1.虚像現出
たったったっ、と、コンクリートを踵で軽く叩く音を響かせ、菫は通学路を駆け抜ける。そして、待ち合わせ場所に見えた三つの人影に向け、声を張り上げた。
「皆ごめーーーん、お待たせーーー!!!」
「あっ、菫ちゃん、おはよーー!」
待ち人の声に気が付いた明美は、ぱっと顔を上げ、笑って手を振った。続けてヒガンとミナセが顔を上げ、菫を見つめる。ばたばたと駆け足で三人の元に合流した菫は、膝に手をついて深く息をつく。
「はーっ、おは、ゲホッ」
「だ、大丈夫……?」
「ありがと……大丈夫………」
挨拶をしようとして噎せ込んだ菫の背を、そっと明美が擦るのを見て、ヒガンは心配そうな顔をする。
「おいおい、大丈夫かぁ?」
「遅刻してる訳でもないし、そんな急いで走ってこなくても良かったのに……」
「いやぁ、何か待たすの申し訳なくて……」
息を整えるように深呼吸をして、菫はミナセの言葉に苦笑いを返す。
申し訳ない、と軽く言いはしたものの、菫個人の感情としては、推し達を自分の為に待たすなぞ言語道断だと考えている。余りにも畏れ多いしとんでもなく申し訳ない、というのが菫の言った『申し訳ない』に含められた全文だ。その為、いつもは三人が来る前に集合場所に来ているのだが、今日は準備に時間がかかって家を出るのが遅くなり、気付けば、普通の人間レベルの速度で走ってギリギリ集合時間に間に合うか間に合わないかの瀬戸際の時間になってしまい、こうして家から走ってきたのである。
「改めて、おはよう皆」
「おはよう!」
「おう、おはよ」
「おはよう、清沢さん」
自分の挨拶に三者三様に挨拶を返してくれる事にじぃんと染み入る嬉しさを感じながら、菫は微笑む。彼等と一緒に登下校するようになってから約一ヶ月程経った今でも、こうして挨拶が返ってくる朝が嬉しかった。それまでは推しに眼中に入れてもらうことすら無かったからだろうか。いや、そもそもヒガン達が、菫を明美から遠ざける事なく、こうして行き帰りを同行させてくれているのが奇跡なのだ。
(ゲームの時は特定の友達がいた様子とか描写されなかったから、明美ちゃんに何らかの術がかけられてモブが近寄らないようにされてるのかなー、と解釈してたけど……明美ちゃんが彼等の楔となった以上、幻術かけられて、それとなく明美ちゃんから遠ざけられるかとも思ったけど、そんな素振りもないし)
考えすぎだったな、と、菫は前を歩き出した三人を見ながら思う。明美が居ないタイミングを見計らって幻術をかけられるとばかり思って、傍をなるべく離れないように気を付けてはいたが、ここ一ヶ月、彼等が菫に幻術をかけようと働きかけてきた素振りは一切無かった。明美が楔___彼等と契約した大事な主となったのだから、誰彼構わず寄せ付けず、過剰に守ろうとする事だって考えられたのに。
(……失礼な偏見だったかな)
彼等は、ヒトではない。だから、ヒトの尺度で物事を考える事が出来ないかもしれない。菫は、そういう妖怪と人間の価値観の違いに因る事例を良く知っている。けれど、彼等は山吹学園の生徒として人間の生活に長く潜んで、傍で見守ってきてくれていた優しい妖怪だということも、菫は知っている。だからもしかしたら、ただゲームでは描写が無かっただけで、明美の学校での交友関係は好きにさせてくれていたのかもしれない。明美の性格なら、至って普通に友人もできた筈だから。そして、明美に友人は必要だと考えて、こうして菫を明美から遠ざけず、見守っていてくれているのかもしれない。そう考えると、彼等の明美に対する優しさを疑って申し訳ないと思う自分がいた。
「なぁ、清沢」
「うん? どうしたの岸辺」
ヒガンに声をかけられて、菫は思考を切り上げ、三人の輪に加わり、会話に混ざる。
「阿倍野から寝坊したって聞いたけどよ、目覚ましかけ忘れたのか?」
「うん。昨日の体育で疲れたのか、目覚ましかける前に寝落ちしちゃってさ。やらかしたよねぇ……ほんとごめん」
「気にしてないって。というか、そっか、阿倍野さん達のクラス、体育午後なんだっけ」
「そうそう。はー、体育滅ばないかな………」
「頑張れ」
そんな中身の無い会話をしながら、学園への通学路を進む。視界に映り込んでいた、そこら中に咲いていた筈の薄紅は、いつの間にか新緑に生え変わっていた。
