【第8章17話】静穏の限界
遮断は機能しているはずだった。だが、測定器が放つ熱量は、布越しでも皮膚を焼くほどに増していく。
出力を絞れば収まるのか、それとも逆効果なのか。
レイは、その熱の原因が「外部」にあるのか、自身の「記号」にあるのかを確かめずにはいられなかった。
朝の森は静かだった。
静かすぎた。
レイは野営地の焚き火跡に手をかざしながら、測定器をもう一度確認した。
昨夜より明らかに熱い。
布越しでも分かる温度で、素手で持つには少し迷いが要るくらいだ。
「……また上がってる」
独り言のつもりだったが、セラフィナがすぐ隣に来ていた。
包帯を巻き直した肩をかばうように体を傾けながら、測定器を覗き込む。
「昨夜より、ですね」
「うん」
レイは測定器を布の端で包み直し、もう一度持ち直した。
熱い。
そして、一つ気になることがあった。
遮断が機能しているなら、ここまで熱くなるはずがない。
記号はある。
昨夜と同じ配置のまま。
なのに発熱ペースが上がっている。
遮断しているのか、それとも遮断しようとして何かに弾かれているのか、区別がつかない。
「……試してみる」
「何を?」
「出力を、少し絞る。
記号の量を減らして、発熱が落ち着くか確かめたい」
セラフィナが小さく頷いた。
レイはマナを集めて、測定器の記号に流し込んでいる量を意識的に緩めた。
慎重に。
少しずつ。
測定器の揺れが、止まった。
一瞬だけ。
そして次の瞬間、逆に強くなった。
揺れが大きくなり、温度も上がった。
緩めたのに、上がった。
「……逆だ」
「逆?」
「出力を落としたら、悪化した」
セラフィナの表情が変わった。
「遮断を弱めたことで、外から何かが入り込んだ、ということですか」
「分からない。
でも、絞っても抑えられない」
エルネストが荷物をまとめながら口を開いた。
「昨夜から換算すると、発熱ペースが上がってる。
このまま進むなら、昼前後に限界が来るかもしれない」
「限界というのは」
「持てなくなる、あるいは内部が焼ける。
どちらかだ」
レイは測定器を持ったまま、その先を想像した。
壊れれば、影との距離が分からなくなる。
どこにいるか分からない何かが、見えないまま近づいてくる。
進む基準が、消える。
マーカスが大盾を背に固定しながら、周囲を一度見回した。
「出発するぞ。
立ち止まる理由はない」
森の中を四時間進んだ。
トーマスが先行し、ガルムがほぼ並んで走る。
レイたちはその後ろを、なるべく音を立てずに歩いた。
測定器は布に包んだまま腰に吊るしている。
布越しの熱さが、歩くたびに太ももに触れた。
二時間が経ったころ、ガルムが立ち止まった。
「……来る。
右前方」
低い声だった。
昨日より近い。
マーカスが即座に盾を構え、前へ出た。
アリスが後方に下がり、カイラがセラフィナの前に位置する。
茂みが揺れ、ウルフ種が三体出てきた。
レイは動かなかった。
動こうとして、止めた。
測定器の熱が腰にある。
魔力はあと二回。
ここで使う理由がない。
使わない。
使わなくていい。
マーカスの盾が一体の突進を受け止める。
ガルムが二体目に飛びかかる。
セラフィナが三体目の側面に回り込み——その瞬間、足がわずかに滑った。
体が傾く。
レイの手がマナに触れかけた。
セラフィナが体勢を立て直し、肘打ちを叩き込んだ。
三体目が倒れた。
レイは、手を下ろした。
使わなかった。
間に合った。
でも、あと少し遅れていたら。
三十秒ほどで終わった。
ガルムが血のついた口元を前脚で拭う。
セラフィナが肩に手を当てた。
右肩の包帯の端が、赤くなっていた。
「大丈夫?」
とレイは聞いた。
セラフィナは一瞬、レイの目を見なかった。
「……大丈夫です」
さらに二時間歩いた。
測定器の熱が、布越しではもう抑えきれなくなっていた。
レイは立ち止まり、布をほどいて直接持った。
熱い。
持てないほどではない。
でも長くは持てない。
揺れも強くなっていた。
昨日は微細な振動だったものが、今は指先に伝わるくらいの揺れになっている。
そして、光の中に赤が混ざり始めていた。
一瞬、消えて、また混ざる。
同じ瞬間に、ガルムが低く唸った。
「……近い。
さっきより」
「距離は?」
「……速い」
昨日は「見てる」だった。
今日は「近い」「速い」になっている。
レイは測定器を見た。
赤い光がまたにじんだ。
赤が出るたびに、近づいてくる。
測定器の異常と、影の動きが連動している。
遮断が揺らぐたびに、何かを知らせているのか。
あるいは——引き寄せているのか。
マーカスが足を止めて振り返った。
全員の顔を一度見て、測定器に目を落とした。
「聞け」
声は静かだったが、否応なく全員が止まった。
「このペースで発熱が進めば、夕方前に限界に達する。
測定器が壊れれば、影の動向が完全に掴めなくなる。
撤退するか、それとも測定器なしで進む覚悟を決めるか。
今、判断しろ」
セラフィナが口を開きかけた。
開いて、止まった。
レイは測定器を手の中で持ち直した。
熱い。
赤い光が、またにじんだ。
どちらを選んでも、何かを捨てることになる。
答えを出せば、戻れなくなる気がした。
どちらが正解か分からないのではない。
どちらも正解に見えて、どちらも間違いに見える。
判断の根拠が、揺らいでいる。
ガルムがまた唸った。
「……まだ、見てる」
森は静かだった。
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(8章 17話 終)
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良かれと思った調整は、皮肉にも状況を悪化させた。
遮断が揺らぐたびににじむ「赤」と、それに呼応するかのように速度を上げる未知の影。
測定器が焼き切れるのが先か、それとも影が到達するのが先か。
次にレイは、限界の迫る測定器を手に何を"選択"するのか。
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