2.『大鏡』の噂 表
「ねぇ、知ってる? 学校の七不思議の中には、本物があるんだって」
「鏡の中の自分と目が合いだしたら、要注意! 成り代わろうとして、鏡の中に連れていかれちゃうんだって」
「二年生の先輩が、『目が合った』って怯えてるんだって」
くすくす、と、笑い声と一緒に冗談めかして語られる話が、ふと明美の耳に入る。今日この話を聞くのは、朝からこれで、何回目だろうか。
(なんだか最近、ずっとこの話を聞いている気がする)
気の所為かな、と明美は首を傾げる。
昨日も、一昨日も、その前も、一日一回はこの話が耳に届く。どうも今の周りの生徒達のホットな話題は、この山吹学園に伝わる七不思議らしい。学生間に一度は話題に上がる、よくある話題だ。明美も小中学時代に何回か友人と声を潜めて話し、スリルを味わって盛り上がったが、今となっては、そんな事は出来そうにない。
(そういうものが本当にいる、って、知っちゃったからなぁ……)
はぁ、と、思わず溜め息を吐くと、目の前で弁当をつついていた菫が顔を上げた。
「どうしたの明美ちゃん、溜め息なんか吐いて」
「あ、いや、何でもないよ」
「そう?」
あはは、と明美が笑って誤魔化すと、菫は不思議そうな顔をしながら箸を進める。
(いけない、ぼーっとしちゃった)
自分も早く食べようと箸でおかずを掴み、口へ運ぶ。今は昼休み。次は菫の嫌いな体育が待っているので、早めに食べ切って、体操着に着替えて準備をしておかなければならない。
「それにしてもさ、何か最近七不思議の話が滅茶苦茶流行ってるよね」
ちら、と周りを見て、どうやら先程の明美と殆ど同じ事を考えていたらしい菫が言った。
「やっぱり、菫ちゃんもそう思う?」
「うん。なんか、何処に居ても聞こえてくるっていうか……示し合わせたみたいでちょっと不気味だよねー」
そう笑う菫の言葉に、明美は自分が感じていた違和感は勘違いではないらしい、と、何とはなしに安心する。
「でも、ちょっと気になるよね」
「え?」
「噂の真相だよ。ホントにいるのかな、そんなの」
「さ、さあ………どうだろうね」
さっさと弁当を食べ終え、包みに雑に包むと、菫は話を続ける。彼女も不気味と感じてはいても、やはり他の生徒と同様に面白そうな話題だとは認識しているのだろう。菫は興味津々といった様子だった。見えていない菫には、そういったモノのいる世界は空想の中でしかないのだろう。明美達が出会ったあの日にも、菫の目の前にも居たというのに。その世界に踏み込んでしまい、恐ろしさを知ってしまっている明美は、何だか靄がかかった上手く言えない気持ちを抱いてしまい、素っ気ない返事になってしまう。
「……まぁ、でももし本当だったら、ちょっと怖いね。入れ代わろうとしてくるなんてさ。無いとは思うけど」
明美の返事の機敏に気付いているのか否か、菫は何事も無さそうに話を続けて、ふと、明美をじっと見る。
「……明美ちゃん、鏡には気をつけてね」
「え?」
そして突然、明美の身を心配する言葉を投げ掛けてきた。その唐突さに明美がきょとんと目を丸くすると、真面目な顔をしたまま、菫は言う。
「だって明美ちゃん、可愛いから狙われそう……」
「へ!? ……ちょっと、もう! またそんなこと言ってー!」
予想の斜め上の視点からの心配に、思わず箸を取り落としそうになる。ぽ、と明美の頬が赤く染まった。何かに託つけて、事あるごとに『可愛い』と褒めそやしてくる菫の癖がまた始まっただけだと分かり、明美はまたかと思いながらも、どうしても照れずにはいられない。今まで余り褒められるような事が無く、褒められ慣れていないからか、話の流れで突然さらりと告げられる菫の好意に弱いのだ。
「えー、何回も言ってるけど明美ちゃんが可愛いのは事実じゃあん。私は心配だから言ってるんですけどー?」
「もー! 心配してくれるのは嬉しいけど! 嬉しいけども! 私、可愛くないってば!」
「ははは」
神妙な顔のまま続ける菫に、思わず箸を握りしめ、ぶんぶんと手を動かし、意味もなく机を軽く叩いてしまう。人の居る教室でそんな事を言われたという照れと、友達に褒めて貰えて嬉しい、という感情が心を占め、いつの間にか、先程感じた靄は居なくなっていた。