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廊下でヒガン達と別れ、明美に続いて教室に入って直ぐに、菫は微妙な違和感を抱く。賑やかな教室の中に紛れ込んだ、気の所為だと流してしまうぐらいに小さなその違和感を、ちゃんと抱けた事に安堵した。菫は普段通りに自分の席に向かいながら、その違和感を逃さないよう、注意深く教室を見渡した。
(………みつけた)
そうして、教室の窓際、一番後ろの席に、本を読んでいるクラスメイトの姿を見つけた。その生徒は、空いた窓から吹き込む風に赤いリボンの髪留めを揺らしながら、誰と喋る訳でもなく、ただ静かにそこにいる。
先週まで空だった筈の席に。
(そうだよね、今週から第一章が始まるからね。出現条件は揃ってるから居ると思ったよ)
見ている事がバレないよう、一瞬だけその姿を見て、菫は直ぐに視線を机に戻し、いつも通りにリュックサックから机の中に教科書を移していく。移動教室の分を残して教科書を移し終えて席に座ると、スマートフォンをすっと取り出し、カメラアプリを起動する。そうして、内側のカメラに切り替えると、スマートフォンを何気無く弄るフリをし、そのクラスメイトにカメラのピントを合わせた。次に、毎朝集まって仲良く話している女子生徒達の会話に耳を澄ませる。いつも楽しそうにしている彼女達ではあるが、今日も何か面白いことがあったのだろう、ドッと大きな笑い声が教室に響いたその瞬間を狙い、パシャリ、という小さなシャッター音を笑い声に混ぜて隠した。被写体に此方がカメラを向けていることがバレない様に。
(………歪んでる。間違いないな)
菫は直ぐ様撮った写真を確認し、確信する。見慣れたいつもの教室の景色の中、例の赤いリボンのクラスメイトだけが何故かぐにゃりと大きく歪んでいた。おおよそこの世で撮れた写真には見えないそれは、所謂心霊写真というものになるのだろう。
実は心霊写真が出来るのは、カメラのブレやボケ、光の反射などが原因と言われている。事実、そのようなカメラの問題点を改善し、性能を大幅に向上させたデジタルカメラがスマートフォンに内蔵されたりして、人々に普及してからというものの、そのような写真はめっきり少なくなった。今や心霊写真など合成か草木の見間違いかになってしまったこの世で、そのデジタルカメラで撮った写真がこうなってしまっている。ということは、あの突然現れたクラスメイトは間違いなくヒトではないのは確かだ。
最近菫が身に付けたこの方法は、今回のような怪異と人間の判別に案外役に立っている。相手が怪異だった場合、今回のように歪んだり、明らかに写真に写らなかったりするのが常だからだ。彼女が菫が居るのに気付いていなかっただけのただの普通のクラスメイトである可能性も無くはなかった為、写真を撮ってみた結果がこれだ。誤魔化しの効かない機械の眼は、菫の認識が正しいことを裏付けてくれたのだ。
そのまま直ぐに写真をゴミ箱のマークを押して消去し、菫はスマートフォンを弄って、画面表示を動画サイトのページへと変えて席を立つ。そして、いつもの通りに明美に絡みに行く。
「ねー、明美ちゃん、見てみて。昨日見つけたんだけどさ、この子超可愛くない?」
「わぁ可愛い………!!! ふわふわ………!!!」
「ね、ふわふわだよね」
表示したふわふわのポメラニアンが野を駆け回る動画を明美に見せると、明美はぱっと目を輝かせ、画面を食い入るように見つめる。ネットサーフィンをしていて、偶然検索に引っ掛かったものだったが、可愛いものが大好きな彼女には堪らなかったらしい。後で動画のリンクを送っておこう、と、明美の様子を見ながら頬を緩ませる。
明美に動画を見せながら、菫は背後で異物が動き出すのを感じて、ちらりと目線で赤いリボンを追う。クラスメイトは本を閉じて席を立ち、盛り上がる生徒達の輪にするりと加わっていった。その様子に菫は内心舌打ちした。菫が狙う標的、裏ボスその1・『鏡像』が相当な手練れだと理解したからだ。
(一体何人喰ったのやら)
