第8章24話 出力ではなく修正
安静が前提の傷を抱え、それでも移動を強行しなければならない現実。
指先にマナを呼ぼうとしても、掌は空っぽのまま。
だがレイは、魔法の構造から「いらないもの」を削ぎ落とす逆転の発想に、唯一の活路を見出す。
朝の光が木々の隙間から細く差し込んでいた。
カイラが屈んで、セラの右肩の包帯を確かめる。
無言だった。
その沈黙が、全員に届いた。
「……滲んでます」
カイラが言った。
声は静かだったが、それだけで十分だった。
マーカスが一度目を閉じる。
エルネストは手帳を持ったまま動かない。
トーマスが地面を見た。
セラは「大丈夫です」と言おうとして、口を開いたまま止まった。
レイは自分の指先を見ていた。
何もない。
昨夜から変わっていない。
マナを呼ぼうとしても、指先に何も集まってこない。
空っぽのまま。
カイラが静かに言った。
「このまま移動したら、悪化します。
止血は保ってますが——安静が前提で」
マーカスが口を開こうとした。
レイは言った。
「待って」
声が思ったより低かった。
全員がこちらを見る。
「……痛みを、止められるかもしれない」
頭の中で組み立てながら言っていた。
省エネの研究をしていた時、ずっと「何が余分か」を考えていた。
魔法の構造の中で、いらないものを削る。
その逆を考えたことはなかった。
でも——身体の中で乱れているものがある。
それだけを、整える。
カイラが一拍置いて言った。
「……悪化する可能性もあります」
分かっている。
それでも。
セラと目が合った。
セラはレイの手を見ていた。
迷っているのを、見ていた。
「……試してください」
セラが先に言った。
レイはセラの隣に膝をついた。
右肩に、そっと手を当てる。
布越しに、熱が伝わってくる。
ガルムが音もなく一歩、外側へ出た。
背を向けて周囲を向く。
無言のまま、そこに立った。
目を閉じた。
マナは、ない。
でも感覚はある。
身体の中に手を伸ばすような——そういう感覚。
傷の周りで何かが乱れている。
引きつっている。
そこだけ、流れが滞っている。
それだけ、止める。
出力じゃない。
修正だ。
マナが薄く動いた。
糸というより、霧みたいな。
それでも確かに動いた。
傷の周りの「乱れ」に触れようとした瞬間——広がった。
整えるはずの流れが、一瞬、逆方向に引かれた。
息が止まった。
止血が崩れる、と思った。
押さえる。
引き戻す。
乱れの端を掴んで、元の向きへ。
セラが微かに声を上げた。
痛みではなかった。
驚きの息だった。
流れが、静まった。
止血。
固定。
炎症の熱が少し引いていく。
でも——完全じゃない。
手が震えていた。
気づいたら震えていた。
傷は残っている。
塞がっていない。
痛みが消えたわけじゃない。
ただ、少しだけ、遠ざかった。
森が、一瞬静かになった。
鳥の声が止んだ。
風もない。
何かが息を潜めているような——次の瞬間には元に戻っていた。
「全部は、無理だ」
声が出た。
言い訳じゃなくて、確認として。
セラが静かに息を吐いた。
「……動けます」
エルネストが手帳への記録を止めた。
一瞬だけではなかった。
しばらく、ペンが動かなかった。
何を書けばいいか分からないような顔をしていた。
それから、何も書かずにページを閉じた。
カイラが傷を確認する。
「止血、保ってます」
短い声だった。
それから一拍置いて、
「……どうやったんですか」
と言った。
答えを求めているのではなかった。
ただ、言わずにいられなかったような声だった。
マーカスが立ち上がる。
セラを見た。
「動けるか」
「動けます」
「行くぞ」
森が続いていた。
移動を再開して一時間が経った頃、ガルムが足を止めた。
「近い」
昨日まで「まだいる」と言っていた。
「近い」は違う。
距離が変わった。
次の瞬間、前方の茂みが揺れた。
ウルフ種が二体、低い姿勢で出てきた。
毛並みが黒い。
目が光っている。
トーマスが双剣を抜く動作と、ガルムが前に出る動作が同時だった。
レイは後退した。
指先に意識を集中しながら——何もない。
今は使えない。
ガルムとトーマスを信じるしかない。
右手が、朝の震えをまだ覚えていた。
五分かからなかった。
ガルムが一体を押さえ、トーマスが仕留める。
もう一体はガルムが単独で片付けた。
静かになった。
ガルムが、動かなかった。
仕留めた方向とは別の、北の奥を向いたまま立っていた。
「ガルム」
ガルムがゆっくりこちらを向いた。
「遠い」
昨日「近い」と言ったものとは、別の話をしていた。
レイは指先を見た。
集中する。
マナを呼ぶ。
……少し、戻ってる。
試せるほどじゃない。
でも、ゼロじゃない。
北へ進む。
森が続いていた。
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(8章24話 終)
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魔法を攻撃の手段ではなく、乱れた流れを「整える」ための修正として振るう。
霧のような薄いマナでも、確かにセラの熱を遠ざけた。
僅かに戻り始めた感覚を頼りに、レイは自身の中に眠る新たな魔法の在り方を掴み取ろうとしていた。
次にレイは、何を"確かめにいく"のか。
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