第2幕 勇者の卵、無敵の快進撃!!
青々とした草花を踏みしめ……いや、殻の表面で草をなぎ倒しながら、俺はトコトコと林の中の街道を進んでいた。
転がる感覚にも、ようやく体が慣れてきたところだ。最初は慣れない感覚に戸惑ったが、空間把握のスキルのおかげか、今では自分の意志通りにピョンピョンと跳ねたり、なめらかに方向転換したりすることができる。見た目は完全にただの卵なのだが、機動力だけはやけに高いというシュールな状況に、俺は心の中で小さく苦笑を漏らした。
(それにしても、静かだな……。本当にこの先に魔王がいるのか?)
木漏れ日が差し込む穏やかな林道を進みながら、俺はふと周囲を観察する。女神アストライアの話では、この世界のあちこちに魔王軍の手先がうろついているはずなのだが、今のところ遭遇するのはただの小鳥やリスばかりだ。
いや、正確に言えば、俺の纏っている魔力があまりにも異常なため、野生の動物たちは本能的な恐怖を感じて遠ざかっているようだった。
(まあ、平和ならそれに越したことはないが……賞味期限のこともあるし、さっさと進むに越したことはないか)
視界の隅に常時表示されているステータスウィンドウを確認する。
――――――――――――――――――――
HP:999,970 /999,870
――――――――――――――――――――
出発地点から少し時間が経ったことで、最大値が着実に削られていっている。わずかずつではあるが、確実に「時限爆弾」のカウントダウンが進んでいる証拠だ。
この冷徹な数字を見るたびに、背筋が凍るような焦燥感が胸を突く。どれほど無敵のステータスを持っていようとも、時間切れになれば文字通り「おしまい」なのだ。
(のんびり景色を楽しんでる場合じゃないな。もっとペースを上げ……っと?)
その時、前方からガサガサと草木を揺らす荒々しい足音が聞こえてきた。
風に乗って、獣特有の生臭い匂いが伝わってくる……いや、卵に鼻はないはずなのだが、感覚として強烈に察知できる。
「グルァァァッ!」
威嚇するような野太い咆哮とともに、木々の隙間から飛び出してきたのは、体長が人間の倍ほどもある巨大な牙狼――『ファング・ウルフ』の群れだった。黒光りする毛並みに、血走った赤い瞳、そして口元からは鋭い牙が覗いている。数にして五匹。それぞれが飢えた獣のような殺気を放ちながら、一斉に俺の方へと視線を固定した。
どうやら、美味しそうな獲物を見つけたと思ったらしい。
(……初戦闘の相手が、あんなデカい犬の化け物か)
常人であれば、こんな凶暴な魔物に囲まれれば恐怖で気絶しているところだろう。だが、俺の心臓は妙に落ち着いていた。なにせ、ステータス上の攻撃力は『9,999』である。
(まずは、どれくらいの威力が出るか試してみるか……。手始めに、一番基本のやつで……)
俺は意識を集中させ、初級魔法の詠唱を脳内で構築した。
対象は正面の群れの中心。発動する魔法は、最も基本的な攻撃魔法――
(『ファイアボルト』!)
瞬間、俺の卵の殻の表面にわずかな魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間、凄まじい轟音とともに爆炎が放たれた。
――ズドォォンッ!!!
林道が激しく揺れ、周囲の空気圧が一瞬で跳ね上がる。
俺が放ったはずの「初級魔法」は、もはや炎の塊というレベルを超越していた。それはまるで小さな太陽が地上に墜落したかのような巨大な業火の柱となり、ファング・ウルフの群れを一瞬で飲み込んだのだ。
凄まじい熱量と衝撃波が周囲の木々を根こそぎ薙ぎ払い、直径数十メートルにわたって地面を抉り取る。
(……は?)
静寂が戻った後、目の前に広がっていたのは、ただ一面の焦土だった。先ほどまで殺気を放っていたファング・ウルフの姿は、跡形もなく消え去っている。いや、消滅したという表現が正しかった。
(……いや、威力が初級のそれじゃねえだろ)
俺は呆然としたまま、その光景を見ていた。
あれのどこが初級魔法だ。あんなもん考えなしに撃っていたら、魔物どころか巻き添えで周囲の地形ごと自分まで消し飛びかねない。しかし、強力であること自体は間違いなかった。
(ま、まあ、扱いさえ間違えなければ頼りになるのは確かだ。これだけの魔法があれば、きっと道中の雑魚魔物程度は障害にもならないだろう。見た目を犠牲にしただけのことはあったってことだな)
自分の異常な戦闘力を把握した俺は、わずかな不安といくらかの自信を得て、再びピョンと体を跳ねさせて前進を再開した。
◇
それからの道のりは、まさに俺の独壇場だった。
林を抜けて険しい山道に差し掛かると、次から次へと魔物が襲いかかってきた。オークの集団、巨大な大蛇、空を飛ぶワイバーンなど、どれも旅人にとっては脅威となる手強い連中ばかりだ。
しかし、今の俺にとっては「動く的」でしかなかった。
(おらっ!)
