【第8章18話】 夜明けの影
夜明け前の静寂を切り裂き、巨大な影が輪郭を揺らしながら現れた。
測定器は焼けるような熱を帯び、手のひらに鋭い痛みが走る。
魔力の残弾は、あと二回。
影の「内側」にある違和感に気づいたレイは、ある一つの仮説を確かめるために息を吸った。
眠れなかった。
横になって目を閉じていたが、意識は薄い膜一枚のところで浮いたままだった。
枯れ葉が背中に食い込む。
風が止まっている。
森が静かすぎる。
静かすぎることが、もう警告だった。
測定器を胸の上に置いたまま、レイは天幕の隙間から空を見上げた。
まだ暗い。
夜明け前の、一番重い時間。
測定器が、熱くなった。
じわりと、皮膚に染み込むような熱さ。
赤い光が滲んだ。
レイは上体を起こした。
「……来る」
ガルムがすでに立っていた。
耳が伏せられている。
木が折れる音が、左側から聞こえた。
一本。
二本。
地面から振動が這い上がってくる。
葉が空中に舞い上がり、暗い空に散った。
「起きろ!」
マーカスの声が野営地を割った。
影は、木々の向こうから来た。
巨大だった。
前に見たときより大きかった——そう思いたくなかったが、そう見えた。
木の幹を薙ぎ倒しながら、輪郭だけが揺れてくる。
輪郭だけが存在して、中身がない。
「下がれ!」
マーカスが大盾を構えた。
トーマスが左右に散る。
アリスが測定器を向けた。
カイラが後衛に下がる。
レイは測定器を握り直した。
赤い光が完全に灯っている。
熱い。
さっきより熱い。
手のひらに焼けるような感覚が走った。
ガルムが先に走った。
低い軌道で影に飛びかかり、前脚が輪郭に触れた瞬間——弾かれた。
石を弾くような、鈍い音がした。
転がって、木の根に叩きつけられる。
立ち上がった。
が、次の突貫に入ろうとした脚が、止まった。
止まった。
ガルムが、自分から止まった。
影の前で、もう一度突貫しなかった。
ゆっくりとレイの横に戻ってくる。
それだけで、わかった。
効かない。
効かないと、ガルム自身が判断した。
「セラ、下がれ——」
セラがすでに左側面に回り込んでいた。
ナイフを抜いて、踏み込もうとした瞬間、足がもつれた。
肩を庇うような動きで体が傾く。
それでも手は止めなかった。
ナイフが輪郭をすり抜けた。
影が、セラの方を向いた。
「マーカス!」
マーカスが盾で正面から押し込んだ。
重心をかけて、全体重で。
影が数歩退く。
しかし押しきれない。
マーカスの足が地面を削りながら、少しずつ引き戻されていく。
「レイ!」
名前を呼ばれた。
レイの思考が一瞬、引き伸ばされた。
魔力残り、二回。
周囲の音が遠くなった。
マーカスの声も、木が割れる音も、全部が水の底から聞こえてくるようになった。
手が震えている。
測定器が焼けるように熱い。
ガルムが隣で低く唸っている。
使うか。
使えば残りは一回。
次に何が来ても、一回しか撃てない。
影はまた来る。
今退けても、また来る。
六日間、まだ六日間ある。
一回しか残らない状態で、六日間。
セラが肩を押さえていた。
包帯の下が赤くなっている。
使う。
息を吸った。
胸の奥でマナを集める。
形を持たせる。
空気を引き絞る。
影の輪郭の中心を見る。
放った。
空気が炸裂した。
影の輪郭が、一瞬ぶれた。
乱れた。
揺れた——内側から、何かが圧された感触があった。
外殻じゃない、内側に当たった。
空気が輪郭を通り抜けて、中の何かに触れた?
違う、圧縮が密度の差を——
影が退いた。
二歩、三歩。
考えている場合ではなかった。
測定器が手から滑りかけた。
熱すぎて指が開く。
片手で抱えて、胸に押しつける。
影がさらに退いていく。
急いでいない。
慌てていない。
ゆっくりと、まるでこちらを見極めながら、暗い木々の向こうへ溶けていった。
「撤退!今すぐ!」
五十歩ほど下がった場所で、全員が止まった。
影は追ってこなかった。
測定器の赤い光が、ゆっくりと消えた。
カイラがすでにセラの横に膝をついていた。
包帯を外している。
滲んだ赤が広がっていた。
戦闘中にまた開いた。
「動かないで」
処置の手が動く。
カイラの顔に感情はなかった。
それが逆に、深刻さを示していた。
レイは測定器を確認した。
表面に薄く変色した跡がある。
熱で焼けた痕だ。
指で触れると、かすかにざらついている。
次の戦闘でまた同じ熱を受けたら、今度は戻らないかもしれない。
視界が揺れていた。
木が二重に見える。
魔力を一回使って、こうなる。
残りは、一回。
「撤退か、続行か」
マーカスが言った。
短く、低く、迷いのない声だった。
「今すぐ決めろ」
レイは測定器を北に向けた。
かすかに、光る。
影が消えた後でも、北だけ反応している。
弱い光だが、消えていない。
空気圧縮が輪郭を乱した。
内側に当たった感覚があった。
次も同じ手が通じるか、わからない。
残り一回で再現できるか、わからない。
失敗したら、次はない。
それでも、光は北を指している。
「……進みます」
声が出た。
セラが包帯を巻き直されながら、顔を上げた。
一瞬、何かを言いかけた。
口が少し開いて——閉じた。
それから、もう一度、開いた。
「……一緒に、行きます」
ガルムが短く言った。
「……行く」
マーカスは何も言わなかった。
大盾を持ち直して、北を向いた。
レイは立ち上がった。
視界が揺れた。
測定器を握る手に力を込める。
変色した表面が、指に当たった。
歩き出した。
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(8章 18話 終)
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炸裂した空気が影の核を捉えた。だが、引き換えに失ったのは一発の魔力と、焼けて変色した測定器の表面。
残された最後の一回が、この先六日間を生き抜くための唯一の希望となる。
ボロボロの計測器が示す北の光を、信じるべきか、あるいは──。
次にレイは、何を"確かめにいく"のか。
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