【第8章13話】 三分間の賭け
セラの肩が赤く染まり、ガルムが咆哮する。仲間の命を賭した三分間が、刻一刻と削られていく。
目の前の装置は、まるで最期の時を悟ったかのように、激しく、不規則な点滅を繰り返していた。
──今、この瞬間に触れなければ、すべてが失われる。
レイは震える指先を、消えゆく青い光へと伸ばした。
森の外れ、夕日が木々の向こうに沈みかけていた。
マーカスが全員を見回す。
「もう一度確認する。ガルムとセラが二体を引き離す。レイは装置に接近、三分以内に確認して撤退。もし二体が戻ってきたら、装置に固執するな。即座に逃げろ」
僕は頷く。
「……装置に触れれば、昨日みたいに声が聞けるはず」
「はず?」
マーカスが問う。
「分からない」
僕は測定器を見る。
「でも、触れなきゃ確かめられない」
セラが頷く。
「それに、触れて声が聞けたら——」
「北の塔で何をすべきか分かる」
僕は続ける。
「……だと思う」
ガルムが低く唸る。
「……行く」
セラが微笑む。
「レイのために」
僕の胸が詰まる。
「セラ、肩の傷——」
「大丈夫です」
セラが遮る。
「まだ、戦えます」
本当は、大丈夫じゃない。
包帯の下の傷が痛むはずなのに。
それでも——
「……ありがとう」
マーカスが頷く。
「じゃあ、行くぞ」
装置まで五十メートル。
Level 2が二体、装置の両脇で僕たちを睨んでいる。
灰色の毛皮、鋭い牙。
縄張りの主としての威圧感が、空気を重くする。
僕は測定器を向ける。
針が振り切れる。
昨日より、さらに強い。
「レイ」
ガルムが呟く。
「……強い。油断するな」
「分かってる」
マーカスが呟く。
「行くぞ」
ガルムとセラが走る。
瞬間、Level 2が反応した。
耳が立ち、低い唸り声。
一体がセラに向かって一歩踏み出す。
セラが横に跳ぶ。
「こっちです!」
Level 2が追う。
速い。
セラが木の間を縫うように走る。
だが、Level 2がさらに加速——
「セラ!」
ガルムが叫ぶ。
ガルムがもう一体を牽制しながら、セラの方へ駆ける。
Level 2の爪がセラの肩を掠める。
「——っ!」
だが、セラは止まらない。
転がるように逃げ、再び立ち上がる。
包帯が、赤く染まる。
もう一体がガルムに向かって咆哮する。
ガルムが応え、牙を剥く。
「……来い」
二体とも装置から離れる。
距離が開く。
十メートル、二十メートル——
だが、一体が立ち止まる。
装置の方を見ている。
「……戻ろうとしてる?」
マーカスが叫ぶ。
「今だ! 三分だ!」
僕は走った。
装置が目の前にある。
青白い光が点滅している。
速い。
昨日より、さらに速い。
まるで、心臓の最後の鼓動みたいに——
測定器が震える。
僕は測定器を装置に向ける。
針が振り切れる。
震えが激しくなり——
止まった。
「……え?」
測定器が、静止している。
「反応がない……?」
装置の点滅が激化する。
青白い光が、僕の視界を満たす。
「いや、違う。これは——」
僕は装置に手を伸ばす。
だが、指先が震える。
「……触れて、いいのか?」
装置が壊れるかもしれない。
声が聞けないかもしれない。
Level 2が戻ってくるかもしれない。
「でも——」
僕は目を閉じる。
「確かめなきゃ、意味がない」
指先が、石に触れた。
瞬間、測定器が再び震え始める。
視界が揺れる。
青い空間。
装置の声が響く。
『……来た』
「装置——」
『……北。もう、近い』
「北の塔のこと?」
『……たぶん、そう。北が、待ってる……はず』
「何を待ってるんだ?」
『……全部。東も、西も、南も——みんな、北へ』
「つながるのか?」
『……そう。つながる。でも、まだ、足りない』
「何が足りないんだ?」
『……最後の、一つ。北に、ある』
装置の声が震える。
『……でも、私、もう——』
「待って!」
僕は叫ぶ。
「まだ、聞きたいことが——」
『……ごめん。もう、保てない』
青い光が揺れる。
『……急げ。もう、時間が——』
「何を急げば——」
『……北で、最後の……』
装置の声が途切れる。
「装置——!」
光が消える。
視界が戻る。
装置の点滅が止まっている。
青白い光が、微かに残っているだけ。
「……装置?」
反応がない。