飛びかかってきたオークの群れに対し、全身を勢いよく回転させながら、スキル『遠距離斬撃』を放つ。
シュパッ! と鋭い風切り音が響き渡り、目に見えないほどの高密度な斬撃波が放たれる。それだけで、オークの群れはまとめて綺麗に両断され、霧のように消えていった。
空を飛ぶワイバーンに対しては『ライトニングボルト』を直撃させる。雷鳴が轟き、一撃で黒焦げになったワイバーンが地面へと墜落していく。
接近戦では圧倒的な物理耐性(極)がものを言う。魔物の強烈な牙や爪の直撃もものともせず、頑丈な殻がすべてを弾き返す。衝撃すらほとんど伝わってこない。
(強い! 圧倒的に強いぞ!……卵だけど!)
属性魔法を自在に操り、遠距離からの斬撃で敵を一掃する姿は、周囲の光景も含めてどう見てもギャグなのだが、当事者である俺にとっては生死をかけた大真面目な快進撃だった。
ただ、一つだけ気がかりなのは、戦闘の最中も、移動している最中も、視界の隅にあるHPの数字が容赦なく減り続けていることだ。
――――――――――――――――――――
HP:999,520 /999,021
――――――――――――――――――――
(ぐっ……戦うたびに減るわけじゃないが、時間が経つだけで着実に削られていく。のんびり寄り道している暇はマジでないな)
自身の圧倒的な強さに自信と余裕を持ち始めた一方で、確実に戻らない最大HPの減少が、俺の背中を急かしていた。
道中、魔物に襲われている小さな村や、商隊の馬車が立ち往生している現場に何度か遭遇した。急いでいるとはいえ、困っている人間を無視して通り過ぎるのも良心が咎める。見過ごすわけにもいかなかった俺は、それらを移動のついでに解決することにした。
魔物に囲まれて絶望していた冒険者たちの脇を、一瞬で通り過ぎる。そのすれ違いざまに、周囲の魔物に向かって軽く遠距離斬撃を飛ばした。
――ズバシュッ!
それだけで、襲いかかっていた魔物たちの群れは一瞬で粉砕され、跡形もなく消え去った。
「え……? いま、何が……?」
「魔物が……一瞬で消えた……?」
助けられた冒険者たちが腰を抜かしたようにへたり込み、呆然と辺りを見回す。そして、彼らの視線の先に映ったのは、猛スピードで遠ざかっていく「小さな卵のような何か」だった。
別の村では、巨大な魔熊に襲われて泣き叫ぶ子供たちを救うため、俺は転がりながら『アイスランス』の魔法を正確に撃ち込み、熊を凍り付かせて瞬殺した。突然目の前の魔熊が氷像になり、あっけにとられる子供たちに、(次からは気をつけろよ)と心の中で声をかけながら、俺はそのまま街道を進んでいった。
◇
アルツのそんな活躍により、程なくして街道沿いの村や町の間で、奇妙な噂が広がり始めていた。
「おい、聞いたか? 最近、この辺りを旅していると、ピンチの時にどこからともなく現れて魔物を一撃で消し去っていく『神出鬼没の黄金の卵』がいるらしいぞ」
「なんだそりゃ? 卵の魔物か?」
「いや、違う! 村長が言ってたんだが、あれはきっと神様が遣わした『聖なる卵様』に違いねぇって! 実際にうちの息子が熊に襲われてたところを、その卵様に助けられたんだから間違いない!」
「卵が聖なる使いって、流石に何かの見間違いじゃねえのか? まあでも、魔王軍の斥候を片っ端から倒してくれてるって話だし、悪い奴ではなさそうだな」
「ああ、ありがたいことだぜ。何で卵なのかは、俺も不思議に思ったんだけどな」
◇
村人たちがそんな噂話に花を咲かせていることなど知る由もなく、俺はただひたすら、賞味期限のカウントダウンと戦いながら、魔王城へと続く険しい街道を突き進んでいた。
(ふぅ……雑魚の相手は問題ないけど、このペースだと魔王城に着く頃には、けっこうHPの最大値が削られそうだな。できるだけ急がないと……)
気合を入れ直した俺は、再び魔王城へ向けて進撃を再開した。