そんな慌てる明美を見てけらけらと笑った菫に向け、明美はじっと目線を向ける。
「ん? どうした?」
明美の目線に気付いた菫は、笑ってその視線を受け止める。そんな菫に、明美は口を開く。
「………そんな事言うなら、菫ちゃんだって」
「え?」
「菫ちゃんだって、鏡には気を付けてね。入れ代わられちゃわないか、心配だし」
もし、この噂が本物であるならば、今目の前に居る菫だって、狙われる可能性もなくはない。もし入れ代わられるような事になったら、絶対に助けに行くつもりではあるが、それでも自分のように怖い思いはして欲しくはない、と明美は考えている。そんな思いを込めて、ちゃんと菫の目を見てそう言えば、菫は一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、直ぐにまた、柔らかい笑顔を明美に向ける。
「うん、ありがと」
菫は一言返すと、あ、と、何かを思い出したように口を開いた。
「そうだそうだ。言っとかなきゃいけないことがあったんだった。申し訳ないけど、今日は先に帰っててくれる? ちょっと放課後、先生に用事があるんだよね」
そう言った菫に、明美は珍しいな、と思う。
この学校では、『生徒の自主性・主体性を重んじる』という理由で、部活に入る事は強制されていない。体育学部系などの専門学部系での進学であれば話は別だが、二人ともそういう学系では無い上、明美は家事などで何かと忙しいということで部活に入ったりしている訳ではないので、今まで一緒に帰っていたのだが、何かあったのだろうか。
「そうなの? 良ければ待ってるけど……」
「いや、結構時間かかるから、先に帰ってて。待たすのも申し訳ないし」
「そうなんだ、分かったよ」
用事の内容を聞くのも余り良くないかなと考え、詮索せずに頷いたその瞬間、誰かのスマートフォンが、突然着信音を教室に響かせ始めた。
「おわ、びっくりした。私のか」
随分近くで音が聞こえてくると思えば、音の発生源は菫の物だったようで、菫はポケットからスマートフォンをするりと引き出し、着信相手を確認し、目を丸くする。
「あれ、母さんからだ」
「菫ちゃんのお母さん?」
「うん。どうしたんだろ、こんな時間に……ちょっと出てくるわ」
かたん、と座っていた席を戻し、弁当箱をリュックサックに突っ込むと、菫はくるりと明美に振り返った。
「もし長電話になって戻ってこなかったら、先に着替えに行ってていいからね!」
「あ、うん!」
明美に言いたいことはそれだけだったようで、また鳴り出した着信音に急かされるように、菫は教室から出ていった。
(優しいなぁ)
菫のちょっとした気遣いにほっこりとしながら、明美も早く食べきってしまおうと箸を握り直す。
しかし、こうして一人になると、少し目を逸らしていた問題を思い出してしまうもので。もぐもぐと口に含んだ白米を咀嚼して飲み込み、明美はまた小さく溜め息を吐いてしまう。
(………これから、どうしたらいいのかな)
明美の頭を悩やませているのは、先程も話題になっていたモノ____所謂、『悪霊』だとか、『怪異』と呼ばれている類いについて。二月程前から、明美の周りを囲い始めた恐ろしいモノ達。明美の内から溢れる霊力に釣られてきた、化け物達のことだった。
それが見えない、普通の世界へと帰してくれる、という話で、最近一緒に居るようになった蛍と奏太____ミナセとヒガンの協力の下、狙われる原因となる霊力を抑え、また見えなくなるように訓練をしてくれる、その筈だった。
一月ほど前、訓練を始めた初日。予期せぬ悪霊の襲撃により、明美の運命は変わってしまった。
(まさか、ミナセくんの言ってた、もう一つの手段を取らざるを得なくなるなんて……)
裏山の林の木々の隙間から、突然黒く、恐ろしい獣が飛び出してきたあの瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。誰かが自分達三人に気付いたり、入って来ないようにと張られていた結界を、たった二度の突進で突き破り、明美目掛けて襲いかかってきた。
