第8章26話 揺れてる
ようやく指先にマナが戻ってきた。
特別なことは何もない、けれど確かな感触。
レイは、これまで温めてきた「魔法式の冗長なループを消す」という試行に、ついに手をかける。
それは、世界の常識を削る一歩だった。
指先が、変わった。
気づいたのは森の中、三時間ほど歩いたあたりだった。
特別なことは何もない。
ただ、マナが手に届くような感覚が戻ってきていた。
昨日とも、一昨日とも違う。
試せる、かもしれない。
「セラ」
声をかけると、彼女はすぐに振り返った。
「魔力が……戻ってきた。試せると思う」
少し間があった。
何かを計算するような顔をしてから、セラフィナが目を細める。
「今ですか」
「今じゃないと、また下がるかもしれない」
彼女は小さく息をついて、すぐに鞄からノートを取り出した。
「消す前に、記録しましょう。今の魔法式を、先に」
エルネストが片手を上げてパーティーを止めた。
誰も何も言わなかった。
セラが鉛筆を走らせる間、レイは一度だけいつもの感触を確かめた。
空気圧縮の魔法式を小さく展開して、すぐ解く。
これが基準。
今日の、起点。
冗長なループが二箇所ある。
外側と内側が、同じ処理をしている。
消せるはずだ。
「記録、できました」
とセラが言う。
「やってみましょう」
集中する。
魔法式を展開して、外側のループを探す。
ある。
端から慎重に外していく——あと少し、という感触が来た瞬間。
茂みが揺れた。
「来る」
とガルムが言った。
ウルフが二頭、木の間から姿を見せた。
グレーの毛並み、目が光っている。
レイの中でループが戻った。
集中が切れた瞬間に、外しかけていた構造が元の形に戻っていく感触があった。
あと三秒、いや二秒あれば外れていた。
止める。
「任せる」
とガルムに言うと、もう動いていた。
トーマスが双剣を抜いて横に出る。
レイは木に背を預けた。
目を閉じる。
もう一度やる。
頭の中で構造を展開し直す。
外側のループを探し、端を——。
ウルフの爪が地面を蹴る音が来た。
思考が揺れた。
もう一度。
ループの端を——唸り声。
また崩れた。
静かになった。
「終わった」
とトーマスが言う。
「またですか」
とカイラが小さく言った。
レイは目を開けて、また始めた。
外側のループを探す。
ある。
端から外していく。
崩れそうになって——踏ん張る。
外れた。
手応えがあった。
消せた。
それから一瞬遅れて、何かがずれた。
制御が、滑る。
まるで足場が少しだけ傾いたような感覚。
魔法式は形を保っているのに、握っている感触だけが薄い。
さっき確かめたいつもの感触と、明らかに違う。
「……消せた」
と声に出した。
「でも、揺れてる」
セラが測定器を向けて、顔を上げた。
目が細くなる。
「反応が……変わってます」
それだけ言って、止まった。
何かを言いかけて、止まった。
測定器と、レイの手と、測定器を、また見た。
「どう変わった」
「分からないんです」
とセラが言った。
「削除したことと、関係があるのかもしれないけど……なぜこう変わるのかが」
「揺れてる、というのは」
とセラが言った。
「制御の感触が薄くなった。使えるけど、以前より集中しないといけない」
「効率は上がりましたか」
「たぶん。消費が減った感覚はある」
彼女はノートに何かを書いた。
それから少し考える顔をした。
「……両方、起きたのかもしれません」
と静かに言った。
「効率が上がって、同時に不安定になった」
「予想してたの」
「してませんでした」
セラが首を振った。
「効率か制御か、どちらかだと思ってた」
エルネストが無言で近づいてきた。
測定器とノートを見比べて、少し止まった。
それから、
「続けろ」
と言って、前に歩き始めた。
それだけだった。
レイは立ち上がって、歩き始めた。
指先に意識を向ける。
滑る感触は、まだある。
消えていない。
壊れた、わけじゃない。
さっきのいつもの感触と比べれば、確かに違う。
でも使えないわけじゃない。
次に「あれ」が来たとき——不安定なまま追うことになるかもしれない。
エルネストが言った「決めておけ」という言葉と、今この指先の感触が、頭の中で重なった。
追うと決めるなら、この状態で使う覚悟が要る。
「ガルム」
「……まだいる」
とガルムが言った。
「さっきのとは、別の」
レイは指先に集中したまま、前を向いた。
森が続いていた。
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(8章26話 終)
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外側のループを削除した結果、得られたのは「効率の向上」と「制御の不安定化」という矛盾した手応えだった。
足場が傾いたような揺らぎを抱えながら、レイは自身の魔法が変質したことを悟る。
次にレイは、何を"確かめにいく"のか。
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