第1幕 勇者、まさかの卵で降臨!?
「……目覚めるのです。勇者アルツよ……世界を救うために……」
頭の奥底に、染み渡るような声が響いていた。
どこか神聖で、けれど耳に心地よいその声に誘われるようにして、俺の意識は深い泥の底からゆっくりと浮上していく。
(……ここは、どこだ……? それに、俺は……いったい……)
状況を思い出そうとするのだが、思考には薄い霧がかかったようで、どうにもはっきりしない。自分が何をしていたのか、記憶が曖昧だ。
「私の声が聞こえますか? 勇者アルツ……」
(アルツ……そうだ、俺の名前だ。ああ、聞こえるけど、勇者って……? それに、なんだこの全身を包む妙な圧迫感は?)
体を動かそうとしても、手足の感覚がまるでなかった。身動きが一切取れない。暗闇の中で、ぴっちりと身を縮こまらせているような、酷く狭苦しい感触。
「……目が覚めましたね。よかった、私は戦いの女神アストライア。この世界を守る神の一人です」
神聖な声が頭の中に直接響く。その声に引きずられるようにして、徐々に意識がはっきりとしてきた。
(戦いの女神……アストライア?)
「そうです。そして、世界を脅かす魔王を倒すため、あなたをこの地に召喚しました」
(召喚……え?それって、俺が勇者ってことか……? ああいや、それも気にはなるが、なんだか体感覚がおかしいんだ。手足に力が入らないっていうか、感覚そのものが存在しないような……)
俺の言葉に、女神が小さく「うっ」と息を呑んだ気配が伝わってきた。
「そ、それなのですが……少しだけ、説明が必要でして」
(……嫌な予感がするけど、聞かせてくれ)
「もちろんです。あっ! まずはステータスを確認してみて下さい。今のあなたなら、意識するだけで把握できるはずです」
妙にテンションが高く、何かを誤魔化すような女神の態度が気にはなったが、言われるがままに試してみると、頭の中に情報が浮かび上がってきた。
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名前:アルツ
種族:勇者の卵
【ステータス】
HP:999,999 /999,999
MP:99,999 /99,999
攻撃力:9,999
防御力:9,999
・
・
・
【スキル】
全属性魔法(極)、遠距離斬撃、空間把握、物理耐性(極)……
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(……は? 全属性魔法に各種耐性、そのうえステータスは軒並みカンストしてる? 明らかに異常だろ、何かバグってるんじゃ……って、うん?)
異常な能力の数々に目を奪われていた俺だったが、その目線が種族欄に移ったところで思考が一瞬フリーズした。
(勇者の……卵?)
思考が纏まらぬまま、改めて意識してみると手足の感覚がない……。
(……なあ、女神様。さっきの話の続きだが、俺の体、よく確認したら手足の感覚がないどころか、丸っこくてツルツルした何かに包まれてる感覚がするんだが……気のせいだよな?)
女神アストライアは、微笑みながらも視線をふっと右斜め下へと逸らした。その頬には一筋の汗が伝い、完璧な美貌もどこか引きつっているように見える。
「……ええっと、その……種族欄の通りです。あなたの現在の肉体は……まあ、いわゆる『卵』なのです」
(なんでだよ!? 勇者召喚って、普通はイケメンになるもんだろ! なんで俺はスーパーのパックに入ってそうな形状になってんだよ!)
「お、落ち着いて聞いてください! これには深~い理由があるのです! 今回出現した魔王は、強大な力を誇っています。それに対抗するため、私はあなたに限界を超えた極限の戦闘能力を付与したのです!」
(ああ、ステータスが狂ってるのは見たから分かってるよ)
「ですよね!……なのですが、『世界の制約』というものがありまして。神である私であっても、世界の根本的なルールを無視することはできません。強大すぎる力を一個人に付加する場合、何か別の要素を犠牲にしなければならなかったのです」
俺のジト目の視線を受けて、一瞬で上がりかけたテンションを落としたアストライアは粛々とそう説明した。
(まさか、それが……)
「ええ。戦闘能力にすべてを極振り……コホン、いえ魔王を確実に倒すために犠牲にせざるを得ませんでした」
(……おい。いま明らかに言い直したぞ。しかも極振りとか、絶対ワザとだろ。こいつ、実はポンコツなんじゃ……)
俺の心の中のツッコミを察したのか、女神アストライアの声が目に見えて焦り始めた。語尾も心なしか弱くなっている。
「ち、違います! 悪気はなかったのです! あなたに絶対に勝利してほしくて、戦闘要素を限界突破で詰め込んだ結果、肉体の調整に回すリソースが足りなくなってしまって……」
(足りなくなってしまって?)
