第8章25話 逆位の森
測定器が示す温度は、影の時とは逆に「冷えて」いた。
森の声が止み、目に見えない「重さ」が肺を圧迫する。
ガルムですら「初めて」と漏らす未知の存在を前に、レイは自身の指先に残る微かなマナの感触を確かめる。
森の声が、止まった。
鳥が鳴かなくなる。
虫の音が消える。
足元の草が揺れていたのに、風もなくなる。
ガルムが立ち止まった。
前足を地面につけたまま、耳だけが後ろへ倒れる。
「……違う」
一語だった。
アリスが測定器を取り出した。
俺より先に、セラが覗き込んだ。
「レイ」
セラの声が、一段低くなった。
「これ、影の時と逆です。熱が——引いてます」
確認する。
冷たくなっている。
影の時は先に跳ね上がって、それから熱を持った。
今は逆だ。
冷えている。
これから何かが来る。
マーカスが盾を前に出した。
トーマスが双剣の柄に手をかけた。
カイラが一歩下がる——そこで止まった。
カイラの顔が白い。
回復魔法使いが後退するのは当然だ。
でも今の顔は違う。
何かを感じている。
「カイラ」
マーカスが短く呼んだ。
カイラは首を振るだけで答えなかった。
エルネストは動かない。
全員が、止まった。
木々の向こうに何かがいる。
輪郭が見えるわけじゃない。
見えないのに、そこに何かがあることが分かる。
重さ——息を吸うたびに、肺の中が少し重くなる感覚。
空気の密度が変わっている。
光の差し方が、そこだけ違う。
測定器が、跳ね上がった。
ガルムが一歩、前に出た。
止まった。
影の時、ガルムは一歩も前に出なかった。
後退した。
でも今は、前に出て、止まっている。
「……初めて」
俺は指先に集中した。
少し増えてる。
でも、試せない。
水準じゃない。
分かっている。
影の時、あの白い光の反応パターンが分かれば——もし空気圧縮が使えていれば、接触の瞬間に何かを試せたかもしれない。
何かが分かったかもしれない。
でも試せない。
俺にできることは、観測だけだ。
何かが、近い。
「重さ」が動かない。
こちらへ来るわけでも、退くわけでもなく、そこにある。
測定器の光が安定しない。
赤ではなく、白に近い何かで点滅している。
影の時の赤とは違う。
パターンも違う。
影は不規則に明滅した。
これは——間隔がある。
一定じゃないけど、何かを数えているみたいな間隔。
マーカスが低く言った。
「追うか」
誰も答えなかった。
俺は一秒、考えた。
追えば正体が分かるかもしれない。
でも魔力が試せる水準にない。
ガルムは「初めて」と言った。
未知の存在を魔力不足で追う判断は——
「追わない」
声に出していた。
マーカスが俺を見た。
俺は測定器から目を離さなかった。
「今は、追わない」
エルネストがノートを開いた。
ペンを走らせている。
前話では閉じた。
今は書いている。
測定器の光が、静かになった。
重さが、薄れた。
森の声が、戻ってきた。
鳥が一羽、遠くで鳴いた。
虫の音が、じわじわと戻ってくる。
影の時には戻らなかった。
あの時は声が消えたまま、ずっと静かだった。
カイラが、息を吐いた。
「ガルム」
俺は聞いた。
「……初めて、って何が」
「……知らない」
「影の時と、逆だった」
俺は測定器を見たまま言った。
「熱が引いてから、跳ね上がった。影は逆だった。最初に上がって、それから熱を持った。光の色も違う。リズムも違う」
「何を感知したんでしょう」
セラが測定器を俺から受け取って、もう一度見た。
光はもう消えている。
「影は、こちらを見ていました。でも、今のは——もし、これが別の種類の存在なら」
セラが言葉を止めた。
続きを待った。
「北に近づくほど、増えます。影だけじゃなく」
断定だった。
仮説じゃない。
エルネストがノートを閉じた。
「北に近づくほど、増える。避けられない」
全員が彼を見た。
エルネストは北を向いたまま、こちらを見なかった。
「六日で塔に着く。その間に、何度か来る。次は——追うかどうか、今決めておけ」
歩き出した。
俺たちも動いた。
歩きながら、指先に集中する。
少し増えてる。
試せる一歩手前。
もう少し——あと何時間か、何日か。
「初めて」という言葉が、頭の中に残っている。
ガルムが「初めて」と言ったなら、影でも既知の魔獣でもない。
それが北に近づくほど増えるなら。
六日。
次は、追うかどうか決めておけ。
北へ進む。
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(8章25話 終)
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光の色も、熱のパターンも、影とは明らかに違う。
観測できた事実は、北へ進むほどこうした存在が増えていくという過酷な現実だった。
魔力が戻りつつある今、レイは次に現れる「何か」を追うべきか、決断を迫られる。
次にレイは、何を"確かめにいく"のか。
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