僕の手が震える。
「……そんな」
「レイ!」
マーカスの声。
「時間だ!」
振り返ると、ガルムとセラが走ってくる。
その後ろから、Level 2が二体——
だが、何かが違う。
一体が立ち止まる。
装置の方を見ている。
もう一体も動きを止める。
装置の光が消えたのを、感じ取ったのか——
「……え?」
「レイ!」
ガルムが叫ぶ。
「今だ!」
僕は走る。
Level 2が再び追ってくる。
だが、一瞬の躊躇が、距離を稼がせてくれた。
ガルムが僕の横に並ぶ。
「……乗れ!」
僕はガルムの背に跳び乗る。
ガルムが加速する。
セラも並走する。
息が荒い。
包帯が、赤く染まっている。
「セラ——!」
「大丈夫!」
セラが叫ぶ。
「走れます!」
Level 2の足音が遠ざかる。
縄張りの境界を超えたのか、追跡をやめたようだ。
僕たちは森を抜ける。
宿の部屋。
僕は机に向かっている。
ノートを開いたまま、何も書けずにいる。
装置が、止まった。
声の続きは聞けた。
でも——
「もし、触れなかったら?」
僕は呟く。
装置は、あのまま停止していた。
声は、永遠に失われていた。
「……ギリギリだったな」
マーカスの言葉が、重く響く。
ドアがノックされる。
「入って」
セラが入ってくる。
包帯を巻き直している。
傷は浅いと言っていたけれど。
「レイ」
セラが僕の隣に座る。
「装置、何て?」
「……北へ行けって」
僕は呟く。
「北の塔に、答えがある……らしい」
「らしい?」
セラが問う。
「……装置の声は、途切れた。確かなのは、北へ行けってことだけ」
セラが僕の手に自分の手を重ねる。
「でも、分かったんですよね」
「うん。でも——」
僕は躊躇する。
「七日だよ。しかも、山の奥だ。危険すぎる」
「でも、行くしかないんでしょう?」
セラが問う。
ガルムが部屋の隅で唸る。
「……行く。でも、準備、必要」
僕は二人を見る。
セラの肩の傷。
ガルムの息切れ。
それでも、二人は——
「……そうだな」
僕は頷く。
「行こう」
セラが微笑む。
「じゃあ、明日の朝、準備しましょう」
「うん」
僕はノートに書く。
『装置、停止。北の塔へ移動。七日』
その下に、小さく書き足す。
『「最後の、一つ」とは?』
ペンを置く。
窓の外、北の空が暗い。
あそこに、答えがある。
でも、何の答えなのか——
僕は拳を握る。
翌朝。
マーカスが地図を広げている。
「七日の距離だ。山道は険しい。魔獣も多い」
「でも、行かなきゃいけない」
僕は言う。
マーカスが頷く。
「分かっている。だから、準備が必要だ。Level 2の縄張りを避けるルートを考える。時間はかかるが、安全だ」
「お願いします」
エルネストがノートを見ている。
「装置の記録、ギルド本部に送る。北の塔の情報も、確認してもらおう」
「ありがとうございます」
「それと——」
エルネストが僕を見る。
「装置が止まった。これは、大きい」
「……はい」
「お前が触れたから止まったのか、それとも——」
僕の胸が詰まる。
「……分かりません」
エルネストが頷く。
「分からない。だからこそ、記録する」
セラが立ち上がる。
「私、荷物の準備します」
「僕も手伝う」
ガルムが窓の外を見ている。
「……北、遠い」
「でも、行くんだ」
僕は言う。
ガルムが頷く。
僕は窓の外を見る。
北の空。
あそこに、答えがある。
装置の声が、まだ耳に残っている。
『……急げ。もう、時間が——』
僕は拳を握る。
行こう。
北へ。
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(第8章13話終了)
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装置は沈黙し、世界を繋ぐ脈動は途絶えた。残されたのは「北へ」という断片的な言葉と、さらに深まった謎だけ。
仲間の傷を背負い、不確かな声を頼りに進む七日の旅路。それがどれほど険しいものになろうとも、レイにはもう、立ち止まるという選択肢はなかった。
次にレイが"確かめに向かう"のは、北の塔に眠る「最後の欠片」か。
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