狙われた明美を咄嗟に庇い、ヒガンが攻撃を諸に受けてしまった。そのままなし崩しに始まった戦闘に、明美はへたり込んで、呆然とするしかなかった。
直ぐにミナセによって張り直された結界の中に取り残され、黒い獣をどうにか退けようと戦う二人が、どんどん傷付いていく。どんどん、血を流して、傷を増やしていく。戦いなんて素人の明美にだって不利だって分かる、余りにも勝ち目がない戦いだった。
けど、それでも二人は、明美を守る為に戦ってくれた。
『こんな目に遭わせてごめん』だなんて、結界越しに言わせてしまった。
二人に迷惑をかけているのは、明美だというのに。
(それで、頭がぐちゃぐちゃになって……それで……)
このままじゃいけないと考えた明美は、震える足を動かして、結界から飛び出した。それは、獣の注意を引くには十分で、出来た隙に二人が攻撃を当て、慌てて明美を結界の中に押し戻そうとした所を、
『二人に守られてるだけじゃ、どうにもならないのはわかってる! だから、私も戦いたい!!』
そう、啖呵を切ったのだ。
その強い意思に気圧されたのか、ミナセが、打開策を、言いたくなかったもう一つの手段を教えてくれた。
それは、彼等と契約し、人々から忘れられ、消えて行く彼等妖怪をこの世に繋ぎ止める『楔』となり、霊力を彼等に供給する主となること。
ただし、楔になってしまえば、死ぬまでその契約は破棄できない。一生普通の世界には戻れなくなる。だからやらせたくない、とミナセとヒガンは言った。
けど、明美はその手段を取る事を選んだ。
そうして明美は二人と契約し、獣を打ち倒した。そして今日に至るまでに、この一月の間も、他の妖怪達と契約して、どうにか戦ってきた。
けど、今日のようにふとした時に、これから先が不安になる事がある。
あの時の選択を後悔している訳では無い。しかし、『一生普通の世界には戻れない』というヒガンの言葉が心にどうしても引っ掛かって、少しだけ、どうにも言えない不安が沸き上がってくるのは、許してほしいところだった。
「……はぁ」
そんな今更どうしようも無い事を考えながら弁当を片付けていると、突然影が射した。
「えぇっと、阿倍野さん?」
掛けられた声に顔を上げると、ペアワークで何回か一緒になったクラスメイトの少女達が数名、目の前に立っていた。何の用事だろう、と首を傾げると、彼女達はにこりと笑って、弁当箱を出して、明美の机の端に乗せた。
「私達、お昼まだなんだ。良ければ一緒に食べてもいい?」
「! も、もちろん!」
まさかお昼のお誘いだとは思っていなかった明美は、驚きながらも頷く。ぱっと少女達は笑うと、それぞれ近くから椅子を持ち寄り、包みを開き始めた。
「急にごめんね。でも、私達、阿倍野ちゃんともっと仲良くなりたくってさ。一人で食べてるみたいだったから、つい……」
「ううん、こっちこそ誘ってくれて嬉しい。ありがとう」
菫以外にちゃんと『友達』と呼んでいいような人も居らず、何処かのグループに混ぜてもらうのも申し訳ないと思っていた明美だったが、まさかこうしてクラスメイトの方から昼食に誘ってもらえるとは思いもよらず、予期せぬ楽しいランチタイムになりそうだな、と明美の心がうきうきと弾みだす。
(………あれ?)
そこでふと明美は、何故か違和感抱いた。それは、知っている筈のクラスメイトの一人を見てからだった。
赤いリボンの髪留めをした、特徴的な女の子。入学式の日からクラスに居て、ちゃんと名前も知っている筈なのに、一瞬、『この子は一体、誰だろう』と思ってしまったのは、何故だったのだろう。
「……どうかした?」
「あ、ううん! 何でもないよ」
「そう?」
つい見すぎてしまっていたようで、ぱちん、とその少女が明美に気付き、ふわりと微笑んだ。はっと、失礼な事をしていると我に返った明美は、慌てて首を横に振り、クラスメイト達の会話に混ざる。賑やかで和やかな雰囲気で進む昼食会の中では、今度こそ箸が楽しく進みそうだった。
そんな様子を、戻ってきていた菫が、厳しい眼差しで睨み付けている事にも気付かずに。
2026.3.16 誤字修正