教室に、それどころか隣に見知らぬ生徒が居るのに、それを誰も指摘していない不気味な状況。それどころかソレは、まるで最初からそこに居たかのように振る舞っている。この教室の中で、一番そういうモノに対して一番抵抗力がある筈の明美でさえも、異物が紛れ込んだ事に気付いた様子は見せていない。ということは、幻術か、それとも存在を薄くしているのか、手段は定かではないが、人間の認識を誤魔化すのが相当巧い事になる。しかし作中や設定資料でその術の詳細が明かされる機会がなかった故、一つの懸念として彼女が現れた際にちゃんと敵として認識出来るかというのがあった。だが菫も同じく認識を誤魔化す術を扱ってきた経験則上、既に『これはこういうモノである』と強く認識されている場合は誤魔化され難いというのも知っていた。だからなのか、違和感に気付き、敵を事前に認識する事ができたのは、幸運だったと言えるだろう。
ゲームでもその影の薄さは反映されており、ポップされるのがシナリオ内で留まる事も描写も少ない教室というロケーション、そしてまだゲームを始めたばかりの第一章、尚且つ動けるようになる放課後に残っているモブクラスメイト達が誰も彼女に対して言及しないという事も相俟って、第二章以降に彼女の姿が失くなっても気付かず、そもそも現れたことにもさえ気付かないというプレイヤーが多かった。
そんな存在感の薄い彼女こそが、裏ボスへの歩く挑戦状などと誰が気付くだろうか。否、気付けなかったから、ゲームフルコンプリートを狙う先駆者達の『裏ボスイベントがあと一個埋まらねぇ!!!!』という嘆きや恨みが、発売された直後は凄かったのだけれども。
(取り合えず、敵を認識出来たのは僥倖。で、問題は此処からなんだよな。主人公じゃない私が、ちゃんと裏ボスに挑めるといいんだけど)
懸念はまだ一つある。ゲームでは、主人公が特定の行動を取れば、例え一週目でもちゃんと裏ボスに挑めるようにプログラムされている。だから、前世では自分が明美であったから、手順の通りに明美を動かせば裏ボスに辿り着けると確約されていた。しかし、今の菫はプレイヤーでも何でもない上に、此処は現実である。一度失敗しても、バグが起きて進行不能になっても、セーブとロードで巻き戻せるゲームとは違う。一度手順をしくじればそこまでの一度きりだ。万が一そうなった際のプランBとCは考えてあるものの、そんな不安要素ばかりの仕事を、それでも菫はやらなければならない。やらなければ、全てが終わってしまうので。
(ミスってもおしまい、やらなくてもおしまい。難易度どうなってんだよほんとにさ)
やってられない、と荒んだ一言を内心吐き捨てつつ、再生され終わった動画を閉じ、次の動画を明美に見せる。可愛いものを見てにこにこしている明美は、今教室に居る誰よりも可愛らしかった。
「他にもオススメあるからみてー」
「うん、見せて見せて!」
(あああああああああクソかわいいいいい…………………)
そのふんわりとした笑みに、浮かんだ苛立ちがジュッと燃やされて消えるのを感じながら、心臓が飛び上がるのを抑え込み、目星をつけていた次の動画を再生する。画面内でじゃれつき始めた二匹の子猫を明美と肩を並べて一緒に見ながら、菫は考える。
(とにかく、明美ちゃんがうっかり手順を踏まないように気を付けて行動しよう。ゲームだった時みたいに、レベル上げ全然出来てないガチ初心者がうっかり裏ボスフラグ踏んでゲームオーバーした、なんて事が起きちゃったら怖いしな……それで敵の出現条件が分かったから、その勇者には感謝しかないけども。でも現実で起きたら大事故過ぎるし、その大事故……いや、事件に巻き込まれたから今までの被害者達がいるんだ。油断出来ない。何より敵の現実的な実力が分からないから、明美ちゃんを庇って動ける自信がない。出来る限り別行動を心がけて、手順を踏んで……それで、後は明美ちゃんが『大鏡』を終わらせるのを待とう)
そうすればフラグは私に成立する筈だ、と考えに区切りを付けた所で、ちょうど始業を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。
「やべ、先生来る。ごめん、また後で!」
「うん、後でね」
慌てて画面の電源を落としてポケットにスマートフォンを滑り込ませ、菫は明美に手を振って席に戻った。そうして入ってきた担任が始めたホームルームを、菫はぼんやりと聞き流した。




