければならない程度の高さにアーチがあり、そこをくぐると天井がかなり低い小空間がある。石棚の痕跡も残されていた。
「うーん……」
カシアンが首を捻り始める。
「何か気づいたことはある?」
ルカの問いかけに、カシアンが頭をかく。
「なんつうか……倉庫にしちゃおかしいんだよな……」
「どの辺りが?」
「倉庫には必要ねえ余計なもんがあるんだよ」
そう言ったカシアンが、大空間の片隅にあるものを指さす。
「あれは多分、井戸だよな?」
広間にも似た大きな空間の隅には、石を円状に数段積み上げたものが設けられている。調査団によって古い井戸だと確認済みだ。そこまで深いものではなく、今も底に水が残っている。
「そうだね」
「普通あんなもん倉庫には作らねえよ」
「何かを洗ったりするのに水が必要にならないの?」
ルカの質問にカシアンが答える。
「その時は外から汲んで持ってくる。中に井戸なんか作ったら湿気が酷くなるだろ。倉庫にとっちゃ致命的だ」
カシアンの言葉に、ルカは先ほど目にした水染みを思い出した。
「後は出し入れが面倒だな。ここはただでさえ運河から遠いんだから、無駄に時間かかる倉庫なんかそもそも作られねえだろ」
「他のものを入れておいた可能性は? 何年も置いておくものとか」
ニコが言うと、カシアンが軽く頷いた。
「何年も寝かせるものは地下が最適だしな。ただ、その場合はやっぱり井戸がいけねえ。結露やカビの原因になりかねないからな」
「つまり、この地下空間が倉庫として使用されていたとは――」
「その考えにはあまり賛成できねえな」
ルカの言葉にカシアンがさらりと答える。
「物を置いとくには条件が大して良くねえよ」
「人ならどうでしょうか?」
突如ミラが声を上げた。
「人?」
ニコが聞き返す。ミラがやけに硬い表情で話を続ける。
「水と保管庫。確かに物を保管するには適さない組み合わせかもしれません。ですが、人が生きる最低限の物資、と考えると納得できます」
「確かにそうですね……では、ここは人が短期的に滞在することを見越した作りになっているということ」
ルカの言葉にミラが頷く。そして、一瞬伏せられた目が再びルカを見た。
「……敵地での潜伏施設、とか」
ミラの低い声に四人が黙った。遠くで、水の落ちる音がした。ルカの背にじっとりとしたものがせり上がる。
「まあ……その可能性は捨てきれないと思うぜ。どうやって敵地にこんな大掛かりなもん作るんだって話にはなるけどな」
カシアンの声にミラが複雑そうな表情を浮かべた。が、無言のままだ。誰も何も言えない重苦しい空気が、わずかに感じる湿気と共に漂っていた。
「――オリーブの実、見ます?」
ふいにニコが明るい声を上げた。
「そろそろ本当に小さな実がなり始めてるんですよ。ついでだから見ていきましょうよ」
「……いいですね」
ミラが強張らせていた表情をふっと和らげた。
「あ、カシアンさん、物見台からまだ景色見てないでしょ? ここに来たら見とくべきですよ」
言うなりニコは、早く上がりましょうと三人を急かす。ミラも踵を返して戻り、大空間を足早に横切って階段へと向かい始めた。ここから出ていきたいという気持ちが、どんどん小さくなる背中から伝わってくる。
ルカ自身、地上に出て少し楽になりたかった。ミラを追いかけるべく足を踏み出した。
「王子」
カシアンの呼び止めにルカは振り返る。カシアンが迷うように目線を動かし、そして、ルカを真っ直ぐに見た。
「倉庫にはさ、ごくたまに盗みに入る奴がいたんだよ」
淡々とした声。突然始まった話を不思議に思いながらも、ルカは口を挟むことなくカシアンの言葉を聞いた。
「そいつにもやむにやまれねえ事情はあっただろうよ。でも、俺にとっちゃただの盗っ人だ。別に極悪人とは思わねえが、盗っ人であることに変わりはねえよ」
カシアンがルカからそっと視線を外した。
「俺だって、そうじゃなけりゃいいと思ったことはある。でもよ、もしかしたらって期待しても、違ってることなんかたくさんあるだろ? 信じたいもん信じるんじゃなくて、間違ってんだって認めることも必要だと思うぜ」
ルカは黙ったままカシアンを見つめた。カシアンの眼差しはどこか遠くを見ていた。
『……俺も昔に失敗した口さ』
あの日と同じ目をしていると思った。




