第5幕 卵の勇者と魔王
漆黒の暗雲が重く立ち込め、禍々しい紫の稲妻が断続的に空を割る。
俺は紫煙の漂う魔王城にこっそりと忍び込み、必要最小限の戦闘だけをこなしながら最速で最上階まで駆け上っていた。
(戦闘っていうより不意打ちだけどな。まさかこんなところで、この小さい体が役に立つことになるなんて……。どう考えても勇者の戦い方じゃないが、今はそんなことを言っていられる状態じゃない。背に腹は代えられない)
重厚な鉄の扉が、地鳴りのような音を立てて開く。
扉を押し開けた先に広がるのは、見上げるほど高い天井とどこまでも続く漆黒の大理石の床。そして最奥の玉座には、男が一人、威厳に満ちた態度で深々と腰を下ろしていた。
――魔王ヴァルゼラム。
禍々しい漆黒の鎧を纏い、威圧的な魔力を全身から放つ姿は、まさに魔王と呼ぶにふさわしい。
「来たか、神どもの遣わした勇者――」
重厚で威厳に満ちた声が玉座の間に響き渡る。だが、その言葉は途中でぴたりと止まった。玉座から立ち上がりかけたヴァルゼラムの体が、そのまま金縛りに遭ったかのようにフリーズする。
彼の視線が捉えたのは、大理石の床の上をすべり落ちるように近づいてくる、割れた生卵の姿だった。
「………………」
流石の魔王も、瞬時に目の前の光景を受け入れることはできなかったらしく、静かに目を閉じて沈黙した。
静寂が部屋を支配する中、ヴァルゼラムは片手で額を押さえ、深々とため息をついた。その威厳ある顔立ちに、隠しきれない困惑と疲弊が滲み出ている。
「……部下から『卵が襲撃してきた』と報告を受けた時は、奴らの頭が狂ったかと思ったが……」
ヴァルゼラムは本気で呆れたような眼差しを向け、ぽつりと呟いた。
「こんなものを勇者として送り込んでくるとは……神どもは狂っているのか?」
(全くもって同感だ)
俺は思わず心の中で強く同意した。
『あ、あの……アルツさん? 私にはその声、聞こえてるんですけど……』
(分かって言ってんだよ、ポンコツ女神! お前が全部の原因だろうが!)
『ひやんっ!? そ、そんな怒鳴らなくったってぇ……!』
俺たちが脳内でそんな会話を繰り広げている間に、ヴァルゼラムは冷静さを取り戻していた。呆れ果てた表情を浮かべつつも、その眼光が鋭く細められる。
「……だが、その見た目に反して、内に秘めた魔力と威圧感は本物か。正気かはともかく、神どもも力を失ったというわけではなさそうだな」
そう言って魔王は腰の巨大な大剣を引き抜いた。刃から放たれる漆黒の魔気が、謁見の間の空気をビリビリと震わせる。
(チッ……油断してくれていた方がありがたかったんだけどな。流石にそう上手くはいかねえか)
俺は思考を切り替え、身体に全魔力をみなぎらせた。
視界の隅に表示されているステータスを確認する。
――――――――――――――――――――
HP:650,000 / 650,000
攻撃力:8,100
防御力:8,000
――――――――――――――――――――
(激しい移動と、ここまで降りかかった消耗のせいで、能力が三割近く落ちてやがる。手早く決めないと、マジで勝ち目がなくなるぞ)
「ほう。そちらもやる気は十分のようだな。最後の語らいができぬのは残念だが、その分は戦いの中で見せてもらうとしよう」
(上等だ! 卵だからって舐めたら痛い目見せてやるぜ!)
言葉の代わりに、俺は全身から爆発的な魔力を放出した。
◇
そうして決戦の幕が切って落とされた。
俺は殻の舟を滑らせ、超高速で魔王の側へと肉薄する。生身の体をしならせ、両手のように引き伸ばした白身から、遠距離斬撃の連射を叩き込む。
「むぅっ!」
衝撃波の刃が、魔王の漆黒の結界に激突し、激しい火花を散らす。
序盤はまだ俺の勇者としての力が高く、手数と全属性魔法の柔軟さで魔王を相手に有利に立ち回れていた。しかし――
「ハァッ!」
アストライアが言っていた通り、魔王の力は強大だった。大剣の一閃でこちらの斬撃を断ち切り、属性魔法も正面から受けることはせず、魔力の盾で器用に受け流される。俺の圧倒的な能力を、魔王は技量により紙一重で捌いていた。決め手となるような一撃は入れられず、膠着状態が続く。
(強い……! 決め手になる一撃が通らない!)
