8章サブ話②:帝国魔導研究院 第三研究棟 特別調査記録「塔の変色と、北へ向かう何かについて」
主任研究員カールは、計算結果を三度見直した。
そこに現れた数値は、帝国が長年維持してきた「世界の理」を根底から突き崩す、極めて不愉快な正解を示していた。
【帝国魔導研究院 第三研究棟 特別調査記録】
—塔の変色と、北へ向かう何かについて—
帝国暦████年 ████月 記録開始
担当:主任研究員 カール・ハイネ
機密区分:Ω
経由:特別監察室
【第一項 事象の概要】
北の塔が、赤くなった。
その前に、全十二の塔が同期した。
間隔:一秒。
誤差:ゼロ。
我々の結論:
塔の自律起動シーケンスである。
以上。
(余白に手書き:「本当にそう思っているか?」)
(さらにその下:「思っていなければならない」)
【第二項 観測データ】
同期確認日時:深夜〇四時一七分。
全測定器の状態:限界超過・飽和。
北方マナ密度:測定不能。
塔の色変化記録:緑→黄→橙→赤。
前回の全塔同期記録:████年(参照権限:S級以上)。
備考:
前回記録の閲覧申請を提出した。
返答:却下。
理由:「必要なし」。
申請者の現在の所属:████████。
(本項これ以上の記述を控える)
【第三項 仮説の検討】
仮説A:塔の自律起動シーケンス(公式見解・現在も維持中)
根拠:十二塔の同時変化は設計上の挙動と整合する。
問題点:
誰が、あるいは何が、シーケンスを起動したか。
対応:
この問題点を報告書の本文から削除した。
削除した理由は記録しない。
仮説B:人間による介入(非公式・保留中)
根拠:
港町において「異常な修復活動」が確認されている。
担当調査官エルネストの報告書、最終ページが未開示。
エルネストは二〇年のキャリアにおいて記録を拒否したことが、なかった。
現状:
仮説Aだけでは説明できない事象が増えている。
計算するたびに、仮説Bと一致し続けている。
それでも、採用しない。
採用できない理由は——
(余白のまま)
【第四項 北へ向かう集団について】
港町を出発した集団を確認。
構成人数:████。
同行者詳細:████████████████(記録不能・理由後述)。
目的地:北の塔(推定)。
主導者:████。
主導者の能力について:
計算した。
結果を、三回確認した。
数値は変わらなかった。
この数値を本項に記載することは、
帝国魔導研究院Ω案件処理規定第七条に基づき、
報告者自身の判断で控える。
(参照:過去Ω案件の処理事例 全件:████████)
集団に同行する「記録不能な同行者」について。
名前:取得できなかった。
年齢:取得できなかった。
外見的特徴:
担当者が記述を開始し、途中で止めた。
理由を聞いた。
「書き方が、わからない」と言った。
正確ではないと思い、再度確認した。
「書けないのではなく、書き方がわからない」と繰り返した。
それ以上の聴取を打ち切った。
理由:████████████████。
【第五項 帝国の対応方針について】
現在、帝国は以下の方針を採っている。
「塔の変色は自律的現象であり、引き続き監視を継続する」
私はこの方針を支持する。
公式には。
【第六項 個人的所感(非公式・本項は特別監察室への送付対象外とする)】
北の塔が赤くなった翌朝、私は部下に命じた。
「北方への物資輸送ルートを確認しろ」
部下が聞いた。
「なぜですか」
答えられなかった。
ただ、急がなければならない気がした。
何に、とは言えなかった。
この感覚について考えた。
結論は出なかった。
ただ一つだけ、確認したことがある。
過去に同様の感覚を報告した研究員が、いた。
その研究員の現在の所属:
████████████。
その研究員が最後に提出した報告書の内容:
████████████████████████(閲覧制限:恒久)。
【第七項 北からの続報 追記日:████】
集団が森に入ったという報告が届いた。
報告者:現地調査員 ████。
内容:
「測定器が、反応を停止した」
「正確には——拒否、しているように見える」
「前例を確認したが、該当事例がなかった」
報告者の現在の状況:
研究棟を離れた。
医務室の記録には存在しない。
どこにいるかは、わかっている。
記録はしない。
【最終追記 日付:記入なし】
北の塔が、まだ赤い。
集団は、まだ進んでいる。
私はまだ「自律起動シーケンス」という見解を、
維持している。
維持している。
維持しなければならない。
そうでなければ——
帝国は、あの集団の主導者を。
捕獲ではなく。
Ω案件処理規定の、別区分で。
その区分の名前は、書かない。
書けば記録になる。
記録になれば特別監察室に届く。
届けば、誰かが動く。
誰かが動いたとき——
間に合うかどうかが、わからない。
何に間に合うか、も。
わからない。
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(8章サブ話② 終)
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研究員は「自律起動である」という公式見解を維持し、報告書の一部を自ら削除した。
そうしなければ、観測者としての己の正気を保てないことを、彼は本能的に理解していた。