「その……人間の姿を維持できず、最も頑丈でエネルギーを効率よく保持できる『球体構造』……平たく言えば、卵の姿で降臨することになってしまいました」
俺は心の中で深く溜め息をついた。
(はぁ……もういい。なら、魔法とかアイテムで人間の体に移し替えてくれよ。それなら解決だろ?)
「それは不可能なのです……」
アストライアは申し訳なさそうに眉をひそめ、声のトーンを落とした。
「今のあなたに与えられた『勇者の力』は強大すぎるのです。仮に強力な回復魔法や魔法の道具、あるいは他の肉体を用意して魂を乗り移らせようとしても、人間の体ではその力に耐えきれず、自壊してしまうでしょう。耐えられるのは、制約と引き換えに特別に作られた、その『卵の肉体』だけなのです……」
(マジかよ……詰んでんじゃねえか……)
俺は再び深く、深く溜め息をついた。
(……もう起きてしまったものは仕方がない。勇者の力は本物なんだろうし、それで魔王を倒せばいいんだろ? やるだけやってやるよ)
「おお……! ご理解いただけて感謝します、勇者アルツ! さすがは私が選んだ勇者、心が広いのです!」
感極まったようなアストライアの声。いや、許したつもりはないが。
ともあれ、まずはこれからのことについて、アストライアに相談しようとした俺だったが、そこで僅かな違和感を感じるのと同時に、ステータス欄のある変化に気づいた。
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HP:999,998 /999,998
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(……見間違いか?)
まさかと思いつつ、注視すると――
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HP:999,997 /999,997
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(……違う。明らかにHPが減ってる。しかもこれ、最大値のほうが削れていってないか……?)
時間の経過とともに、確実に最大HPの数値が減少している。ダメージを受けたわけでもないのに、生命力の限界値そのものが削られているのだ。
(おい、アストライア。これ、どういうことだ? 俺のHPの最大値がじわじわ減ってるんだが)
問いかけると、女神が露骨に気まずそうな気配を漂わせた。
「あ……えっと……それはですね……その……」
(隠さずに言え。俺の命に関わることだぞ)
「……賞味期限、なのです」
(……は?)
「召喚された時点から、あなたの肉体は少しずつ劣化していきます。時間が経つにつれて生命力が低下し、最大HPが減少していくのです。……いわば、賞味期限付きの勇者様、ですね……?」
(ですね、じゃねえよ! 生ものか俺は! ってか、それじゃ肉体を犠牲にした意味がないじゃねえか!)
「あ、それは安心してください! 今はまだ生まれたてですので、鮮度はバツグンです! 数日間は十分持ちますから!」
(ドヤ顔で鮮度バツグンとか言うな! ていうかHPの最大値が減るってことは、モタモタしてたら魔王に辿り着く前に腐って死ぬってことじゃねえか!)
「で、ですから! 賞味期限が切れる前に、一刻も早く魔王城へ向かい、魔王を討伐していただきたいのです!」
アストライアは拝むように両手を合わせ、神聖な雰囲気を完全に投げ捨てて懇願してきた。
(くそっ……なんて理不尽なスタート地点だ。文句を言いたいのは山々だが、こんなことをやっている間にも……)
表示されている最大HPは、すでに『999,990』を切っていた。このポンコツ女神とこれ以上コントをしている時間すら惜しい。
「うう……本当にごめんなさい……でも、あなたの強さは本物です! 賞味期限が切れる前に魔王を倒せば、世界は救われるのです!」
(言われなくてもやってやるよ!tっ、モタモタしてたら俺が腐っちまう!)
「ありがとうございます! 魔王城の場所は分かっていますから、あなたの力なら三日も掛からないでしょう。あなたの往く道に祝福のあらんことを!」
アストライアの言葉と共に、俺の視界が眩い光に包まれた。
◇
光が収まった時、俺は青々とした草原の真ん中に転がっていた。
やはり手足はない。視界は360度見渡せる妙な感覚。地面の草の感触が、殻越しにダイレクトに伝わってくる。
(よし……まずは移動だ。どうやって動けばいいんだ?)
意識を集中し、前へ進もうとイメージする。すると、俺の丸い身体は『ゴロッ』と音を立てて前方に転がった。
(おお、案外思った通りに転がれるな……! これならいけるかも知れない!)
勢いをつけてピョンピョンと跳ねてみる。衝撃はまったく感じない。殻の耐久力は伊達ではないようだ。
(よし、覚悟して待ってろよ魔王! 賞味期限が切れる前に、速攻で叩き潰してやるからな!!)
原因の一端でもある魔王に、半ば八つ当たりのような気持ちも込めて心の中でそう宣言すると、俺は魔王城の方角に向けて全速力で移動を開始した。