そうして時間が過ぎていく毎に、激しい戦闘ということもあり、賞味期限の減りも激しくなっていった。それによりステータスが下がっていく俺は、徐々に不利になっていく。
(くそっ……! 体が重くなってきやがった……!)
ただでさえ殻を失って傷みやすくなっている俺の肉体は、加速度的に劣化していた。最大HPの数値が、リアルタイムでゴリゴリと削られていく。
――――――――――――――――――――
HP:405,623 / 430,000
攻撃力:5,390
防御力:4,962
――――――――――――――――――――
「どうした勇者! 動きが鈍っているぞ!」
魔王の大剣が振り下ろされ、俺は殻の舟ごとすんでのところで回避する。だが、巻き起こった衝撃波だけで白身の一部が削り取られ、激痛が走った。
(ぐあッ……!? くそっ、能力が落ちてきてる。このままじゃ負ける……!)
苦し紛れに放ったファイアボルトも、最初の頃の威力は失われており、魔王の結界に易々と弾かれて消滅する。このまま消耗戦を続けていれば、間違いなく敗北する。
『アルツ! 危険です、これ以上戦闘が長引けば、あなたの存在そのものが崩壊します!』
アストライアの悲痛な声が脳内に響く。
(分かってるよ……! だが、普通に攻めたんじゃ、もうこの魔王の装甲を撃ち破れねえ!)
「どうやら、限界が近いようだな。生命力が失われていくのが目に見えて分かるぞ。だが、侮りはせん。この一撃で終わらせてやろう!」
魔王ヴァルゼラムが大剣を両手で高々と掲げた。
謁見の間の全魔力が、その刃の一点へと凝縮されていく。全方位を蒸発させるほどの凄まじい破壊力を秘めた、魔王の最大奥義の溜め動作だ。
(……ここだ。魔王が大技の際に見せる、ほんの僅かな隙……この一瞬に賭けるしかない……!)
俺は冷や汗を流しながら、死線の中で冷静に思考を研ぎ澄ませた。
魔王が大技を放つ時、集中した魔力にほんの僅かな「歪み」が生じることを、俺はこれまでの戦いの中で見抜いていた。
正面からの力比べでは勝ち目はない。だが、全力を込めた奥義でそこを穿てば――!
「思いのほか楽しめたぞ。さらばだ、勇者よ」
魔王の掲げた大剣の尖端に、夜空の星屑を凝縮したかのような黒い星雲が急速に集束していく。光を呑み込み、音すらも奪い去る超密度の暗黒球。大気が悲鳴を上げ、謁見の間の巨大な石柱が自重で崩壊し、黒い星雲へと吸い寄せられて破砕していく。
「塵と消えよ、『ネビュラ・エンド』!!」
大剣の振り下ろしとともに、渦巻く漆黒の星雲が一気に膨張し、津波となって押し寄せてきた。空間そのものが削り取られ、掠めただけで物質が消失していく暗黒の奔流。
逃げ場はない。防御も不可能。
だが、俺は怯まなかった。
(最後の勝負だ、魔王。残った俺の全魔力をくれてやる!)
俺は殻の舟から跳び出し、残された全魔力を極限まで凝縮させて、最後の一撃を解き放った。
(『セイクリッドピアース』!!)
ドゴォォォォォンッッ!!!!
闇と光が激突する。
魔王の放った超密度の暗黒球。その真ん中に、俺は針の穴を通すような精度で自分の体ごと光の槍となって突撃した。暗黒球の中心、そこにある僅かな魔力の歪みを穿つように光の槍が突き進む。迫りくる闇の奔流が俺の体を消滅させようと迫りくるが、俺は止まらない。
(貫けぇーー!)
俺の叫びに応えるように光の槍が光を増し、暗黒球の中心に風穴を開けた。そして――
「なっ……!? バカ……な……」
驚愕に目を見開く魔王の胸の中央を、光となったアルツが完全に貫き通していた。
「ガハッ……!? 我が……このような……卵に……」
胸に開いた穴を押さえ、魔王ヴァルゼラムは信じられないといった表情のまま、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。そのまま巨大な地響きを立てて、床へと倒れ伏す。
「……勝っ……たぞ……」
魔王の巨体が消滅していくのを見届けながら、俺は床にポタリと落ちた。
ついに魔王を撃破したが、俺のHPも魔王との激しい戦いと最後の大技の反動で、既に限界を超えていた。
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HP:3 / 3
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(……なんとか……間に合った……か……)
視界が急速に暗転していく。
賞味期限と共に俺の命の期限も、今まさに尽きようとしていた。




